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【短編小説】大人になった彼女にチーズスフレは似合わない

「またお越しくださいませ。」

日曜の午前9時、僕は新大阪駅構内のお土産売り場で、スフレチーズケーキを一つ買うと、新幹線の25番乗り場に続くエスカレーターに乗った。

茶色の紙袋の中には、行儀よく白い箱がしまわれている。この箱の中には、雑に扱えば崩れてしまいそうなほどふわりとしたスフレチーズケーキが、外に出るのを今かと待ちわびている。

新大阪駅には、このスフレチーズケーキを求め多くの人が買いにやってくる。お正月も過ぎたこの時期だが、旅行や出張で来たらしい大勢の人達が、売り場に列をなしていた。

ここ数年人気の、濃厚でぎっしりとしたクリームタイプのケーキではなく、ふわふわのスポンジ生地に控えめにチーズが香る、昔懐かしいケーキ。

乳白色のスポンジの上に乗っている、きらめく飴色の焼き目はつるんと美しい。上から包丁を軽く当てると、力も入れずにするっと切れていく。

フォークですくい一口ほおばると、シュワっと口の中で消えていく。すぐ後を追うように、ほのかなチーズの甘味がふんわり広がる。胸につかえるきつさはなく、ぱくぱくといくらでも食べれてしまう。

小さめのホールケーキと同じ大きさながら、800円ほどで買えるお手軽さで、色々な年代の人に愛されていた。

僕は今から、東京に向かう。

この、スフレチーズケーキとともに。

15年来の幼馴染の彼女に、3年ぶりに会うために。

* * *

バスクチーズケーキ?っていうのかな。私、あまり食べれないんだよね。クリームチーズの味が濃いのが苦手で。」

最近のお店って、どこもバスクチーズケーキばかりで、嫌になっちゃうよ。彼女はぷりぷりと不機嫌そうに口をとがらせ、そう言っていた。

3年前の冬、地元の山口に僕が帰省した時のことだ。この田舎でも、バスクチーズケーキは流行り始めていて、色々なカフェが売り出しているらしい。

そんな怒るなって。僕は、彼女があまりに真剣なもんだから可笑しくて、ふふっと笑った。

* * *

僕と彼女は、10歳の頃から幼馴染だった。

彼女は、小学4年生の時に僕が住んでいた山口の外れの街に引っ越して来た。マンションが同じで部屋も近かったので、いつの間にか母親同士が仲良くなっていた。

彼女は、すぐ泣き出してしまう子だった。心配した彼女の母親は「由香ちゃんをお願いね。」と、僕に一緒に学校に登校するという役目を与えた。

彼女はその頃から、チーズがあんまり好きじゃないみたいだった。

クリスマス会で、子供が好きそうなピザやラザニアが並んでいても、うーん、と言いながら、隅に置かれたフルーツをぱくっとつまむような子だった。

高校卒業後、僕は京都の大学、彼女は地元の山口市内の大学に進学した。

彼女に最後に会ったのは、ちょうど3年前、大学4年の冬に地元に帰った時だった。

僕らは、決まって同じカフェで待ち合わせをした。家族連れやご高齢の方もいる、よくある郊外のチェーン店。改まって他の場所に遊びに行くのも、何だか照れくささを感じたからだ。

彼女はその日、黒くまとまった長い髪をおろし、カーキ色の大きめのパーカー、ジーンズ生地のパンツ、という服装でやって来た。赤のチェック柄のマフラーを首にぐるぐる巻きにしている。外が寒くて仕方がないのか、小さい背を更にぎゅっと縮こめている。

店に入り席に座って、メニューを開くやいなや彼女は、

「このお店、最近チーズケーキの種類が変わったんだよ。前はずっとスフレチーズケーキだったのに。バスクチーズケーキ?っていうのかな。私、あまり食べれないんだよね。クリームチーズの味が濃いのが、苦手で。」

と、顔をしかめて不機嫌そうな顔をする。

と思うも束の間、新スイーツのザッハトルテだって!と嬉しそうに目をくりくりさせ、食い入るようにメニューを見ている。

ふふっと無邪気な笑顔を見せる彼女。
僕が彼女と話す時間は、いつもあの頃の自分に戻れる気がした。

「大阪って有名なスフレチーズケーキがあるんだよね?テレビで見てすごい美味しそうだった。いつか食べたいなあ。」

買って来いよ、と言わんばかりの純粋な目線で、僕を見つめる。

絶対買わないから。僕は彼女の懇願のまなざしを断ち切るように、手でしっしっと追いやる仕草をした。

「それくらい、いいじゃん!!」

彼女は、ぷうっと頬を膨らませ面白くなさそうにそっぽを向いた。

* * *

あの時の僕が見たら、
「お前かっこ悪いな」って笑うだろうな。

記憶を思い出しながら、東京の街を歩く。

僕は、約束の14時より少し早めにお店の前に着いた。

丸の内の中心にあるそのカフェは、いかにも高級そうな外観だった。お店は一面ガラス張りで、中はアンティーク調のペンダントが灯っている。ピシッとスーツを着こなした紳士や、休日の余暇を楽しむマダムが座っていた。

彼女の方からお店を指定してきたのは、今までで初めてのことだった。

大学卒業後、東京の企業に就職した彼女は、社会人になって一度も地元に帰っていないらしかった。メールにも当たり障りのない返事ばかりで、彼女が今どんな生活を送っているのか、何も分からない。

ずいぶんお洒落なカフェに行くようになったんだな、と僕の心は少しざわつく。

「お待たせ。ごめんね、もう着いちゃってた?」

居ても立っても居られない気持ちでカフェを眺めていると、後ろから声が聞こえた。

振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。

その女性が「彼女」だと気付くのに、
僕は数秒の時間がかかった。

明るめの茶色の長髪に、ゆるくパーマをかけている。薄い白ニットに、ハイウエストのこげ茶のロングスカート、その上に足元まで着きそうなベージュのウールコートを羽織っている。あんなにちびだったのに、ヒールの高い黒の革ブーツのおかげで、僕とほぼ同じくらいの身長になっていた。

「ごめんね、中に入ろうか。」

予想外の姿に頭がぼうっとしていた僕は、颯爽と歩いて行く彼女を追うように、お店の中に入った。

* * *

「今日のケーキセット、2つお願いします。」

彼女は慣れた様子で注文を入れる。ここのお店、毎日日替わりで違うケーキを出してくれるんだよ、と彼女は言っていたけど、そんなことを考える余裕がないくらい、僕は頭の中を整理することで精一杯だった。

確かに聞こえてくるのは、彼女の声だ。
でも、目の前にいるのは、びっくりするほど大人の女性だった。

「お待たせしました。」
僕らの前に、ケーキと珈琲がやって来た。

今日のケーキは「バスクチーズケーキ」だった。
あれだけ彼女が嫌がっていた、
あのバスクチーズケーキ。


しまった。
そう僕が顔をしかめたのも束の間、彼女は美味しそうだね、いただきます、と言いながら一口フォークですくってぱくりと食べた。
ふふっ、美味しい。彼女はにっこりと微笑む。

「バスクチーズケーキ、食べれるようになったの?」

僕は、思わずそう聞いてしまった。

「職場の人と女子会とかしたら、こうやって突然チーズケーキが出てくることも多くて。次第に苦手に感じなくなったんだよね。」

その瞬間、僕はリュックの隣に置いていた茶色の紙袋を、咄嗟に奥のほうに押しやって隠した。

今の彼女に、このスフレチーズケーキは似合わない。

バスクチーズケーキが得意になった彼女は、
僕より何倍も大人になっていた。

* * *

「今日は楽しかった!色々な話が出来て嬉しかったよ。」

駅まで歩く帰り道、彼女は僕を見てふふっと笑う。
その無邪気で健気な笑顔が、3年前最後に会った時の記憶と重なる。

すっかり辺りは暗くなっていた。昔の話をあれこれと話していたら、時間はあっという間だった。

健、あのさ。
ちょうど駅に着くという時、彼女は珍しく僕の名前を呼んだ。

「健はさ、私の外見について何も言わないんだね。こんなに髪型も服装も大人びて、たった2年で東京に染まっちゃってさ。背伸びして馬鹿みたいでしょ。なのに『変わったね』って一言も言わないんだね。」

いつになく落ち着いた声で、彼女はそうつぶやく。

「由香は何も変わってないよ。僕にとって由香は、昔も今も、由香のままだよ。ずっと、あの頃と一緒だよ。」

何の照れもなく、気付いたらそう言葉が出ていた。
心からの本心だったからだ。

たとえ外見が大人になっても、バスクチーズケーキが食べられるようになっても。
無邪気に笑う彼女は、あの頃の彼女のままだった。

「健、ありがとうね。」

すっと一粒の涙が彼女の頬をつたう。

何故泣いているんだろう。
何故お礼を言われないといけないんだろう。
僕は不思議に思った。

いつか大阪にも遊びに来いよ、そう言って僕は彼女と別れた。

リュックの中に、渡せなかったスフレチーズケーキを閉じ込めて。

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