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【日本のヨガについて考える】日本のヨガイメージは国民性の現れ。もっと多様性があっていいんじゃない?

今日はヨガについて。
趣味というより、いまはもうライフワークの一部にもなってて、特にヨガやってますっていうよりは、感覚としていつもどっかにある感じです。
でも、別に超絶スタイルよくもないし、肉も食べるしお酒も飲むし、いかにもヨガ的なライフスタイル送ってるわけでもないのですが、一番ヨガの影響が大きいのはメンタルの部分です。

ヨガを勉強して指導するようになって、自分自身、本当にヨガ的な考え方に助けられているなぁと思っています。
引き寄せの法則、ストレスマネジメント、ポジティブシンキング、行動心理、メンタルコントロールの方法などなど・・色々な本を読んでも、全部ヨガの教えにも同じことが書いてあるなぁ、っていうか「ヨガじゃん!」と思うことばっかりなんです。

でも、ヨガのイメージって、いまだにポーズの部分ばっかり。
女性がやるもの、身体柔らかくないと出来ない、モデルみたいなおしゃれな人がやるもの・・
ちょっとヨガの哲学を勉強してたり、資格持っている人であれば、そうじゃないってわかるけど、まだまだマジョリティーの認識とは大きなが差があるのを実感しています。
ここ数か月、いままで以上にヨガに触れる機会が多くなってつくづくそう思ったのですよね。

日本でのヨガの広まり方は、前途多難だった

たぶん2000年頃から一時ブームのようなものがやってきて、そこで日本でヨガが認知されてきたんですよね。
あれもそもそも、ニューヨーカーとかオシャレな方々のイメージから来たところが強いから、どうしても美容とかダイエットとか、おしゃれな女子の習い事No1みたいな感じで広まって‥
せっかく知られてきたのに、あの〇〇〇真理教事件によって、胡坐かいて浮かぶとか、宗教っぽいとか、悪いイメージが一気に広まってしまった被害者(笑)

確かにヨガの思想はヒンドゥー教の経典と同じだし、そこが源になってるから宗教観は切っても切れないことではあるけれども、別に思想的な強要とか怪しさとかは一切ないのです。

でもやっぱりあの事件の影響はすごく大きくて、そこから植え付けられたパブリックイメージって根強かったんでしょうね…

いまはだいぶ払しょくされて、ヨガ=良いものっていうイメージはついているのかなとは思います。

でも、いまだに「身体固いからねー」とか「男性はねー」とか、「ヨガみたいなゆっくりした運動はねー」とか聞くと、このヨガのイメージってまだまだそのあたりなんだなって思うんです。

「人の目を気にする」「和を以て貴しとなす」日本人

日本人って、周りの人のことをすごくよく考えるし、迷惑かけないようにするアベレージが高いし、協調性はあるし、和を大事にするし、それって素晴らしいこと。
私自身もすごく好きなところ。

でも一方で、周りに合わせること、空気を読むことが最も善しとされて、マイノリティでも自分の意思を主張するとか、多数派と違う違うことがまだまだNGな空気があって、がっかりすることも多い。
人と違うこと、多様性を受け入れる土壌はできていないなって。
海外に行くことが多い私としては、そこがいつも残念だなと感じてしまいます。
ただ、自分自身もそういうところが出ちゃうから、やっぱり日本人だなーとか思ったりもします。

多様性を受け入れられたら、ヨガはもっと変わる
ヨガにかかわったら多様性が受け入れられるようにもなる

まるで言葉遊びみたいですが、もっと根本的に「多様性」を受け入れる日本になったら、ヨガのイメージも変わると思ってます。
そして、ヨガをやり始めたら、人はみんな違うけど同じなんだっていう感覚がわかるから、多様性が受け入れられるようにもなると思うんです。

海外のヨガスタジオ行ったら、やってる人は本当に多種多様でヨガのイメージが全然違う。
アシュラム(ヨガの道場)行っても、欧米人の男性が半数とか、先生はほとんど男性の30代とか、おじいちゃんとかおばあちゃんもいるし、めっちゃふくよかな人もたくさんいる。
ゴリゴリのタトゥーだらけの先生もいれば、超ナチュラルな方もいる。
ウェアだって、おしゃれであろうがなかろうが、ただのTシャツ短パンなーんでもあり。

それでいんです。別に。

島国で、単一民族的な日本ではそもそもっていうところもあるけれど、もっともっと「違う」ことを受け入れて、もっと「一人一人が自由に」なっていんじゃないかなー。

こういうものである、こうあるべき、みんながこうだから
そこはもっと緩和される国に、国民になっていってほしい。自分も含め。

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ヨガはできるできないじゃなくて、ただやるもの

だいたい、ヨガにできるできないもないですもんね。
そこにフォーカスしてるものじゃないから、ただやるもの。

そうはいいつつも、呼吸法だったりポーズだったりのやり方がある以上は「できるできない」ジャッジがあるのは当然だけど、できるできないで一喜一憂したり、優劣をつけないっていうことが大事。
他人とも比べない。

そういうことを日々考えていると、劣等感を感じたり、自分の足りなさを痛感したときに、考えて落ち込みすぎずに自分でしっかりリカバーできるようになってきます。
(無駄にポジティブシンキングということではなく)

みんなが当たり前に、だれでもが「あ!ヨガやってるよー」と一生言っている社会ができたらいいなと思い、こんなことをつぶやいてみました。
多様性や違いを受け入れるというか、「人はそもそも多様であり違っている、でも同じ」っていうのがヨガの考え方ですけどもね。

ヨガって奥深くて面白い。

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