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非日常を愛する貴方は、日常を必死に頑張っている

12月31日って、
一番人生に絶望してしまう日かもしれない。

そんな事をふと冷静に思いながら、
私は今年の大晦日を過ごしている。

世間を見渡すと、年末年始ともなれば毎年すっかり祝賀ムードで「今日は人生に絶望してしまうんですよね」と口に出してしまえば、途端に批判の矢が沢山飛んできそうだ、と思う。

もちろん幼い頃から大晦日に絶望してきた訳ではなく、それなりに高揚とした気分で過ごしてきたはずなのだけれど、何でだろう、今年は特にその感情が強いように感じて、少し暗い気持ちで時間をやり過ごす。

例えば、大晦日でいえば「今年はもう少し頑張れたのではないか」と、今この瞬間もモヤモヤとして落ち着かない。

もう少し頑張れたのだとしても、本当に十分頑張ったのだとしても、一年の最終日にどうにかなる訳では無いのである。それは、十分自覚している。
でも自責の念に駆られて、無駄に新しい本に手を出してみたり、部屋のゴミが無性に気になって片付けを始めたり、それこそこうして必死に文章を書き殴ったりしてしまう。

むしろ、早く新年が明けてしまった方が心が安定するのではないか、とすら思う自分もいる。
6時間後には元旦を迎え、親戚や友人と「あけましておめでとう」を言い合い、そして2日、3日と時は過ぎていき、何事も無かったように仕事をこなす日々にまた戻っていく。そんな毎日を、少しだけ待っている自分もいる。

結局、日常は続いていく。
そんなことを、一番実感するのがこの年初めだ。

一方で「早く新年が来て欲しいな」なんて呑気に思えるというのは、言い換えれば、「日常が早く戻ってきて欲しい」と思える程、平和な毎日を過ごすことができている証拠なのだと思う。

「もっと頑張れたのではないか」という悩みも、頑張った結果を正当に評価してくれる環境があったり、結果が出ずともその過程を認めてくれる周囲の人がいるから、自らの一年の努力の量を振り返ってはいちいち後悔していられる。

「この休みがずっと続けばいいのに」「そうすれば会社や学校に行かなくて済むのに」と心の底から願っている人は世の中に沢山いて、むしろその割合のほうが高くて、その人達にとってはこの一瞬一瞬がどれだけ愛らしいものだろうか。

現に私も、去年はちょうど職場の上司から所謂パラハラと呼ぶに値する扱いを受けていた時期だったから「このまま大晦日なら良いのに」なんて、8割くらい結構本気で考えていた。

結局、日常は続いていく。
そんなことは、分かっている。



でも、この大晦日という一日を大切に抱きしめなければ「来年はもっといい年になるかも」と馬鹿みたいに信じなければ、辛い日常を生き延びれない人もいる。

日常が平和である時、
非日常は時に一抹の不安をもたらす。

そして非日常を愛してしまうのは、
「日常が苦しい」と心が叫んでいる証拠だ。

それを実感するのが、大晦日であるように思う。


これを読む貴方にとって、今日はどんな日ですか?

来年は、もっといい一年になりますように。

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