映画『ミッドナイト・イン・パリ』覚え書き
「今の時代は、空虚で想像力に欠けている」
21世紀に住む主人公ジルは1920年代のパリに、そして1920年代の住人アドリアナは1890年代、ベルエポックのパリに憧れる。
そして、訪れた先、ベルエポックのパリで出会ったゴーギャンの台詞が上。彼は、こう言って、ルネサンスこそが「黄金時代」と語る。
対象は違えど、誰もが一度は想像したことがあったのではないか。
今ではない別の時代に、あるいは別の場所に生まれたい、生きたい、と。
「思い出はミックスベジタブルのよう…」
俵万智さんの短歌にこんなフレーズがあった。
思い出、あるいは直接触れることのなかった「過去」(昔)は、黄金色の柔らかく甘い輝きを帯びて映るもの。それは、本来なら触れることがかなわない、という距離感のせいもあるだろう。
たとえば、パリやフランス関連で、華やかな「ベルサイユの薔薇」の時代に憧れるとする。
だが、現実のベルサイユ宮殿は?トイレがなかったのは良く知られている。
パリも、今のような綺麗な憧れの町…というわけではない。19世紀のナポレオン3世の時代、大改造がされるまでは、暗い、風通しが悪い、細い道だらけで、ゴミや汚物が通りに投げ捨てられる…(うわあ)。不潔で病気の温床のような場所だった。
「今の時代は空虚で、想像力に欠けている」
ゴーギャンの台詞は、まさにジルが、婚約者やその家族、知識人ぶる婚約者の友人などと一緒にいる中で、感じていたことだろう。一方で、婚約者たちにしてみれば、ジルは夢見がちでわけがわからない。ゆくゆく破綻するのは冒頭から見え見えである。
ジルは夜ごとに憧れの1920年代に行くようになるも、最後は自分の時代で、婚約者にも別れを告げて、パリで生きることを選択する。
「ここではないどこか別の時代」ではなく、「今」ここで。
自分の好きな物、価値感を受け入れて。
この主人公の選択が、何となく原田マハさんの『異邦人』とも重なって見えたのは、私だけだろうか?
何にしろ、ほのかな苦みを含みつつも、パリや美術に憧れを持つ私にとっては、夢の世界に入っていくような作品だった。
時間をおいてまた見たい。
そう思える映画に出会えた幸運に感謝を。
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