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ベトナム~1か国目~ 学校に行けない兄弟との出会い

独身の頃PEACE BORTに乗船したことがあるので回想してみようと思う。

神戸から乗船し、初めて降り立った国がベトナム。ダナンの港に寄港し私が参加したのはキラ村というベトナム戦争で一番被害を受けた村へのホームステイだった。

枯葉剤の影響で障害を持って生まれてきた子供たちがたくさんいてお爺さんが村には一人しかいないのだ。男の人たちはベトナム戦争で戦死してしまった人がほとんどだという。そして、みんな笑顔で迎えてくれた。

障害を持った人たちが働いてる施設を見せてもらい。どんなに頑張っても値段相応では買い取ってくれない現実を知った。

そして、その日泊まらせてもらう家につきご飯をごちそうになった。野菜中心の日本人にも食べやすい味付け。

夜は冷えてないビールで乾杯。冷蔵庫がないキラ村では常温ビールが普通だそうだ。初めての体験でそれほど喉を通っていかなかった。

ベトナムではご飯を残す方が招いた人は喜んでくれるというが、いつご馳走様としていいかわからない。食べても食べてもお皿一杯持ってきてくれるのだ。日本で残しては失礼という習慣で育った私は困惑した。

夜はカエルや虫の鳴き声以外聞こえず周りに光がないので満天の星が見えた。日本でみる夜空とはまるで違った。

そして、泊まった次の日の朝早く目が覚めたので散歩していた時に出会った男の子が印象的だった。学校が一つしかなく村の中でもいける子といけない子がいるように見えた。

私が出会った兄弟は学校に行けない側だった。兄は足首に障害があり理由は聞くまでもなく枯葉剤の影響だった。小学校高学年ぐらいの背丈で大人でも大きな自転車にまたがり弟を後ろの荷台に乗せ立ちながら漕ぐのだ。言葉にできないなんともいえない気持ちになった。

それでもこの瞬間出会えたのだからと思い、何か私にできることはないか考えてたが、ポケットに入ってた一つしかない飴を渡すのが精一杯だった。そのお兄ちゃんは一つの飴を弟と分けるために石で割り弟に半分わけたのだった。何か忘れていたものがここにあった気がした。

私は一つの飴しか渡せれなかったのに大切なことを教えてもらってしまった。自分のできることの小ささに涙が出た。

1カ国目からこんなにも心が揺すぶられると思っていなかった旅の始まりだった。



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