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リレーエッセイ「夏」(連想#11)

高校時代からの友人、はじめくんと続けているリレーエッセイ企画。
エッセイのテーマは、前の執筆者の内容から連想したものならなんでもOKというシンプルなルールだ。
前回のはじめくんのテーマは「ソフトクリーム」だった。

相変わらず面白い文章だ。
この企画は、文章を考えて書く方も楽しいが、自分がバトンを渡した相手が意外な連想で話を展開していくのを読むことも楽しみの一つである。
まさか自分の「都道府県」が「ソフトクリーム」につながるとは。
特に、子供の頃のエピソードも含め、一つ一つの情景を具体的に説明しながら、その時の心境までじっくり掘り下げて書いているところがとても共感できた。
なるほど、エッセイとはレビュー記事でもお役立ち情報でもないので、より人間味のある私的な経験や感情を表現することが大事なんだと勉強になった。
僕も読んでいただいている方々に共感してもらえるような文章を心がけていきたい。

さて、今回のテーマだが、シンプルに「夏」でいこうと思う。
前回の「ソフトクリーム」のテーマ自体、夏を彷彿させるワードであり、さらにはじめくんの文章の中で、家族で海水浴に行った際のひと夏のエピソードが特に面白かった。
そして何を隠そう、「夏」は僕が一番好きな季節なのだ。

夏が好きとは意外かもしれない。
特に近年は猛暑が続き、連日メディアでは最高気温の記録更新だとか、猛暑日が何日連続したとか、防暑対策の話題で持ちきりで、多くの人にとってはできれば避けたい嫌われ者の季節なのかもしれない。
それに僕をよく知る人だったら、僕が人一倍汗っかきなことを知っているだろう。夏でなくてもちょっと体を動かしたり、熱いものや辛いものを食べたりすると途端に汗が吹き出してくる。
以前、奥さんとインド料理屋に行ってカレーを食べていたら汗が吹き出てきて、ハンカチで拭い拭い食べていたら、インド人の店主に「うちのカレーはそんなに辛くないよ」と笑われ、インド人もびっくりするくらいの汗かきだ。
常に汗拭き用のハンカチを手放せない(汗)

もちろん、暑い夏は連日汗だくである。出勤の日などは、もう出社した途端、シャツは汗まみれになっているし、この季節はカバンに緊急時用の着替えのシャツも常備しているくらいだ。

ではなぜ夏が好きなのか?
それでもやっぱり夏が好きな理由は、簡単に言うと3つある。

まずは、海が好きということ。
前回の「都道府県」でも書いたが、僕は幼少期から毎年夏は3歳下の弟と共に新潟県の海の近い祖母の家に預けられていた。そして同居の従兄弟たちと毎日のように海に遊びに行くのが何よりの楽しみだった。
そしてこれも書いたが、大人になり、結婚してからも、スキューバダイビングの魅力にハマり、子供が生まれてからは継続が難しかったためスノーケリングに形を変えたが、それでもずっと海に関わるアクティビティや、ビーチが好きだ。
そんなわけで日本で海を楽しめるのは夏の季節だけなので、好きな理由の大きな部分を占めている。

夏が好きな理由の二つ目は、服装がラフで気楽ということ。
近所や週末の用事ならば、Tシャツにハーフパンツ、素足にサンダルというくらいのラフな格好でいられる。
アイロン掛けする必要もないし、服の組み合わせに悩むことも少ない。
特に綿100%のTシャツは風通しも肌触りも良くて、夏を気持ちよく過ごせる。
夏の日差しが痛いことも多いが、僕としては夏が暑いのは当たり前なので、文句は言わず(考えず)、軽装から出ている肌で思い切り夏を感じて楽しむことにしている。意外と何事も心の捉えかた次第だ。

そして夏が好きな理由の最後は、夏休みの存在だ。
小学校から大学まで、学生時代の長い夏休みも最高だったが、社会人になってからもお盆休みと呼ばれる1週間ほどの夏休みがちゃんとある。
お祭りや花火大会や海など、夏ならではの楽しみもいっぱいで、休みをどう過ごそうか考えるのも楽しみの一つだ。
たとえ実際そこまで充実して過ごせなかったとしても、夏休みのワクワク感は変わらない。きっと夏休みにはこれまでの夏の楽しい思い出が凝縮されているので、これからもそのポジティブなイメージがひっくり返ることはないだろう。

というわけで、今回は「夏といえば」と言った、個人的な思い入れから、学生時代の夏休みの印象深いエピソードまで、「夏」満載の話題を書いていこうと思う。


さて、「夏といえば」僕の中で三種の神器的なものがある。

まずは食べ物編。夏の食べ物といえば、「そうめん」「スイカ」「かき氷」だ。

「そうめん」は、夏にぴったりの昼食のメニューだ。暑くてだるい中でも、熱湯で1分程茹でて流水で冷やすだけで、はい完成。
料理下手な僕でも、そうめんを作る時だけは、率先して家族の分も作る。
いくらバテてても、氷で冷やしためんつゆと一緒に掻き込む、あの麺の細さ・柔らかさ・喉ごしはいくらでも食べらてしまうから不思議だ。
この数年のコロナ禍では、自宅でのリモートワークが多かったので、特にお世話になった。
これだけ手軽なのだから、夏以外の季節でも食べるのもありかもしれないが、やはりその気は湧かない。日本人らしく、おでん・お鍋は冬、モチは正月、、と季節の食べ物は、その季節で味わいたい。

「スイカ」は、今でも食べるときにはテンションが上がる。ちゃんとタオルを用意して、塩をふりかけながら食べるのが好きだ。
小さい頃は新潟のおばあちゃんの家で、大人数でよく食べた。
大人になると、スーパーに売っているスイカまるまる一玉とか半玉とかがかなりいい値段がすることに気づく。よくあんな値段のものを時々食卓に出してくれていたなぁと、今更ながら祖母や叔母に感謝だ。
(それとも田舎だし昔のことだったから安かったのかな?)
今では1シーズンに2、3回、1/4とか1/8玉とか小さいのを買って家族3人で食べている。

「かき氷」も夏の風物詩だ、今でこそインスタ向けのバエるカラフルなかき氷も人気だが、1つ1000円を超えていたりして、なぜ氷にそんなお金をかけるのか理解に苦しんでしまう。
僕がいうかき氷は、お祭りの屋台で売っている1つ200円とか250円とかのスタンダードなやつだ。やはり夏祭りに行ったら必ず買ってしまう。
どのシロップが好きかと言われると、、気分によってイチゴだったりメロンだったりレモンだったり、、時にはブルーハワイだったりと特にお決まりはない。
実はかき氷のシロップの味は全て同じらしいことを何年か前に知ったが、あまり信じられない。着色料と香料だけの違いらしいが、人間の舌が視覚と嗅覚で完全に騙されてしまうという。それでもなお、僕は今後も屋台の前でどのシロップにするか悩んで注文したいと思う。
子供が生まれる前に、手動の簡単なかき氷機を買ったことがある。
あれはあれで結構大変で、専用の製氷カップで氷を作っておかなければならないし、氷を回すゴリゴリ感やシャカシャカ音はあまり気持ちの良いものではなかった。さらにシロップに関して、例えばイチゴを買っておいたらワンシーズンずっとイチゴシロップになってしまうので、ちょっと残念だった。
やはり、かき氷は夏祭りの屋台で買うのがベストだ。あのストロースプーンでちびちび食べるのも、最後氷が溶けてシロップと混ざった甘い液体をストローで飲むのも、夏気分が味わえてとても好きだ。

今年は夏の食べ物三種の神器のうち、「そうめん」と「スイカ」は既に食べた。
毎年、心の中でなんとなくコンプリートを目指すのが楽しみだ。残す「かき氷」を食べに、夏休みは是非どこかの夏祭りに出かけなくては。

次に「夏といえば」のイベント編。
僕にとって夏イベントの三種の神器といえば、「夏祭り」「花火」「海」だ。

「夏祭り」、、といったら子供時代、毎年親からもらったお小遣いを片手に、地元のお祭りに遊びに行っていたことが懐かしい。弟と行ったり、学校の友達と待ち合わせして行ったりした。
団地住まいだったので、団地の商店街のお祭りだったり、出身保育園が主催する園庭でのお祭りだったりで小規模のものだ。なので、本物のテキヤではなく、商店街の各店主や保護者会の父兄などが店番をやっているなんとも平和的なものであった。
中心では年配の女性中心に盆踊りもされていて、地元が東京の八王子だったため「八王子音頭」(?)もよく流れていた。「葉っぱキラキラキーラキラ、ハッ!」「太陽のまち〜はちおおじ〜」。けれど、僕らには完全にお祭り気分のBGMだった。「ドラえもん音頭」など子供向けのものも多かったが、僕らは盆踊りそっちのけで屋台や露店の方に夢中だった。
好きだったのは、くじ引きで、引いた番号によってもらえる商品が違う。チェイリングだったり、知らないキャラのゴム人形だったり、小さいスーパーカーのおもちゃだったり、なんか名前のわからない、棒にくるくる紙が何重にも巻かれていて、伸ばして遊ぶやつだったり。。いいものだとスプリングおもちゃだったり。
スーパーボールのくじ引きもあった。番号が一桁台だと巨大なものが当たる。30番くらいまでのまあまあ大きいのだとラッキー。それ以降だと普通サイズか、小さなスーパーボールになる。そういえば我が家のおもちゃ箱の底にはGetした歴代のカラフルなスーパーボール(ラメ入りとかレイボーとかも)がたくさん転がっていたなぁ。。
露店の玩具で好きだったアイテムは、棒を押すと赤と青のセロファンがはめられたブリキの円盤が勢い良く回って、裏から飛び散る火花で夜道になんとも綺麗な光が出現するやつだった、、名前がわからないので伝えづらいが、そういえばああいうものは今でも存在するのだろうか?
もう40年以上も前の記憶なのに、あの夏の高揚感は今でも容易に思い出すことができる。

そんな子供の頃の懐かしい記憶を、追体験できる時期が人生では何度かある。
特に小さいお子さんがいる家庭だと、自分の子供をお祭りに連れて行く機会があり、内心子供以上にワクワクしてしまう方もいるのではないだろうか?
僕も娘がいて、幼稚園や小学校の頃は、よく甚平や浴衣を着せて夏祭りに連れて行っていた。
やはり女の子は、僕の知っている男の子の遊びとは結構違くて、女の子同士浴衣で連れ添って行動する。わたあめやかき氷など、結構食べることも好きなのと、お面をねだられることが多かった。
娘はプリキュアが好きだったので、フレッシュ!プリキュア、ハートキャッチプリキュア、スマイルプリキュアなど、、毎年お面が増えていたように思う。
あと、連れて行った親同士、特にパパ友たちと、子供たちを目で追いながら世間話するのも楽しい経験だった。

次に「花火」に関して。
これは友人、家族や家族ぐるみで公園などで行う手持ち花火と、花火大会の打ち上げ花火を観に行くのとの両方のパターンがある。
僕的には夏のうちにどちらかを経験したらミッションクリアだ。
手持ち花火は、やはり幼少の頃の思い出も強く残っているが、大学のサークルのメンバではしゃいだことや、娘の友達や親同士で近所の公園で一緒に遊んだ経験まで、いろいろな形で楽しんできた。
共通するのは、夜の暗闇の中で、それぞれの顔が花火の明かりに照らされ、赤やオレンジや緑といったカラフルに浮かび上がる光景。しかもその顔はどれも童心に帰った満面の笑みだ。
そして僕も例に洩れず、シメは線香花火の繊細な火の小枝を眺めながら、人生の儚さや、今の幸せに想いを馳せてしみじみするのが好きである。

そして花火大会について。
印象深いものをいくつか挙げるとしたら、「八王子花火大会」「上越まつり大花火大会」「世田谷区たまがわ花火大会」「みなとこうべ海上花火大会」だろうか。
どの花火大会も優劣つけがたく、大音量の重低音とともに、夜空に色鮮やかな花々を咲かせて、観ている者たちを非日常の世界に連れてってくれる。
特に5、6年前に行ったみなとこうべ海上花火大会では、縁あって招待いただき有料観覧席から最高のポジションで楽しむことができた。
何も障害物のない近い距離で、真上に上がる大迫力の花火ショーは、言葉でうまく表現できないくらい感動する経験だった。今後もたまには無理してでも有料観覧席で観覧したいと思っている。

さて、夏のイベントの三種の神器、最後の「海」の話をしよう。
すでに述べた通り、子供の頃は夏の間、新潟県は上越の海で毎日のように弟や従兄弟たちと遊んでいた。
祖母の家が日本海まで歩いて10分ほど。
子供なので、最初から家で水着に着替えて、上半身裸のまま浮き輪にくぐって持ちながら、日焼け止めも塗らずに通っていた。
男ばかりの従兄弟たちの中でも年長なので、いつも先頭で、何気ない顔でみんなの安全に気をつけながら歩いた道のりは、今でもはっきり覚えている。
よく行っていた海は、海水浴場から数百メートル離れた場所で、貸切状態のことが多かった。
海水は、緑と茶色の中間のような、透明度の低い色で、今思えばキレイなビーチではなかった。しかし、当時は他のキレイなビーチを知らなかったので、海というのはそんなものだと思っていた。
潜ったり、泳ぎの練習をしたりももちろん楽しんだ。もっと熱中したのが、テトラポットでのカニ取りだ。
ビーチから数十メートル先に、十字を立体に組み合わせたようなテトラポットの群が海岸線にいくつも並んでいて、そこに小さな子ガニから、大きめな手のひら半分くらいの親ガニまで、いくらでも取れた。
ただカニと呼んでいたが、それで紹介するのもあのカニたちに失礼なので、この機に「海 テトラポット カニ」で名前を調べてみた。「イソガニ」というらしい。おぉ、君たちはそんなマンマの名前があったのか。
イソガニがテトラポットの表面を無警戒に歩いているところをすかさず魚取り網で覆いこむ。一瞬でも遅れると、すばやくテトラポットの入り込み、ハサミも畳んで岩にでもなったかのように動かないので捕獲不能になってしまう。
色とりどりのガラスの石を拾うのも好きだった。割れた瓶の破片が、長い年月波に転がされ、角が丸くなって宝石の様になったものだ。ずいぶん後になって知ったのだが、ビーチグラスという名前がついているらしい。
緑、青、黄、茶色、透明、、とにかく集めては空き瓶の中に貯めていた時期があった。そしてそれを一夏の思い出として、海岸の草むらに埋めてきたのだが、、数十年経って訪れたらすっかり地形が変わってもはや発見不能だった。残念。

もう少し海の話をしたい。
大人になり、スキューバダイビングとスノーケリングにハマった話は冒頭に書いたのと、前回の「都道府県」で沖縄県の話をしたときにその魅力をお話ししたので、詳しくは割愛する。
けれど、十数年前に関東から関西に越してきて、海がキレイなことにびっくりした。新潟の日本海も、茨城、千葉の海岸も、神奈川の茅ヶ崎も海水はそんなに透明度が良くなくキレイではなかった。それに比べて近場、神戸の海は、アジュール舞子や大蔵海岸でも、海水がキレイでスノーケリングをすると結構先まで見えて、時々大きなボラの群れなども見れて楽しい。
もしかしたら透明度の違いは波の大きさの違いかもしれない。結局波が激しければ砂が混じり合って濁ってしまう。けれど、神戸の海は瀬戸内海なので波がずいぶん穏やかだ。
これはキレイな海好きの僕にとって、ラッキーなことで、おかげで夏は気軽にスノーケリングが楽しめる。
以前は家族で行っていたが、今は娘も年頃になり、僕以外はそこまで海好きではないので、最近ではスノーケルのセットを持って一人で車を飛ばして海を楽しんでいる。(怪しいおじさんに見えないかが心配だ。汗)

というわけで夏のイベントの三種の神器「夏祭り」「花火」「海」。。残念ながらこの夏、現時点で僕はどれも達成していない。
けれど、海はこの週末に行こうと思っているし、夏祭りも花火も、来週からの夏休みにはきっと組み込もうと思っている。

さて、夏満載の話題として、次は学生時代の夏休みの思い出深いエピソードを語ってみよう。

高校時代の文化祭の準備に明け暮れた日々はとても思い出深い。
僕の高校は、秋に文化祭があり、夏休みが終わってから準備を始めたのではあっという間で遅いので、クラスの出し物や有志団体の参加表明は夏休み前に決めることになっていた。そして各人の気合の入れ具合にもよるけれど、僕は毎年夏休み期間もクラスメイトたちと文化祭の準備に明け暮れた。
高校時代は、結構積極的に行動することに目覚めた時期でもあったので、文化祭でもいろいろな役を買って出ていた。
1年生の時には、クラスの演劇の台本を数名で書いた。はじめくんの前回の「ソフトクリーム」にも書かれているが、喫茶店で遅くまで議論しながら書き上げたものだ。元にした題材のストーリーがあり、タイムスリップものなのだが、最終的に主人公たちが現代に帰るか、自分たちの意思で原始時代に残るか?そんなせめぎ合いをさせて、結局はオリジナルの題材とは違った結末を描いた。
2年生の時には、クラスの演劇の監督・脚本をやって、そちらも熱かった。が、それ以上に1年の時のクラスメイトたちと有志で作った自主制作映画の撮影の方が熱かった。そこでも友人たちと脚本や撮影・編集を担当。
しかし、学園もののストーリーでキャストが多く、撮影の都合がつかず、撮影も編集も遅れに遅れ、最後徹夜で作業するも、なぜか編集済みテープの内容が消失してしまうハプニングも発生し、文化祭当日の放映は消化不良に終わってしまった。楽しくもあり、切ない思い出だ。
3年生の時には、クラスのお化け屋敷の監督も担当しつつ、前年の自主制作映画の消化不良を解消すべく、また何人かの有志で映画を作った。
4人でそれぞれ監督作品を担当し、出演・撮影・編集はお互いに協力し合うオムニバス形式とした。
Oくんの「情報化未来」、Hくんの「R指定」、はじめくんの「八王子ミステリーゾーン」、そして僕の「おかしな2人」。
どの脚本もオリジナリティがあり、撮影や編集も楽しかった。
僕の作品は、片思いだった女の子とその友人に頼んで主役を演じてもらったので、撮影で一緒の期間も多かったし、距離もグッと縮まって嬉しかった。まさに青春!

そんな夏の甘酸っぱい想いを詰め込んで、大学の時にやっていたオリジナルポップバンド「サマーソルトフリーク」では、はじめくんと「終わらない夏休み」という曲を作ったくらいだ。
歌詞は高校の自主制作映画(インディペンデントムービー)を作っていた日々をモチーフに、はじめくんが僕の視点をイメージして書いてくれた。
なんとも夏らしいポップな言葉を散りばめていて、お気に入りの歌詞だ。
本当は2番以降も紹介したいところだが、1番だけここに掲載する。

終わらない夏休み

インディペンデントムービー 撮りながら過ごす予定さ
ヒロインは憧れのかなりラブリーな彼女
アー 世界一君は素敵なアクトレスさ
ネー 楽しもうよ 今しかできないこと
恋してるヒロインを演じながら彼女は
僕が回すカメラに真剣な眼差し向ける
アー 何もかも僕が書いたシナリオ通りに
ネー いけばいいよ このままいつまでも
終わらない夏休み 全てを手に入れたいから
終わらない夏休み 時よ止まれ僕らのため
I'm longing for …

デモテープ「SOMERSAULT SENSATION」(サマーソルトフリーク)歌詞カードより

終わらない夏休み。。自分たちの作品ながら、夢のような状況でなんて素敵なフレーズなんだろう。
思えば僕がいつも楽しみを見つけながら暮らしているのは、夏休み気分的な高揚感を終わらせたくないからかもしれない。結果、その気持ちは季節を越え、また一つ越えを繰り返しながら、次の夏に繋がり、そして今もなお続いている。
つまり僕の中では、少年の心をもったまま、夏休みはずっと終わっていないのかもしれない。

というわけで長々とお話ししてきた大好きな夏の話も、そろそろ終わりにしようと思う。
本当に不思議なくらい、思い出すとあれもこれもギュッと夏の季節に凝縮されて輝いている。
back number の「高嶺の花子さん」の歌詞を借りるなら、「夏の魔法的なもの」の力が作用しているのだろうか?

読んでくれたみなさんも、僕と同じように夏の楽しい出来事を思い出してくれたなら、幸いである。
そして暑い夏を、それ以上の熱さで楽しむ魅力が伝わったのならば、さらに嬉しい限りである。


はい、お疲れ様でした。次のバトンもまた高校時代からの友人はじめくんに渡します。よろしく!

そして、リレーエッセイに興味がある方がいれば、是非一緒にやってみませんか?連絡、コメント待っています。

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