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不器用な母娘の、愛のバトン

母親との関わり方が、年々難しくなっていく。
母娘関係が良好で姉妹のように過ごしている人たちを見ると、とても羨ましく、胸がギュッとなる。

顔を合わせれば喧嘩になり、気持ち良く別れられることは稀だ。
わかっている。
他人が私に遠慮して言えないような、本当のことを言ってくれるのは、母だけ。
感情の高ぶるままに酷いことを言ってしまった時、「ごめんね」の一言で元に戻れるのは、母だけだということも。

母は、15歳で貧しい農村から上京し、看護師見習いとして働き始めた。いわゆる「金の卵」世代。
自分の稼ぎで夜間高校に通い、正看護師の資格も取り、結婚して子どもを産んだ。現在もバリバリと働いていて、いまだ母の年収を超えたことがない。

そんな戦後生まれの母と、成熟した社会で生まれ育った私の間には、分かり合えない隔たりがある。

「貧しい農村=子どもは労働力」という環境が当然で育った母の方針に従い、小学生の時から母親が仕事の日は家事をして夕飯を作って待っていた。これまで作ってもらったメニューを自分なりに再現し、わからないことは本屋でレシピを立ち読みして身につけた。中学校の弁当も自分で作って持って行った。随分早いうちに、子どもとしては扱われてなくなっていたような気がする。

私は、明らかに周りの子どもとは違ったけれど、気にしなかった。早く大人になりたくて仕方がなかったから、それでもよかったのだ。母は自分が親に中学校までしか出してもらえなかったコンプレックスから、教育費だけは惜しまなかった。ただ、高校に上がると親に学費を払ってもらっていることすら「甘え」ではないかと、常に後ろめたい気持ちに捕らわれるようになっていた。

大人になってから周囲を見て気づいたのだが、母親が強く厳しいと、娘は自己肯定感が異常に低く、生きにくさを感じながら暮らしていることが多い。どこか自分に似ているな、と思う友人と話してみると、皆、強烈な母親をお持ちなのだ(笑)「生きているだけて素晴らしい」と、存在を全肯定された記憶がないから、どんなに頑張っても満足できない。どのタイミングで自分を認めてあげていいのかわからないのだ。体を壊すまで、頑張りすぎてしまうタイプの典型かもしれない。

よしながふみ「愛すべき娘たち」は、そんな母娘関係の本質を突いてくる。

様々な「母」・「娘」の形、家族の中での「娘」の形。
産まれた時から濃厚な時間を過ごしてきた母親は、大切な子どもに自分が経験した困難や後悔をさせないよう、必死に闘っている一人の不完全な女に過ぎない。「母親も一人の女である」という当たり前の事実は、濃厚な関係性の中で、身近すぎて見えなくなってしまう。祖母も、不完全な一人の女として母を育てた。母も、不完全な一人の女として自分を育てた。そんな、女たちが受け継ぐ不器用な愛のバトンを、切ないほど優しく、残酷に描き出している。

その愛のバトンは
説明が省かれて、娘には理不尽に感じてしまうこともある。
時代が変わって、娘には見当違いになっていることもある。
想いが強すぎて、娘には呪いの言葉になることもある。
それが重なって、母娘関係はこじれていくのだ。

この本を読んでから「母も、誰かの娘だったのだ」と思えるようになった。

動物園の動物も、人間に育てられてしまったら、自分の子どもをどうやって育てたらいいのかわからなくなるという。母も、私が15歳までは親の真似をして育てることができた。でもそれ以降、自分も母親の姿を見ていないから、どうやって向き合っていいのかわからない。せめて、自分に足りなかった教育だけは娘に受けさせてあげたいと必死に働いていただけなのだ。

すべては、不器用な母の愛のバトン。

生きにくそうにしていた娘たちは、自分の存在を全肯定してくれるパートナーと新たな家族を作り、満たされ、母親になっていく。そして、自分が母親から受けた不器用な愛のバトンを、また不器用に繋いでいくのだ。

30半ばにもなって、母と喧嘩をして帰ると、この本を手に取る。
そして、「ごめんね」とメッセージを送る。

母が元気でいてくれるから続く、面倒くさい関係。
私は、あと何回「ごめんね」と言えるだろうか。

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