【短編小説】芥-2.猿の幸福
はしがき
桜が舞った。一枚、遠い地の水面に張り付いた。きっと、何かはわからない
楓が落ちた。一枚、遠い地の花畑に迷い込んだ。きっと、何かはわからない
何かが崩れた。一枚、遠い地の私の元へやってきた。きっと、何かはわからない
それがきっと、自然なのでしょう
猿の幸福
ある一人の女性がいました。その女性は、寝ても覚めても、死ぬことばかり考えていました。朝起きて、どこで死のう。昼食を食べながら、どうやって死のう。ベッドの中で、いつ死のう。それまでよかった成績は一気に落ちて、学校もサボり気味になりました。金遣いは荒くなり、たいていの人間生活というものにおいて、彼女は乱雑になりました。
あなたはきっと、言うでしょう。「あぁ、かわいそうに。心の病なんだわ」と。また或いは「壮絶な人生を送ってきたに違いないわ」と。そんなふうに彼女の労をねぎらうでしょう。
しかし、彼女はこう語るのです。
「今までで、いちばん幸福だ」
変だと思いましたら、読み進めてください。
例えば、次は、こんな話。
中学生ごろの年の少女は、死に苦しめられていました。それはもう、ずっと。ベッドに入ると、あぁ、もうだめ。夜の闇に殺されそうになり、毎晩涙を流します。「死とはなにか」そればかり考えては、息をつまらせ、発狂していました。怖い。怖い。逃れられない恐怖が、いつか自分の命を狩りに来る。そう考えると、もうたまらない。身を震わせて、「誰もが考えている」と聞く、その渦に苛まれていました。頭の中に黒くこびりつく。蜘蛛のように這って、やがて濁った煤にかわる。やはりその日も、二時間経った後に、眠りにつくのでした。
とうとう「死ぬのが怖い」と、両親に相談しましたが、細く微笑んだ両親はこう言います。「思春期なら仕方のないことなのだわ」と、そんなことを。しかし、それだけでは到底片付けることのできないように、彼女は思うのです。この漠然とした不安は、死すらをも凌駕するのです。
やはり、理解されることはないのでした。同じ人生を歩まぬものに、たかが人間というだけで理解できるはずがないのです。
彼女は、その晩、日記にこう綴ります。
「生き地獄」
死や生が、それぞれ全く別の方向に効用をなしていました。生を望み、死を恐れる彼女は、正しく生きたはずなのですが、ひどく不幸だという顔をしています。また、生を軽んじ、死を望む彼女は、世間から言わせてみれば、社会不適合者らしいのですが、大変幸福そうでした。あく迄も、彼女の場合ですが。
ところで、あなたは一般的、もしくはそれ以上の層として、暮らしているでしょう。なんでも良いのですが、靴下が履けたり、本を読めたりできるかという話です。
例えば、明日の食事も危うい貧困層に暮らす少年や老人などがいます。病気にかかればもう、死を覚悟せねばならないかもしれません。飲み水はひどく汚いですが、飲まなければ死にます。そんな彼らが、私たちと変わらぬ生活ができたとして、彼らは度々涙を流すかもしれません。住まいに感動し、食事に驚き、衣服に感嘆する。そんなふうに幸せを噛み締める彼らを、あなたはかわいそうだと思いますか。
また或いは、あなたが富豪になったとして、あなたは今までにない贅沢な暮らしに、何と言うでしょう。住まいに感動し、食事に感動し、衣服に感嘆する。あなたは、やはり、そんな自身がかわいそうでしょうか。
そういえば、私、伝え忘れていたことが一つありまして。実は、最初に挙げた女の例、たった一人の人について話していました。
死を恐れて泣いていた少女は成長して、生を軽んじ死を享受することで幸せになった、という話だったのです。死にたがる彼女の深い内側を見ると、すぐに正体がわかって、当初抱いていたほど変だとも思わないでしょう。不思議なものです。
しかしね、遺書を書くあの女性の笑顔を、やはりあなたは幸福に思えないでしょう。