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【乳がん体験記#8】なぜ私はあのタイミングで乳がんにかかったのか

私が本気で乳がんからの卒業を目指し
元気を取り戻した軌跡をつづっています。
あくまでも個人の体験談です。

前々回の記事

大腸ではなく胃でもなく、
なぜ乳房にがんができたのか?

に加え、乳がんになったタイミングについても
しっかり意味があるので
ここも精神分析が欠かせない点となりました。

今回は、私が40代前半で乳がんにかかった理由
についてです。



■なぜあのタイミングで乳がんになったのか?

精神分析で炙り出された
なぜ私は40代前半で
乳がんになったのか?
の答えは大きく分けて以下の2つです。

①仮面をかぶった夫婦生活に感じた孤独と限界
②年齢的に「産む」ことができなくなる恐怖

仮面をかぶった夫婦生活に感じた孤独と限界


女性性を抑圧し
自分らしさを押し殺し続けてきた私は、
いつも満たされないような、
意図しない人生をなぞっているような、
常にそんな感覚で生きていました。

前回の記事で書いたように、夫に対しても
女性性を封印した自分で接していたので、
女性性を解放した本当の自分ではなく
偽りの自分が愛されている感覚でした。

なぜ夫にまで女性性を抑圧していたのか?
それは、女性っぽい自分を出したら嫌われる
という恐怖観念があったからです。

なぜなら夫が
「母親の愛情不足による女性嫌い」
だったから。

女性嫌い。
そう、私の母親と同じ。

ここでも受け容れてもらうために、
愛してもらうために、
私の男性らしい振る舞いは
ますます加速していく
のでした。

「感情や主張を表に出さないし
物分かりもよくて合理的で、
私って一緒にいてラクでしょう?」などと
自分自身に花丸をあげていたものです。

夫はまるで逆で、私の前では超自然体。
小5男子に戻ってしまいます。

夫は、しっかりした企業の管理職で
上司や部下からの信頼も厚い人。
テレワークをしているので、
仕事がよくできる姿を見ているのですが、
私の前ではその大人の男性は
完全に影を潜めています。泣

経済面などは夫の方が上でしたが
精神面では私が母で夫が息子のような状態。
私が何に悲しみ、何を嫌と感じて、
何に興味があって、何を望み、
何を感じ、何を考えているか
夫はほぼ気にしていません。

息子が母親のそんなことを想像せず、
無邪気に甘えているのと同じ状態です。

ですから、私が何かを訴えても
建設的な話にならないんです。
真剣に話をしても、何を言っても
無邪気で的外れな言葉しか返ってこないし
いつも暖簾に腕押し状態。

子どもを持つか持たないかという
夫婦にとって大切な話をしようとしても
いつも先延ばしで話し合いができない。

やがて、ふとしたときに上述のような
どうしようもない孤独感は
ごまかしようがないくらいに
膨らんでいきました。

年齢的に「産む」ことができなくなる恐怖

出産に対する葛藤で書いたように
私は深層心理では子どもを望んでいました。

さらにいえば、
「女性であること」の価値を噛み締めたいと
深層心理では望んでいました。

女性らしさを封印して生きてきただけに、
その欲望はリバウンドしたかのように
年齢的なリミットが近づくごとに
みるみる肥大化していったのです。

表層心理と深層心理のアンバランス感に
言いようのない苦しみが募っていきました。

夫とは子どもをつくるかつくらないかの
真剣な話し合いすらできない。
じゃあ、あきらめる?
そもそも夫は子どもを望んでいないし、
困らせちゃいけないよね。

そんな気持ちで葛藤をなだめる日々。

一方で、私は子どもの頃から
漫画や物語、詩、小説を書くことが好きで
小説家になりたいと
漠然と考えて生きてきました。

でも自分にとことん自信がないゆえに
そんなこと私が実現できるわけがない。
もう40代になってニーズもないし。

ここでもやはり、
理屈で自分の気持ちを捩じ伏せようと必死です。
でも何らかの形で作品を創りたい気持ちが強く、
その欲望は膨らんでいきます。

ふたつの「生む」に対する葛藤。
40代に入ってあらゆる可能性は狭まり、
焦燥感は募るけど、どうしようもできない現実。

子どもを持ちながらも
生きがいを感じられる仕事をしている
女性がいる一方で、そのどちらもない自分。

私は女性として、人としての無価値感を
さらに強固にしていきました。


■追い詰められた状態でも母の教え「人への奉仕」を優先に

その頃の私は、深層心理なんて
概念としては漠然とした知識はあったけど、
まさかここまで表層心理と乖離していて
自己防衛が歪んだ形で現れるということは
まったく想像できていませんでした。

私の深層心理ではかなり大きなひずみができ、
孤独を感じ、女性として、ひとりの人間としての
限界や無価値感、絶望感が育っていたのに、
それに対して対策を講じることは
一切しませんでした。

それらを奥へ奥へと封じ込めながら
母の生き様であり、同じ女性である私にも
押し付けられた
「自己犠牲」「人さまへの奉仕」を
従順になって守り続けるのでした。

本当の自分の気持ちや望みを見ないようにし、
自分を取りつくろい、
自分にも他人にも自分を偽り続け……

結果、私の精神は爆発し
乳がん発症へとつながっていったのです。








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