ぼっちの東海道歩き旅 その19〜池鯉鮒宿→宮宿〜
あけましておめでとうございます。いつも年末に歩いている東海道旅ですが、今回は年始まで長〜い休暇があるので、年始に歩いてみることにしました。
休暇でお金がもらえるサラリーマンの立場も残りわずか……お休みのありがたさを噛み締めましょう。
前回はこちら↓
前回は酷暑のお盆真っ只中でした。クラクラしながら騒動渦中のビックモーターを見つけて、ひとりはしゃいだりしていましたね。なつかしい。
途中断念した池鯉鮒(ちりゅう)宿、もとい、現代の地名である知立(ちりゅう)駅からスタートです! やっぱり読めないわ!!
池鯉鮒宿→鳴海宿
知立駅から東海道に入り少し歩くと、知立神社という少し大きめの神社に遭遇しました。
神社の中心には小池があり、泳ぐ鯉の真ん中には、天に向かって立ち昇る鯉の石像。登り龍って感じで辰年にぴったりではないですか!
そういえば、謎の難読地名「池鯉鮒宿」の鯉ってもしかしてこれか……?と思って調べてみたら、やっぱり。
まさにこの神社の、この池のことでした。食用として鯉がおいしそうだからという由来だったとはなあ。
夏はぜんぜん周れなかった池鯉鮒宿、こんなところでルーツに触れられるとは思ってませんでした。神社寄ってよかった。
お!立派な一里塚だ!
と思ったら反対にも!
ここまで東海道を歩き続けていると、一里塚が見えるだけで嬉しくなりますし、ちゃんと木が生えているともっと嬉しくなります。それが両側に!
実は東京〜京都の東海道のなかで、両側の一里塚が現存するのはここと、夏に通った反対側の入口のみらしいです。やるじゃん池鯉鮒宿、オンリーワン。
池鯉鮒宿を抜けて工業地帯をしばらく歩くと、なんだか聞いたことのある場所が……。
「どうする家康」見といてよかった〜。あの桶狭間ですね。広い野原でもあるのかと思ったら、小さく平和な公園でした。今川義元のお墓に参って、先へ進みます。
日本遺産 有松
道中、突然現れたのれん。
最初は誰かの苗字か?なんて思いましたが違いますね。東海道の宿場町や間の宿でもないみたい。
ぜんぜん予習せずに来てしまいましたが、昔の街並みが残る立派な観光地でした。あちこちに「ありまつ」ののれん、立派な家屋と蔵があり、ガイドさんと観光客がいます。
古い街並みを保存している地区だということは見て分かりました。でもどうして?あちこちにいるガイドさんの説明を盗み聞くと……「絞り染め」とな?
「絞り染め」はこれか〜!これが名産ってことか〜!
「そんなことも知らずに歩くな」って言われてしまうかもしれませんが……まったく調べずにたまたま観光地に入り、徐々に全貌が分かっていくというのも、これまた謎解きのようで新しい楽しさがありました。
有松の街並みが途切れると、すぐに一里塚。やっぱり、まだ鳴海宿に入ってもなかったんだ。
鳴海宿→宮宿
有松が観光地としてかなり気合が入っていた一方、鳴海宿はとてもシンプル! 住宅街でした。メリハリがついていていいと思います。
見どころは上の写真の高札場と、一里塚、あとはまさかの縄文時代の貝塚もありましたね。
鳴海宿を出ると、もう日が傾きはじめました。まずい、日が沈む前に海まで出たいんだ……。
宮宿のある熱田エリア、栄えてる! 道の広さがなんとなくお台場や横浜ベイエリアを思わせます。やっぱり海の近くだからかな。
そんななか、脇道に宮宿の本陣跡があったのですが……
駐車場でした。こういう宿場町もありますよね。
気を取り直し、宮宿のメイン、「七里の渡し」へ。江戸時代、宮宿から桑名宿は船での移動だったそうです。今では渡し船は存在せず、海は埋め立てられてしまいましたが、かつての渡し船着場跡が公園になっています。
ギリギリだった〜。船着場に着くと、無性にホッとしました。きっと江戸時代の人も痛む足を引きずりながら、「ここからはもう、桑名まで船に乗るだけだ」と安堵したに違いありません。
……現代は船がないので、まったくゴールではないのですが。まあよいでしょう、今日はおしまいです!
歩いた結果まとめ
※参照サイトがなくなってしまったため、別のサイトから拝借しています
記載の通り、明日の桑名宿は「陸路の東海道」が存在しない区間なんですよね。どこ歩いてもいいってことだけど、どうしようか、なんにも考えてないな。行き当たりばったりですが、とにかく桑名まで辿り着きます。
東海道歩き旅 つづく
次回はこちら↓
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