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1冊目『火花』/又吉直樹

「芥川賞と直木賞は面白くない」とは、母の言葉だ。
 吾嬬家で一番の読書家である母は、この二つの文学賞でメディアがそわそわし始めると、決まって嫌そうな顔をしながら「仰々しくやってる割に、読んでみたら案外つまんないのよね」と呟く。
 彼女の芥川賞・直木賞嫌いは根強い。アレルギーと言っても良い。だから我が家の所蔵書には、芥川賞や直木賞を受賞した作品は一冊もない。いや、もしかしたら把握していないだけで一冊ぐらいはあるのかもしれない。けれど、知る限りでは『第○○回、芥川賞受賞作』の帯が巻かれた本も、本屋に特設された『芥川賞・直木賞コーナー』で足を止める姿も目撃したことがない。
 ちなみに、母の親戚から芥川賞受賞者が一人排出されているらしい。その作家とアレルギーに何らかの因果があるのかは不明だ。多分ないと思う。

 そんな母親の影響を、私は強く受けた。所謂『刷り込み』というやつだ。
 受賞作コーナーに整然と並べられた表紙を眺めることはあっても、手に取ることはなかった。立ち読みなんて言わずもがな。二〇〇三年、芥川賞の最年少受賞記録が塗り替えられた時でさえ「へえ、そうなんだ」という関心の薄さだった。
「お母さんが『つまんない』って言ってたから、間違いなくつまらない」
 そう信じて止まなかったのだ。
 加えて『周りがみんな読んでいる本は読みたくない』という謎の反骨精神が、自分を文学賞から遠ざけていた一因でもある。ミーハー根性に負けてたまるか、と。メディアに煽られて、さして興味のないのない芥川賞、直木賞の受賞作にハイエナの如く群がる。そんな輩の仲間になどなりたくない。そういうのはW杯だけで十分だと考えていた。

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 本書──又吉直樹著の『火花』を購入する際も、同じ思いに駆られた。
 お笑い芸人が書いた本が芥川賞候補にノミネートされる。このニュースだけでも大きな注目を集めていたように記憶している。
 当時の私は「又吉さんって、あの又吉さん?」と、ちょっと驚いた。というのも『芥川賞=つまらない』の方程式以前に、又吉さんについて詳しく知らなかったのだ。読書芸人という認識はあった。芸人仲間とルームシェアしていて、その同居人に小説の朗読をしているらしい噂も聞いたことがある。けれどまさか、実際に執筆活動をしていたとは。驚きだなあ。「ピース」のネタを一つも知らないのが残念だと思った。(「ピース」の漫才は未だに見た事がない。相方さんが帰国したら是非、テレビでも劇場でも良いので漫才を披露して欲しい)
 見事『火花』は一五三回目の栄冠に輝いたわけだが、私が『火花』を購入する決断したのはブームの熱りが落ち着いた頃だった。落ち着いたといっても本屋の文芸書ランキングで三位とか、四位辺りにあった気がする。
 書評家も含めて様々な人が、うんざりするほど「『火花』面白い!」と褒め称え「さすが又吉大先生!」と賞賛するものだから、「絶対に買わんぞ! 絶対にだ!」と誓っていたのに。如何して買ってしまったのか。それは、書き出しが滅茶苦茶好みだったから。あと、その日訪れた本屋が「行きたい」と思い続けていた大型書店だったから。念願が叶った歓びにテンションが爆上げされていたお陰である。

 購入から約三年半過ぎ。やっと読み終えることが出来た。読むのに費やした時間は五ヶ月だった。
 その感想は「総合的に面白くない」
 人間味溢れる奇想の天才・神谷さんと、神谷さんに惹かれて師と仰ぐ後輩徳永。お笑いとは何か。人間とは何か。哲学的なことを考えながら先輩命令の『伝記』を書くべく、徳永は神谷さんのことをノートに綴る……。
 冒頭一行目は本当に良かったのだ。非常に好みな始まり方だった。でも、それ以降、読み進めれば進めるほど退屈だった。母の言う通りだった。芥川賞を受賞した作品は面白くない。余りにも苦行だったので、耐えられなくなり、一度だけ読むのを止めた。
 それでも最後まで辿り着けたのは、後半が面白かったからである。
 徳永の、漫才師としてしか生きられない神谷さんに対する羨望。密かな軽蔑。それら全てを抱き込んで、「この人の後ろを歩いているだけではアカン」と気付いた瞬間。本書は何かが目覚めたかのようにパッと華やいで面白くなる。そう、それこそ火花が弾けたり、龍が長い眠りから覚めたみたいに。一気に面白くなるのだ。
 そして、それは一瞬で終わる。儚過ぎる面白さ。人生も笑いも儚いものだって? 喧しいわ。
 神谷さんの愚かなまでに純粋な『笑い』への実直さ。私は全然面白くなかったし凄いとも思えなかった。徳永よ、よく彼を師匠と思えたな。寧ろ徳永が凄いと思うわ。もしも今日に神谷さんが現存していたら、彼はYouTuberとして非常に痛々しい行いをした挙句、炎上していたかもしれない。YouTubeでなくとも、TwitterかInstagramで大炎上して社会的に死んでいたに違いない。そんな最悪の想像さえしたくなるほどに憐れで痛々しい男だった。ある意味で、彼は純粋過ぎる男だった。
 というか、徳永が居なかったら確実に炎上していただろう。神谷さん、きちんと物を言う常識人が見捨てずに居てくれて良かったね。徳永の成長と旅立ちの為に神谷さんが居ると見せかけて、本当は逆だったのではと思う。神谷さんの為に、徳永が居たんだ。

 本書の唯一面白くて一番の見所を挙げるなら、徳永と相方さんのコンビ『スパークス』のライブを推したい。
 スパークスのネタは本当に面白かった。最高だった。あの舞台での徳永の台詞には、一つ一つに魂が込められていた。いやはや、小説内の、しかも芥川賞で描かれた漫才シーンで心を揺さぶられるとは思わなかった。
 ありがとうスパークス。冗談抜きで泣けましたよ。

(了)


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