#2:妻とつなぐ弁当バトン
こんにちは、ババかずおです。
マレーシアで働く妻、現地インター校に通う子を家族に持ち、居残り一人家長として日本で働きながら暮らしています。さて、Departureシリーズ#2は、当時妻が一人マレーシアに飛び立ってからの、父による弁当物語です。
さて、妻がマレーシア就業してから父子の日本での生活は
当然ながら、それまで妻が担ってきた家事のもろもろを私が引き継いだ。その中で最も使命感に溢れ、鼻息荒くしたのは息子の弁当。給食のない学校に通っている息子には、毎日手弁当を持たせなければならない。
「あなたは弁当の一つも作ったことがない」
失望か、悲哀か、慈しみか、その類の妻の表情をこれまで何度見てきたことだろう。それを目の当たりにしても私は妻の不可侵領域に足を踏み入れたことはなかった。こんな言い方をすると「開き直り」と言われてしまうかもしれない。が、その通りだ。これまでだって気概を見せなければならない時は山ほどあった。けれど、手際が悪ければ箸を奪われ、じっくりコトコトの弱火は、一気にグツグツする強火となり、結局は妻が息子の弁当を「独占的」に作り続けてきたのだ(妻よ、どうか悪く思わないでほしい)。
いよいよ、そのバトンを引き継ぐ時がやってきた
妻は「あとはあなたが何とかしてね」とごもっとも。息子はせめて口にすることが出来るものであれば、何でも構いやしないとリアリスト。そして、これから弁当をこしらえる当の本人も何とかなるさとタカをくくっとる。
「誰からの期待や関心もないのであれば、むしろ思う存分腕を振るえるではないか。」
恐らく私が父として息子に手弁当を作ってあげるのは、この期間だけだろう。生涯で見れば、ほんの一瞬の出来事だ。よぉし、それならばしっかりと記憶に残るようなオヤジ手弁当屋の意地を見せてやろうではないか。
ほいっ!
おらっ!
どうだっ!
くらえっ!!
これでもかっ!
自らの仕事ぶりをここぞとばかりに見せつけてしまった・・・
けれど、結局のところ何が言いたいかって、はなから期間限定と分かっている弁当作りなど何も偉いことはなく、ただただ自己満で心地の良いものでしかない。「期間限定キャンペーン中です!」と、ハイでキマってる状態なんだから。いつまで続くのかも分からない「ロングラン」の歩みを続けてきた妻よ、ありがとう。寝室ではぐーすかとイビキをかいていつまでも寝ているヤツがいたのにもかかわらず。
そして今、妻はその職に復し、早朝マレーシアのけたたましい鳥の声が響く中、せっせこせっせこと、ロングランの再演中である。
幼いころ祖母が何度か作ってくれた、真っ黒な「THE NORIBEN」が強烈な記憶として残っている。当時、私は祖母の弁当を人前で広げることが、恥ずかしかった。実家の台所で、祖母が孫の弁当をこしらえた日があったんだということが、時を越えて胸にジワりと染みてくる。
果たして私のこしらえた弁当の一片は、息子の記憶の片隅に留まるのだろうか。こうして並んだ写真を見ていたら、何だかお腹が空いてきた。
さて、いったん腹ごしらえをして、次のストーリーではその人について少し掘り下げてみたいと思います。どんなに毒づいていたり、皮肉交じりだったり、刺々しい言い方だったとしても、それはすべて愛情の裏返しであることを、ここで宣言しておきます。
それでは、次のNOTEで
ーババ かずおー
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