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リレーエッセイ「ソフトクリーム」(連想#10)

「シュール」というテーマで書いた私のエッセイの次に、トミーくんが題材として選んだのは「都道府県」。[シュール→バカリズム→都道府県の持ち方]というプロセスでこのテーマにたどり着いたとのこと。バカリズムさんの都道府県の持ち方は私も好きだ。天才だ。

トミーくんは、エッセイの中で、自分自身を「国内旅行にいくときに下調べをするタイプだ」と書いている。高校2年のとき、春の遠足で一緒に横浜を訪れた際、班長だったトミーくんが私を含む班員数名を道案内してくれたのだが、事前に下見でもしていたかのように細かい道に詳しくて、あのときは「すごい」を通り越して怖かったしキモかった(笑)

同じ歳の秋、修学旅行で京都・奈良に行ったときも、トミーくんは班長として大活躍。3泊4日の間、班行動はビックリするくらいスムーズで、ある日は「清水寺見学のあとに行く昼食の湯豆腐屋さんを予約しておいたよ!」と。「お昼は湯豆腐かな?」みたいな話は出発前にしていたけど、実際に湯豆腐屋さんに行くことは当日まで知らなかったので、このときもありがたいを通り越してキモかった(笑)。修学旅行中、現地での道案内も班の女子が引くくらい完璧。インターネットのない時代に、高校生であの準備力はエグかった。

学生時代も、トミーくんは大学の熱気球サークルで全国を飛びまわっていた印象がある。大人になってもずっと関東で暮らすのかと思っていたら、いろいろあって関西へ引っ越しを。なんともフットワークが軽いので「都道府県」という題材は、トミーくんにぴったりに思えた。全国各地をトミーくんなりに味わっている様子も“らしさ”にあふれている。


トミーくんがエッセイの中で試していた「経県値」というサイトを私も試してみた。自分が行った県、住んだ県などをチェックしてスコア化するというヤツ。トミーくんの経県値は157点だったようだが私は130点だった。

私は八王子以外に住んだことがない。コロナ前から在宅ワーク主体なので出張があるわけでもなく、また旅行にもあまり興味がないのだが、その割には高いスコアなんじゃないかと思う。どうだろうか。

2023年7月時点での私の経験値、思っていた以上に高かった

旅行にはあまり興味がないものの、20代の頃は当時組んでいたロックバンドのツアーで全国あちこちへ行った。バンド活動に区切りをつけた後にFC東京を好きなった当初はいそいそとアウェイ遠征をしていたし、応援しているフットサルチーム「VEEX TOKYO Ladies」やその前身チーム「FUN Ladies」が関東大会や全国大会にコマを進めれば、選手を鼓舞すべくどこへでも行った。そういえばコロナ前に、サンバチームの一員として北海道や東北へパフォーマンスしに行ったりもした。

出かけた先で、成り行きで観光地に行くことになれば、けっこうキャッキャと楽しむ性格なので「旅行好きなのでは?」と思われてしまう。だが、自分としては「用事があって遠くへ出かけたついでに名所見学」という感覚だ。

そんな感じなので、出向いた先で観光したり名物料理を味わったりの記憶がほぼない。現地で目的を果たせればいいだけなので、観光できなくてもなんら不満はない。一緒に行った仲間と飲み屋さんでご当地ものを注文することもあるけど、食事はコンビニやファストフードで大丈夫。旅行好きな人から「もったいない!」と怒られがちである。


ロックバンドのツアーはワンボックスの機材車にメンバー5人。東京でツアー初日のライブをやって、3週間くらいかけて関東、東北、北陸、関西、東海、中国をグルッと回り、東京へ戻ってきてツアーファイナル、というのを7年間の活動のなかで2回やった。ライブ本数の少ない短いツアーや単発の遠征も節目節目でやっていたので、それなりにあちこちのライブハウスに出演させてもらった。

ツアー中は、サービスエリアか道の駅に車を停め、何人かは機材車の中で眠る。他のメンバーは車外の適当な場所を探して寝袋で眠る。私は主に車外。ベンチ、建物の影、路上など、いろんな場所で眠った。宿泊施設に泊まるお金はない。最近は車中泊や夜間滞在を禁止している道の駅も多いらしいけど、約20年前は寛容だった。

どこかのサービスエリア。手前はドラムの大ちゃん、奥のベンチで寝ているのはギターのヤマチ

サービスエリアでは、他の利用者の邪魔にならない場所にあるコンセントを探して、持ち込んだ炊飯器で白米を炊いていた。食費節約。いまだったら「盗電だ」と騒がれる行為である。当時はケータイを充電できる場所を探し回る人がいまほど多くなく、盗電という言葉もあまり知られていなかった。なおかつ、われらは“コンセントは施設サービス”だと本気で勘違いしていたので、少しも悪気なく電気を頂戴していた。ごめんなさい、ごめんなさい。

ツアーを経験するとバンドはめちゃくちゃ強固になる。本当に楽しかったし、生涯のなかで誇れる経験のひとつだ。バンドを続けていたら、きっと47都道府県制覇を目指していたと思う。

個人的に現時点で未踏の県は、青森、和歌山、島根、香川、徳島、高知、長崎、佐賀、熊本、宮崎、沖縄。出雲大社を一目見たいので島根、都市伝説好きの心をくすぐる幣立神宮がある熊本、なんとなく気になる長崎、妻が唄三線の修業中なので沖縄、……にはそのうち行ってみたいと思っているけど、いつになることやら。


サッカーやフットサルの応援やサンバ公演のため、飛行機に乗ることもあるけれど、バンドツアーの思い出が強烈ゆえ、全国各地に思いを馳せると高速道路での車移動のイメージがついて回る。

ライブを終えて、次の場所へと深夜の高速道路をひた走る。明日はどんな人に会って何を思うのか、このツアーに何の意味があるのか、音楽で食っていくという夢は叶うのか……。さっきまでのライブの興奮が冷めていくなかで、希望と恐怖が入り混じったなんとも言えない気持ちが胸の奥から浮かび上がる。

2度目の全国ツアーの終盤に高速道路で事故って、機材車が大破するという絵に描いたような展開も経験した。誰か死んだんじゃないかと思ったけど、みんな生きていて良かった。あゆんだ道も目指した方角も違うけど、フラワーカンパニーズの名曲「深夜高速」は、恐ろしいほど共感に満ちている。

あれから20年以上経ったいまも、高速道路に乗ると当時の気持ちがよみがえる瞬間がある。

だがしかし! 今回のエッセイで全国ツアーの思い出や、高速道路のことを書きたいわけではない。<都道府県→高速道路>という連想のさらに先へーー。「高速道路でサービスエリアに立ち寄るとなぜかソフトクリームが食べたくなるよね?」ということで、今回は“ソフトクリーム”について書いてみようと思う。


ソフトクリームが日本に初登場したのは1951年7月なのだそう。ソフトクリームの“コーン”を製造するメーカーとして現在も知られる日世株式会社の創業者が、ソフトクリーム製造機を輸入。1951年に明治神宮外苑で開催された米軍主催のカーニバルで売り出したのが最初だという。日世は、先にソフトクリームを日本に紹介し、後からコーンの生産を始めたたのだとか。

本国アメリカでの正式名称は「 "soft serve ice cream"(ソフト・サーブ・アイス・クリーム)」。日本デビューに際して、呼び名をソフトクリームと略したのは大正解だったのではないだろうか。「ソフトアイス」「サーブアイス」「サーブクリーム」ではピンと来ない。「ソフトクリーム」と略されてなかったら、もしかしたら現在のような立場にはなかったかも。名前って大事だ。

テレビが珍しかった時代、力道山のプロレス中継を店内で流していたおそば屋さんでソフトクリームがバカ売れしたという話もあるとか。試合中継が20時台だったため、テレビを見に来るお客さんは自宅で食事済み。そこで試しにソフトクリームを売り出したところ大人気になったのだそう。

いろいろと詳しいことは日世のウェブサイトに。

1970年には大阪万博の会場で、来場者がソフトクリームを食べ歩きする姿がメディアで報じられて全国的なブームに。

80年代にはフレーバーが多様化、90年代にはご当地ソフトがブームになるなど、時代が変化するなかでもソフトクリームは存在感を示してきた。一過性のブームで消えてしまうスイーツも多いがソフトクリームは実に優秀だ。パンナコッタやマリトッツォは食べたことがない人がいてもおかしくはないが、ソフトクリームを食べたことがない人は少ないのではないだろうか。


私個人のソフトクリームに関する記憶をいくつか思い出してみよう。

一番古い記憶は、小学校にあがる前に母と行った忠実屋(忠実屋は八王子発祥のスーパーマーケット。94年にダイエーに吸収され消滅)のフードコートで食べたソフトクリーム。いや、長崎屋のフードコートだったかも? 記憶はおぼろげだが、いずれにしても近所の商店で買う棒アイスやカップアイスとは一味違う“特別感”を感じていた、と思う。

どこかに出かけたときの“とっておき”のような感覚もあり、ショップの店員さんが器用にソフトクリームを巻き上げる様子もかっこよく見えた。食感も棒アイスやカップアイスとは違ってなめらか。口溶けの良さも心地いい。

今回調べたところ、ソフトクリームとアイスクリームの違いは「温度」にあるのだそう。ソフトクリームの温度はマイナス5~7度、アイスクリームは販売時にマイナス18度以下なのだとか。この違いが食感に表れているのだろう。


ソフトクリームについて次に思い出されるのは、親戚一同で千葉県に海水浴に行った際のこと。海の家から出張販売のような形でやってきた売り子のお兄さんから買ったソフトクリームだ。当時小学校低学年だった私と、まだ保育園児だった弟は両親にねだりにねだった。

本来ならマシンからニョロ~っと出てくるのがソフトクリームの正しい姿なわけだが、お兄さんが売っていたのは“ソフトクリーム風のフォルムをしたバニラアイスの塊をコーンの上に乗せたもの”。お兄さんは、肩に掛けているクーラーバックの中から、すでに完成した状態の“そいつ”をわれら兄弟に手渡してくれた。“そいつ”はラップにくるまれていたような覚えもあるが、記憶違いかもしれない。

クーラーバックの中はドライアイスでヒエヒエだったのだろう、アイス部分はちっともソフトではなく、むしろガチガチにハードだった。私はテッペンからかぶりついて「固ッ……ほしかったのはこれじゃない!」。一方、弟はまず側面をベロン。これが悲劇を招いた。コーンの上に乗っかっていただけのガチガチなアイス部分は、ベロンの勢いで転げ落ちてすっかり砂まみれに。弟は泣いた、めっちゃ泣いた。砂まみれのアイス、号泣する弟、真夏の太陽、海、ビーチパラソル。そんななんともいえない光景のコントラストがまぶたに焼き付いた。

売り子のお兄さんが見かねて新しいアイスをくれたのか、両親がアイス売りのお兄さんに声をかけて新しいアイスをもらったのか、どっちだったかは覚えていないが、泣き止んだ弟がめっちゃ慎重にソフトクリーム風の“そいつ”を食べていたのは覚えている。


小学校6年生になる前の春休み、清里高原で食べたソフトクリームも印象に残っている。科学が好き、星空が好きだった私のために、母が申し込んでくれた「星空ツアー」なる親子向けの天体観測イベントで長野県八ヶ岳を訪れた帰り道に、ツアーバスが清里高原に立ち寄った。当時はバブル初頭、清里高原はペンションブームの中心地のような位置づけで、若者が集い、漫画から飛び出したかのようなファンシーなお土産屋さんがそこかしこにあった。

高原 → 新鮮な牛乳 → ソフトクリーム、という理屈だったのだろうか。「清里高原にいったらバカうまいソフトクリームがある」とのイメージが、いつの間にか子供だった私にも刷り込まれており、星空ツアーからの帰路についたバス車内も「清里でソフトクリームを食べよう!」というムードだった。

ツアーを仕切っていたお兄さんたちは、参加した親子たちに「清里でソフトクリームを食べたら、他のソフトクリームはもう食べられない」とハードルを上げまくる。『そんなにおいしいものがこの世にあるの? どんな味? 早く食べたい!!!』と、はじめ少年のテンションは清里に着く前からレッドゾーンを振り切った状態に。

やがてバスが清里に到着し、お兄さんたちが「このお店が最高なんです」と連れて行ってくれたお店に何組もの親子が入店。すると店員さんは申し訳なさそうに「この時期、“あのソフトクリーム”は扱ってないんです」。悲しいかな、お兄さんたちのお気に入りの“絶品ソフトクリーム”は夏限定商品だったらしく、春先には販売されていなかった。

小学生向けの春休みイベントゆえ、時は3月下旬である。目に入る遠くの山々は雪化粧をしており、道路のわきには溶けきらぬ雪も残っていた。そんな季節に、ソフトクリームだなんて、よく考えればどうかしている。

とはいえ絶句。「さすが清里高原のソフトクリーム!」「こんなうまいものがこの世にあるなんて!!」と感嘆する準備をしていたのに。上がり切ったハードルを余裕で飛び越えるような、そんな衝撃的の味を期待していたのに。

結局、われわれは、地元のフードコートとほとんど変わらないクオリティのソフトクリームを買うことに。上がり切ったテンションに折り合いをつけるには、何が何でもソフトクリームを食べる以外なかった。観光地ならではの不条理価格、お母さんありがとう。

思い返してみると、ソフトクリームを食べながら子供同士で「なんだか普段よりおいしい気がするね」なんて言い合っていた気がする。切なくも愛くるしい。なんとなく忠実屋で食べるソフトクリームよりはミルキーだった気はしたけど、それは脳が“そう思い込ませようと頑張った結果”だったんじゃないかと思っている。

段落の序盤で清里で食べたソフトクリームが印象に残っていると書いたが、これは正確には「清里で食べ損ねたソフトクリーム」の話だ。その後も、度々ソフトクリームを食べてきたが、清里に着く前に頭のなかでイメージをパンパンに膨らませていた“バカうまいソフトクリーム”を超える存在には出会っていない。あの日、私が脳内で生み出した超絶激うまソフトクリームを超えるソフトクリームには、きっとこの先も出会えないのだろう。


子供時代には、ダイエー八王子店のイートインコーナー「ミュクレバー コア」のソフトクリームにもあこがれていた。サーティーワンアイスのダブル、トリプルのような感じで、異なるフレーバーのソフトクリームを“段積み”にできるお店だった。店頭にディスプレイされている食品サンプルがカラフルで心をわしづかみにされた。

パステルカラーが時代を物語る、ありし日のミュクレバーコア

しかしながら、段積みソフトはまぁまぁなお値段なので、普段使いのスーパーで買うにはちょっと割高感があり、ねだったとて買ってもらえるのは普通のバニラどまり。当時は「大人になったらたらふく食ってやる」と思っていたけど、高校時代は牛丼やマクドナルドの方が魅力的だったし、成人してからはあまりダイエーに行かなかった。

その後ダイエーは2015年に閉店。ミュクレバーコアも店じまいになった。だが、ミュクレバーはしばらくして近場に店舗を構え営業を再開した。いまはクレープやたい焼きがメインなイメージだ。ソフトクリームも扱っているけど、当時のような段積みはやっていない様子だ。食べ逃した。

段積みソフトクリームは、中野ブロードウェイの地下一階でも食べられるのは知っている。だけど、ディスプレイのかわいらしさや、お店周辺の雰囲気などなど、なんだか自分の思い描いている雰囲気と違うことに抵抗があり未訪問。食べりゃ美味しいんだろうけどね。他にも、探せば段積みソフトクリームを扱っているお店はあるんだろうな。


異なるフレーバーの段積みではないけれど、岩手県・花巻市で食べた“マルカン百貨店大食堂のソフトクリーム”は圧巻だった。「花巻の名物だから」と聞いてフットサルを見に行った際に“話のタネに”と食べに行ったのだが、なんといっても長い! これを割り箸で食べるのが流儀だというので、その通りに食べた。

ソフトクリームスタンドも心憎い!

程よい甘さゆえ、最後まで飽きずに食べられるのも特長だと言えるだろう。花巻には2度行ったが、2度目にも食べた。子供の頃はカラフルな見た目に惹かれて前述のミュクレバー コアにあこがれていたが、大人になってからはむしろこれでいい。これがいい。

昭和の風情が漂うマルカン百貨店と大食堂のノスタルジックな雰囲気も好きだ。2016年6月に建物の老朽化で“百貨店”は閉店したが、根強いファンの働きかけやクラウドファンディングによって、食堂部分だけが「マルカンビル大食堂」として2017年2月に復活。ソフトクリームの人気はいまも健在なようで何よりだ。いつかまた、花巻に行く機会はあるのだろうか。その時は必ずやマルカンソフトを食べたい。

当時は「応援しているフットサル選手が花巻のチームにいたから」という理由で花巻に出かけていた。でも選手たちはとっくに東京に引き上げてきて引退したし、そもそも花巻のチームが消滅しちゃったしで、この先花巻に行く機会が見当たらない

マルカンソフトを食べるためだけに花巻へ! ってほどソフトクリーム好きなわけでもないのに、こうして長々と語り続けるのはいかがなものだろうか。


とはいえエッセイはもう少し続く。高校時代によく行っていた喫茶店・シャノアールのBIGパフェについて語らせてほしい。でっかいグラスに、ソフトクリーム、コーンフレーク、チョコソースとストロベリーソース(またはキャラメルソース)。取り立てて工夫があるわけでもないけれど、シャノアールに行くとよくBIGパフェを注文していた。

上も中央も下もソフトクリーム!

放課後の寄り道で、ハンバーガーショップやコンビニが続くと、誰かが「きょうはシャノアール行く?」と言い出すのがある種のお約束だった。しかしながら、まだまだガキんちょなわれらは別に喫茶店でコーヒーが飲みたいわけではなく、ただただ落ち着ける場所でダラダラしたいだけだ。でもお腹は満たしたい。そんなときにBIGパフェがベストだった。食べきるまでに時間もかかるので、お店に長居する理由も生まれる。

長居したい一方で、BIGパフェを目の前にするとソフトクリームが溶けないうちに食べきりたい気持ちがわき上がる。私も、一緒に行った友達もBIGパフェと戦真剣勝負を開始。冷たさでアタマがキーンとなるのに耐えつつ、みんなで黙々と食べた。「パフェには生クリーム。ソフトクリームは邪道」という意見があるのも分かるが、このソフトクリームまみれの邪道パフェこそが私にとっての青春の味だ。

シャノアールはトミーくん仲良くなるきっかけとなった喫茶店でもある。高校1年の文化祭で、クラス演劇の台本を一緒に書くことになり、JR豊田駅南口のシャノアールに何日か連続で長居してから、いつの間にかトミーくんとよく話すようになった。そのときも私はBIGパフェを食べていた気がする。

ひと昔前は東京近郊のいろんな場所にあったシャノアールだが、時代が移り変わるなかで店舗が減っていき、2023年3月に最後の一店だった京王八王子店が閉店になった。家からそう遠くないので、最後にBIGパフェを食べ納めにいってきた。すると店内では、同じ目論見と思しきアラフィフ勢があっちでもこっちでもBIGパフェを食べていた。みんな食べ始める前にスマホで写真を撮る。

注文する人が多すぎたからだろうか、私のテーブルに運ばれてきたBIGパフェは、見たこともないグラスに盛り付けられていた。“はじめまして”な見た目に面食らったけれど、食べてしまえば昔のまんまのソフトクリームまみれのBIGパフェである。今年50歳になった私が、これほどの量のソフトクリームを一度に食べることは、もうないんじゃないだろうか。

グラスが違うのでこれじゃない感強めだけど、それはさておき、いままでどうもありがとう

最近は近所のドトールで、アイスコーヒーの上にソフトクリームが乗った「コーヒーフロート」をときどき注文する。原稿作業や資料読みに使わせてもらっている普段使いのドトールで、「きょうはひと頑張りしないと」という時や「最近がんばってたな」という時などにコーヒーフロートで自分を甘やかす。ソフトクリームは先に食べきる。コーヒーはブラックに近い状態で飲みたい。だったら別々に頼めよって話だが、風情や趣の問題だ。私はコーヒーフロートに甘やかされたいのだ。

などなど語ってきたものの、最強なのはミニストップのソフトクリームだと思っている。世の中にはもっとおいしいソフトクリームがあるのかもしれないが、値段が高かったり、なかなか食べられないのでは意味がない。コスト、パフォーマンス、手軽さなどなど、トータルでミニストップが1位だ。家から最寄りのミニストップまでは原付で約3分ほどだろうか。徒歩圏にミニストップがあったらバカみたいな頻度でソフトクリームを食べていただろう。


今回「ソフトクリーム」を題材にしてエッセイを書くいたのは、都道府県 → 高速道路 → サービスエリアに立ち寄るとソフトクリームが食べたくなるよね、という連想がきっかけだったわけだが、サービスエリアでソフトクリームを食べたくなるのはなぜなのだろうか。ネット検索してみたところ、多くの人が同じ疑問を感じていて、明確な答えが出せずにいるようだ。この謎をめぐって本でも出せるんじゃないだろうか。

ネット上で見かけた考察で、もっとも多かったのは「運転疲れを癒すための糖分補給にちょうどいい」という機能面からの理由だ。運転は脳が疲れるので糖分が欲しくなる感覚はわかる。ジュースを飲むとトイレが近くなるから“食べもの”がいいのだろうし、ソフトクリームなら片手で食べられるので、食べきっていなくても運転再開できる(片手運転は危険、ダメ絶対!)。スーパーやコンビニで買えるような棒アイスでもいい気がするが、お店側もソフトクリームを推した方が儲かる。そういった背景から“サービスエリア×ソフトクリーム”に妥当性が生じているのだろう。

街なかでソフトクリームを食べるのが照れくさい男性陣にとっても「周りがみんな食べているから」と言う理由で、サービスエリアでは買いやすい。おじさんだってソフトクリームが食べたいのだ。そして、周りがみんな食べているから“つい自分も食べたくなる”という連鎖も老若男女問わずに生じているのではないだろうか。

そしていつしか、われわれの中で「サービスエリアに行ったらソフトクリーム食べるっしょ」が多くの人たちの習慣となり、ふんわりとした常識になっていったのでは? というのが、私がネットで見かけた考察たちのひとまずのまとめである。

サービスエリア側も“ご当地ソフト”を販売してソフトクリームファンの心をくすぐる。2022年には、ネクスコ東日本が「あなたはいくつ制覇できる?」とわれらを煽っていた。

ご当地ものに触れると旅が楽しくなるし、提供する側も地元を知ってもらえる。ソフトクリームなら価格も安すぎず高すぎず。見たことも聞いたこともないご当地銘菓と違って、味の大ハズレもない。ソフトクリームはご当地ものとして実に優秀だ。いつの間にかご当地ソフトが世間に定着したのはとても納得がいく。

しかしながら、サービスエリアや観光地の販売店で「昔から売ってましたけど」みたいなすました雰囲気で売られているご当地ソフトクリームが若干気に食わず、ひねくれ精神でバニラを選んでしまうことがある。あるいは「ちょっと遠出したぐらいで別に舞い上がってなんかないからね!」というツンデレ。そしてバニラソフトを食べながら「ご当地ソフトにすればよかったかな」とちょっぴり後悔したりもする。いい歳して困ったものだ。


さて、今回ソフトクリームを題材にしたエッセイを書くにあたって、あれこれと下調べを行うなかで気になる本に出あった。

起業、副業を支援する“大人塾”を運営し、電子書籍を200冊以上出版している「かさこさん」という方の本、Kindle Unlimitedなら0円。題名と表紙の写真があまりにも気になったのでしばらく利用していなかったKindle Unlimitedを再開し、早速ダウンロードして読んでみたら……個人的にけっこうグッときた

ページをめくる度に著者のかさこさんが、旅先で買ったアイスクリームを手にした真顔写真が現れる。大好きすぎていつでも真剣勝負ゆえに真顔なのだという。要所要所に挿入されるシンプルなフレーズの数々も、写真群と相まってドラマチックだ。クスっとさせられる展開もある。「これのどこが面白いの?」という人の方が多いとは思うが、ソフトクリームを愛するプリミティブな情熱が詰まっているというか(大げさか? 笑)、とにかく個人的に刺さった。

恐縮ながら、本書の著者さんをこれまで存じ上げなかったが、何よりも「電子書籍ってこういうのもありだよな」と勉強になった。この企画を思いつくのもすごいし、アイデアを形にするのもすごい。アイデアは形にしてなんぼだ。私は以前からKindle出版に興味があり “出版社に持ち込むほどではないレベルの企画” がそれなりにあるのだが、かさこさんの「真顔ソフトクリーム写真集」を味わって、「自分もさっさとKindleで何かやらなきゃな」という気分になった。

ソフトクリームについてエッセイを書くなかで、まさかKindle出版への意欲が燃え上がることになろうとは。


ということで今回のエッセイはおしまい。暑い毎日が続いていますが、この夏はどれくらいソフトクリームを食べることになるのやら。さて、次のエッセイもトミーくんにバトンを渡します。よろしくー。

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