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6冊目『平面いぬ』/乙一

 夏といえばホラー。実に短絡的である。
 けれど夏になると、無性にホラーな作品や番組が恋しくなってしまう。映画なら『ミザリー』に『シャイニング』、『IT/イット “それ”が見えたら終わり』、チャッキーが可愛い『チャイルド・プレイ』。最近観た『キャリー』は、恐怖に慄くどころか爆笑したので推しホラー映画から除外。替りに『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の名前を上げておく。
 ジャパニーズホラーも、勿論外せない。嗚呼、毎夏放送されていた心霊写真と心霊映像の特別番組が懐かしい!
 昨今は以前ほど頻繁に特番として組んでくれないのが残念で仕方がない。それどころか例え放送しても、如何にも作りの物めいたリアルさに欠けるものを「投稿された写真(若しくは映像)」として流すのだから頂けない。白いワンピースを着た長髪の女らしき姿が、突如部屋の隅に現れたら、そりゃあ驚くでしょうよ。実態の有無など関係なく怖い。
 そう考えると、霊だとか呪いなんかより、生身の人間によるストーカー案件や無差別殺人の方がよっぽど肝が冷える。いつかに読んだホラー小説の後書きにも書かれていた。全体的に青白い見知らぬ不気味な女よりも、ホッケーマスクとチェーンソーを装備して佇む男の方がヤバいのは明白だ。
 しかし、それでも私は求めてしまう。非科学的で超自然的な恐怖を。あるいは人間の醜く愚かな部分を煮詰めに煮詰めてドロドロにした、醜悪と憎悪に塗れた身の毛のよだつ、けれど不可視の説明不可能な恐怖を。
 背筋が凍るエンターテインメントを。求めてしまうのです。ゾクゾクしたいのです。

 じゃあ、ホラー小説を読もうか! と本棚を漁ってみるものの、予想外なことに全く見つからない。
 可笑しい。小学校低学年の頃、『幽霊屋敷レストラン』なる児童書(高校を過ぎて『怪談シリーズ』と呼ばれていることを知った)にハマって、怖い系の小説はそれなりに読んでいると記憶しているのに。ジャパニーズホラー映画代表『リング』と『らせん』の原作本も読み、成人してから何年も経って「これ怖えから読め!!」と全力で勧められた『黒い家』も、「小学校二、三年辺りに読んだな」と覚えているのに。何故か現物が一冊も見当たらない。
 冷静に考えれば、当然だった。当時の我が家は、児童書はおろか漫画でさえ「これ買って!」と強請れない空気を纏っていた。本は図書館で借りられるのだから、そこで借りて読みなさいって雰囲気があった。だから学校の図書室や、市立図書館を利用した。近所の大型書店でこっそり一冊、立ち読みで読破したこともあった。(立ち読み利用した本屋には全力でお詫びしたい)
 なので、ホラーに没頭した幼くも淡く輝く、青春時代の一部と言える書物は手元に一切ないのである。切ねえ。

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 唯一、所持する本達の中でホラーと呼べそうなのが、今回取り上げる乙一の著『平面いぬ』である。
 実の所、たいへん不本意である。私は本書を、ホラーと位置付ける事は出来ない。まあ、本書自体『ファンタジー・ホラー』を謳っているので、こいつぁホラーだぜ! と宣言しなくて構わぬだろう。ホラーじゃない。
 何故か。愛に溢れているから。
 本書は短篇集である。各話に、かの有名な視線を合わせたものを石に変えるメデューサだとか、玩具に意志が宿るトイストーリーめいた要素が含まれていたり、イマジナリーフレンドが実態化したりタトゥーの犬が勝手に動き出したりする。どの話も不気味だったり不可思議な内容なのだが、「ひぇ、こわ」なんてことはなく。寧ろほっこり心が温かくなる。
 一番ホラーっ気の強い一篇目『石ノ目』でさえ、読了後は「はー、切ねえ」という気分になる。『BLUE』なんて切なさが過ぎて涙が出てきた。語り過ぎるとネタバレになるので割愛する。けれど、本当に泣けるし愛しかない。この一冊には、いろんな愛が詰まっている。

 忖度はしないが誤解を招くのも嫌なので言わせて頂く。決して面白くないわけではない。普通に面白い。
 いつだったか周囲で発生した“乙一ブーム”に乗り切れなかった人間なので、私が読んだ著者の作品は本書と『銃とチョコレート』のみ。作者贔屓で「面白い!」と擁護しているわけではない事をご理解頂きたい。
 それどころか、私は物足りないと思っている。
 ホラーに愛など不必要とは言わないけどさあ、泣かされたいんじゃないんだよ。ゾクゾクしたいんだよ。(この日を境に吾嬬のホラー小説を探す旅が始まる)
 
(了)


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