見出し画像

あなたにとって故郷ってなにか?


#ふるさとの風景

 よくふるさとといえばあの山でウサギと食べるエピソードの歌を思い出す人が多いと思う。(小学校の時のギャグ)

これは集団就職で都会に来た人たちが自分たちの田舎を思い出すからだと思う。

俺が問題提起するのは故郷=田舎ではないだろということで、そもそもそれがアニメとかドラマで縛られた概念だと思う。そして、俺も地方出身でもあるため東京にはあこがれて田舎が故郷の概念だとかんがえてしまう。

 だから、ウサギもとれるあの山も小鮒も釣れるあの川っていうのが故郷だと思うが、やっぱりこれは固定概念だと思う。

これからは俺が思っていることを書いてみる。

1.故郷とは

 1-1田舎が本当に故郷か?

 まず、田舎とは何か広辞苑によれば都会から離れた土地。在郷・故郷 

また違う意味では知識に乏しいものを田舎者ともいう。

それは大都市圏といわれるところを除けばみんな田舎である。山郷に暮らすものにとっては地方都市でも都会だと思うし、東京になれた人間にとっては日本三大都市のひとつである名古屋さえも田舎だと感じる。

東京区民にとっては立川は田舎だとよく言っているが経済都市圏で言えばそこら辺の地方都市なんかよりも大きいしなんせ多摩地域で一番の駅の利用客数を誇っている。立川駅の乗降者数で言えば約16万人 愛知県で言えば西尾市、岐阜県で言えば大垣市並みの人が一日利用している。大体、広島駅と同じぐらいで駅前にデパートやモノレールが走ってたり、私鉄があったりと全然違う。

つまり、どういうことを言いたいのかというと

・あなたにとって故郷は本当に田舎で合ってるか

・田舎の酌量

・故郷の固定概念


 1-2都会だって故郷だと思う

  都会生まれにとってはそこが故郷であり地元愛にあふれている人だっている。一見、都会って故郷はなくないと思われるが山手線内民だって世田谷区民だって港区民だって芦屋だって横浜だって自分の住んでいるところには誇りを持っている人が多くそれが故郷の景色だと思う。

こっちだって交通の便はよく高級住宅街、電車も1時間に何本の世界であるが、その人達にとってはそこにステータスを持っておる。そこが彼らにとっての故郷の概念であるかもしれない。

 つまり、故郷の風景って田舎だけだと思っている人は都会でもいいじゃないかといいたい。

 1-3故郷は本当に自然豊かの山郷、漁村地域なのか

 自然はやっぱりいい。鳥のさえずり、何もないところで都会民にとってはあこがれる。そこで農業をやっている人、林業をやっている人、漁業をやっている人そして働いている人は大変ながらもよくやっていると思う。

 彼らにとってはそこが故郷でありいろいろな集会でそのコミュニティーを維持しながら生きている。

 都会と比較してみたらやっぱり違う。田舎で無償でやっているサービスは商売として成り立っている。正直、正月に甘酒を買うのなんてバカバカしい。野菜だって無料でもらえる。しかし、彼らにとってはそれが成り立ちであり、そいつらは大抵地方からの住民である。

よく東京は地方民も集まりといわれるのはそのことの所以であり、都会に住みたい、夢をもって田舎から上京、大手商社就職、官僚に入庁、都会の大学に入学などたくさんある。

そして、その大抵がUターンすることもなくIターンが多い。

まとめると

・故郷の景色は決して田舎だけではない。それを作り出しているのは地方から来た人たちでそれに共感した人が多い。

 実際に東京都の人口といえば現在は1億30000万人いるが昭和31年では800万人であった。その時は高度経済成長期であり集団就職の時代であり、日本の人口が増えた時期でもある。それから爆発的に伸びて、山の手郊外も開拓、ついでに多摩丘陵の開拓、埋め立て地の開拓など団地、マイホーム、タワーマンションなど時代に合わせて変わっていくが、確実に東京は人口が減ることはない。(ただし、少子高齢化により人口は減っている。)

戦前は新潟県が一番人口が多かった。面積的にも広いし越後平野を有しておりお米の産地でもあるから仕方ないね。

 1-4お国問題

 故郷の風景で我々の県はなになにが自慢だとかいう人が増えている。

 47都道府県全然違う文化を持っているし、それぞれの県で全然違う。東海地方でも愛知県は尾張・三河で全然違う。岐阜県でも美濃地方・飛騨地方で全然違う。三重県でも桑名や四日市は名古屋だけどJR東海管内を過ぎれば関西地方である。(ちなみに近畿に三重県が入っている。) 静岡県は西部・中部・東部で違う(大体川文化であり大井川・富士川で変わる)

 富士山にとっては静岡と山梨で争っているし、北海道は北の大地ですごい場所だと自慢できる。沖縄は独自の琉球文化があり、都民にとっても全然違う。それは日本が東西南北に長く沖縄や小笠原の亜熱帯地域や北海道の冷帯地域がある。そのため、野菜もリレー栽培ができるのも強みであり、砂糖精製に関ても南はサトウキビ、北は砂糖大根(甜菜)が作られている。ただし、砂糖はほとんどが外国産ではある。

東京都民が大阪や地方を馬鹿にする番組もあるがそれはある意味大阪や地方の独特な文化がすごいと感じるからである。(地方のコミッショナーを介していることも入っているが)

これはまでは田舎と都会の出身地についての故郷の風景を述べてきたが、今度は転勤族にとって故郷とは何かを述べたい。

2.転勤族にとっての故郷

 2-1出生地=故郷?

 出生地は東京だが私はいろいろと転勤して故郷という概念はないという人もいるだろう。その人にとっては高校や大学の寮が一番長いからそこが私の故郷だという人もいる。たまたま就職したところがそこが故郷だったりする。俺は静岡に来て早2年。もうそこが故郷のであり焼津港や茶畑が故郷の風景でもある。最近では富士山も故郷の風景になってる。名古屋にいたときは栄や大須が故郷の風景であった。俺はやっぱり岐阜が住みやすいと思う。

 2-2出身地とは

 俺にとっての出身地はどこか。それはジャパンとしている。なぜなら転勤しているから。国籍や本籍地もしっかりあるが(頭の悪い俺には全く理解できないけど。)おんなじ日本人でもマルチリンガルで世界で飛び回っている人はグローバルという考えを持っており出身というくくりはない。実際、フランスに行けばどの民族であっても出生すればフランス国籍である。俺は日本人であるが東南アジア人だとよく間違えられる。実際海外に行ったことないから知らないけど。

 2-3故郷の概念をあえて持たない考え方

  故郷といえば出身で言えばというものがある。東京に出た時には、みんな東京都民になるだろう。それは大抵の人は東京で暮らすし住民票を移すからである。都会では何かの縁がなければ地元の出身者とは会わない。

 地縁では親、兄弟、友人、クラスの同級生、部活の先輩・後輩など様々な形である。それは人間関係やキャラクター、能力などで田舎や都会とは関係ない。むしろ都会のほうがそれを発揮する人もいるだろう。しかし、都会では人口が多いゆえに個人のプライバシーもあるため簡単にはそれには合わない。むしろ変人に会う確率だって高いのであろう。詐欺師だって田舎よりも都会のほうが多いし、下手をすれば当たる可能性だってある。(営業自体も詐欺師みたいなものだし。) そして、それに関しては田舎では無料や必要のないものでも、都会では金を払ったりしてサービスを受けたりする。あと、他人は他人で疎遠だったりすることもしばしばである。

3.地元愛とは

 3-1地元愛って何?

 ・2番で述べた地元愛とは何か?

 地元愛とはその出身である地元を愛することであり、そこに住んでいる人たちはその土地を愛している。だから、一生そこを離れないし故郷の風景はそこだと感じる。そして、芸能人も地元を愛してそこから仕事に来ている人だっている。だから、東京で地元のアピールができる。

追記、そうすれば話題がかなり広がりそれから友達が増える。観光にだって来れるし案内だってできる。

 ・似非地元愛もあるの?

  例でいえば地元愛といいながら東京都民としてずっと暮らしている者。彼らにとってはどこまでが地元愛があるか。営業だけで実は全然地元を愛している奴がいないという似非地元愛者もいるだろ。

追記としては確かに都会は住みやすい。そして、将来帰らずにそこに永住する人も多いだろう。過疎化するぐらいなら都会に住めいいと俺は思うけど。

 ・どこまでが地元愛なのか

 大抵、田舎ではお前はどこ中だとかどこ高だとか言われる。入学試験で入らない学校でない限りその話題は出るだろう。転勤族にとっては卒業した学校がその中学であるが高校が他の県であればまた話題が違うのであろう。(スポーツ、勉強推薦で入るのは別だが)

 あとは、転校したら大抵いじられるのであまり学校の話題は出さないでくれと俺は思う。学校生活はブラックで過疎っていた日々でしかなかったため。

追記、今考えればアニメとかアイドルとかに走ってればよかったな。陰キャの俺にとってはこれがあってるかもしれんし、エロを全開に出しとけばよかったと思う。

これは地元愛であり橋本愛ではない。(橋本愛可愛い)

 3-2都会のコミュニティーの過疎化について

 都会の人は冷たいのは現状である。なぜなら自分は自分であるから。それは東京行ったって、名古屋に行ったってわかっている。基本、おせっかいな奴は都会には少ない。他人に干渉されたくないのも一つだし、何者にわからない奴についていくのは危ないからである。東京は人口が多い。助けるときは助ける。しかし、それまでであり面倒を見ることは少ない。

消防団や陽キャ、引きこもりじゃない奴、クラブに入ってる奴については交流関係が多く都会で成長してもしかしたら人生一攫千金狙えてヒルズ族、好きな芸能人と結婚まで行けるかもしれないがそれは本当の一握り、宝くじが当たるかどうかのもんだいぐらい確率が少ない。パチンコのように回転率を上げて期待値を大きくしても結局すってしまう。(経験値として学習すればいいのだが)

・もしも、お隣さんが迷惑な人ならどうなんだろう?

・都会は地方の集まりだから知らなくて当然。

・都会は人が多いあの子をナンパしたら成功するのか?

他にもいろいろあるが、そんな感じで様々な問題がある。

 コンビニの店員だって接する客は客だし、変人でなければいちいち顔なんて覚えてられない。自分の職場の人でしかコミュニティーがないし、大企業になればだれが誰なのかよくわかんない。存在が薄ければもっとわかんない。そして、地縁というものがなければフリーダムだし自分のエゴで動くことが可能である。だから、新天地として都会に出ていく人もいるし一旗揚げたいひともいるであろう。

追記、俺が東京にあこがれる理由

自由 何でもある 給料高い イベントが豊富

全国どこでもアクセス可能 楽しい

 東京が嫌な理由

物価高い ボッチ 何でも盛る 冷たい 治安悪い

 3-3田舎はめんどくさい

 田舎は親戚の縁、地縁、地域の格差などでめんどくさい。都会では自由に行けるものだが田舎ではお隣さん、おむかいさん、親戚の誰々で縛りが強い。都会では金払えばサービスをそれなりにサービスしてくれるが、娯楽がないあってもパチンコ、カラオケ、大型ショッピングモールで観光というものが少ないし、遊びに行けるものだって限られている。あとは全部自分でやらないといけない。

 変なことをすればすぐに伝わるし、昔は村八分という言葉もあったぐらいだ。それになれている人ならいいけど、都会から来た人に関しては郷には郷に従えという言葉があるように田舎にあこがれてもなかなか伝わらない。都会の人は田舎に定住することは少ないし、慣れた土地が一番である。

追記、住めば都という言葉があるが俺はそれでいいと思う。少し変だって、少しおかしくたって何かなくても自分で何か生み出せるかもしれない

4.自動車社会・電車社会

 そこで少し話題がそれるが田舎では車は必須である。それは、公共交通機関が少ないからである。都会であれば公共交通機関が充実して電車で移動が多いしそれなりに儲かるようになっている。もちろん都内の人も車を持っている人が多いが、人口に対しての道路が少ない(名古屋は別だが)、維持費が高い、そもそも車なんていらないなど理由で車を持たない人が多いのであろう。実際、車の維持費は馬鹿にならない。ガソリン代、税金、車検代、保険その他もろ込みで給料の半分以上消える。(俺は原付しか持っていないが。)事故なんかしたらとっても大変であり、そんなのに金をつぎ込みたくない。

追記

・金ない奴が車なんて買えるわけないだろ?

田舎では必須だがそんな過疎地ではない。そもそも過疎地は移住促進すればいいと思う。車だと人殺しもあるから乗れない。

・通勤電車に乗っている人は大変だ

毎日、人ごみに紛れて乗らないといけないのも酷である。男であれば痴漢冤罪のリスクもある。

どっちにしても酷だ。

5.故郷の概念とは

 5-1出身地=出生地

 出身地と出生地そして、現在暮らしている人がこの土地を語ればそれはその人の故郷であり、よい故郷の風景もそこにはある。これは誇りに思うことでもあるが、その土地でしかないという悲しみもある

 転勤族にとってはその土地の愛があるかどうかで決まると思う。もしも、愛があればそれがその人の故郷の風景であってもいいと思う。

 転勤族でも枠に囚われない人もいるそれは故郷の風景がどこであろうと関係ない。いい風景が故郷の風景であろう。たとえ都会であっても。

転勤族がいいのはいろんなところを見ていること。日本を様々な角度から見ているから面白い。定住だけが取り柄という概念はもう捨てていろんなところに移ってみるのもいいが、残念ながらそれなりの能力も必要である。 

 5-2第二の故郷

 よく、移住して第二の故郷とか言っている人がいる。はっきり言って地元民にとってはだ他のよそ者である。しかし、それで成功して認められれば英雄としてあがめられる。

 そんなことしなくても、自分がここがいいと思えば第二の故郷としてブックマークするのもいいだろう。そうすれば、第二の故郷、第三、第四として候補が上がる。そうすれば、観光としてここに訪れることも多いし、定住してくれるかもしれない。そんな、ビックイベントをやっている地域を見つけたい。

 5-3あなたにとって故郷とは

 あなたは言えるか?

俺は言えない。しかし、今は静岡にいるので静岡という。

転勤族にとってはそういう枠に囚われなくて日本が正解であると思う。

なぜなら、それだけ日本を多方面から見れるという強みがあるからだ。

グローバル化社会になればたとえ日本人であっても私は日本という概念はなくなると思う。大相撲だって今は横綱はモンゴル出身力士(日本国籍取得)、これからはハーフだろうと関係ない。その中で生きていかないといけない。


6.故郷の風景

 故郷の風景は本文に乗っているようにどこでもあってもいいと思う。

大自然の山、都会のオアシス、城下町など。

結論としてはそれを付けるためになんだかんだといったけど、正直十人十色でそれで概念に合わないのは縁がなかったしか言いようがない。

しかし、勘違いしないでほしいのは故郷は地元じゃなくてもいいし、それに気にったものであれば都会や田舎など関係ない。ただし、日本の多くは山林で大自然である。その中で暮らしたりあこがれたりする人が多い。だから、故郷の風景は田舎のほうが大多数になるしその中でも都会であればそればマイノリティーの個性になるだろう。

出身は大切にしてほしいのもあるが、これからは出身だけではなく枠に囚われないグローバル化社会になり俺はどこだかの選択制になるかもしれない。そうなったときには出身という概念はあるが選択的に自分がどこになるか選ぶ権利も出てくる。そうなったら日本はどうなるだろうか?

故郷の風景でここまで行ったのは論外でもあると思うが、これからどうなるかこの記事を読んだ人はがんがえてみよう?

これからもテキトーにつぶやくぜ