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どこまでやるかの線をキチンとひくこと

訪問ヘルパーとして少しずつ仕事が増えてきた。

色々と失敗もある。それはまた別の機会に。

ある障害のある一人暮らしの方のお宅で、買い物調理掃除片付けを手伝うというサービスの担当になった。ゴミ出しもなかなか大変らしく、ペットボトル、缶、瓶、古紙段ボールが、ヘルパーによって分類されて袋に入れられているんだけど、だいぶ溜まって部屋を塞いでいる。週2回の訪問のうち、一回を私が担当することになり、引継ぎも兼ねて先輩ヘルパーに同行した。その帰りに、ゴミがだいぶありましたね、朝の収集時間に間に合わないんでしょうね。思わず一旦全部私が持って帰って捨てたくなりました。と話したら、それはだめよ。と言われた。もちろんそれはダメとはわかっているのだが、一回全部捨てた方が良いのではと思ったのだ。

ヘルパーの手順書の目標には、利用者さんがご自身で片付けられるようにするのを手伝うとあり、掃除業者ではないので一旦全部きれいにする事が目標なのではない。本人でない誰かが一旦綺麗に捨てたところで、またすぐ溜まってしまうのだと思う。

やってあげればきりがないし、とことんやってあげることが良いことではない。そこがなかなか難しいところだ。訪問サービスの場合は、ケアマネさんが相談してきちんと手順書が出来上がっているので、ヘルパーがそれ以上のことをしてはいけない。やるのはここまでと決まっているので割り切れる。

Podcastで「福祉探偵団」と言う番組がある。「おもれき」という人気の歴史番組のケリーさんがやっているもう一つの番組。これが面白くて為になるので、最近過去回を聞いている。ケリーさんは社会福祉士のお仕事をされていて、詳しくはわからないがいろいろな案件を担当されているようだ。その仕事上で、心がけていることがあるそうで、やり過ぎない、立ち入り過ぎすぎないことだそうだ。よかれと思って色々やってあげて、自分が担当じゃないとダメと言う状況を作るのは良くないそうで、担当が変わったときに、バイバイじゃあねとあっさり別れる位の関係が良いそうだ。とことんやってあげると、利用者さんはそれに依存しすぎてどんどん要求が高くなる、そして、それに応えられなくなったときに、冷たくされたとかえって大変なことになってしまうらしい。それを聞いて、なるほどと思った。最低限にやることをやって、立ち入り過ぎず遠くから見守り、あの人ちょっと適当よね、位に思われているのでちょうどいいそうだ。それは、きっと、数々のケースで精一杯お世話した事から経験的に学ばれたことなんだと思う。私などは、その考えが至らず危うく目一杯頑張ってしまうところだった。

ただ、自分の家族の場合はそこが難しいところだ。子育てにしても介護にしても、どこまでもやってあげることが良いわけではなく、どこかで線を引かなくてはいけない。その線引きをどこに設定するのかが意外と難しくなかなかうまくいかない。 

義母は良妻賢母で、私の夫に対しても、家の手伝いをするよりも勉強をしなさいと言う子育てだったようだ。一昔前、いや、ふた昔前のお母さんは、家族のため、してあげればしてあげるほど良いと思っていたんだと思う。その時代にはそんな家が多かったのかもしれない。でも、結果、夫がなんにも家事できない人間になってしまっており、やってあげ過ぎはやはり失敗のようだ。私は割とほって置かれてありがたかったタイプだったので、自分のこども達にもあれこれ細かいことは言わなかった。もうちょっと介入した方がよかったのかもしれないし、してないつもりで、実は結構うるさかったのかもしれない。

「その人の課題を、肩代わりしてあげることなどできないし、やるべきではない。」どこかで聞いて、なるほど!と思ったけど、これが意外と難しい。

自分の場合、物理的な距離が近いと、どうしても要らぬお節介を妬いてしまいがちだ。一緒に住んでいると、ついつい、おばあちゃんにしても夫にしても、頼まれてもいない事をついついやってしまう。特に、夫はなんにも家の事をしない人なので、私がついやり過ぎた挙句、勝手に疲れてキレだすという悪循環だ。距離が近いと、線引きも曖昧になりがち。なかなか難しい。これが出来ると大人なんだろうなぁと思いつつ、なかなか立派な大人にはなれないものだ。 

前の自分の記事を読み返してみると、「おばあちゃんの介護、やるのはここまでときめる」などと書いてあった。同じ事言ってるだけではないか。全然成長してない私なのだった。