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『火花―北条民雄の生涯―』 高山文彦

3章目から物語に入れた。ハンセン(癩)病という醜い病におかされながらも生きようとし、また死にたいと欲し、その天国と地獄の間を激しく行き交いつつ、川端康成にささえられながら傑作を生み出した北条民雄。

1章2章はつらかったが、3章目あたりから物語に入れた。
ハンセン(癩)病という醜い病におかされながらも、
生きようとし、また死にたいと欲し、
その天国と地獄の間を激しく行き交いつつ、
川端康成にささえられながら、
「いのちの初夜」という傑作を生み出した北条民雄。
23歳まで書きつづけ、数少ない友人に囲まれて
隔離病棟でこの世を去った彼の生涯を追う。

随筆「発病」で民雄は記す。
「考えれば考えるほど判ってくるものは、
生ばかりであったのだ」
病名を告げられた日。
「何でもない、何でもない。オレはへこたれやしない」
という言葉と、「ああ、俺はどこかへ行きたいなぁ」という
感情。この二つの気持ちは死ぬまで彼にとりついて
離れなかった。

昔は癩病は業病とも言われ、怖れられ、家族の戸籍からも
はずされ、天涯孤独となって生きねばならなかった。

死地に近づけば近づくほど、生への執着を激しくし、
その皮肉なベクトルの中に、生死の摩擦が起こり、
そこで生じた火花が文学として結実をみる。

民雄は師匠の川端と手紙てやりとりし、励まされ、
もがきながら小説を書いた。「癩」というものから
繰り出される独特のリアリティが川端の胸をうつ。
癩文学の誕生。

民雄に影響を与えたもう一人はドストエフスキー。
「いのちの初夜」の主題も「悪霊」から得たのではないか?
『人間として崩壊していこうとする癩者こそが、
人間の存在の底の底から、生命そのものを復活させるのだ』

民雄にはすごいエピソードがある。
彼のいる癩病院の近くに丘があるのだが、
彼はそこにのぼり、花を根からむしりとり、
自分は土くれとなり、口に花をくわえて
「自分は死んだ、自分は死んだ…」そうつぶやくのだ。
そうつぶやいてると、生き生きとした土くれとなった
自分が愛おしくなり、安心するのだという。

P183―― 民雄の作家としてのアイデンティティの揺らぎ。
「まず第一に僕達の生活に社会性がないということ。
従って、そこから生まれ出る作品には社会性はない。
(中略)僕は考える。まず第一に“癩”ということの
特異さが、彼らの興味をひくだろう。それからそこの
人間達の苦悶する状態の中に、何かの人間性の奥底を
見ようとするだろう。けれど次にはもう投げ出して
いるだろう。要するに、一口で言えば、滅びゆく民族の
悲鳴にすぎないのだ」

貪欲な創作欲とそれと反し、常に自嘲する自分。
その矛盾のはざまに民雄はいる。

「歴史の進展は個人を抹殺する。歴史に参加できぬものは
抹殺されるべき人間なのだ。そしてこの俺がその人間だ。
しかし、俺は死ねなかった。生きてるんだ。そして
自らを愛しているのだ。どうしたらいいのだ!」

やがて「いのちの初夜」が名声を得、喜びにのたうちまわり
ながらも、もう片方の目で“癩”を見ている。
今は軽症だからいい。だがやがて重症になる。
重症室の患者を見ては、喜びの渦中に絶望する。
「あの人たちが自分の先輩なのだ!やがて自分も
ああ成り果てていくのは定まりきっている事実なのだ。
(中略)文壇なんて、なんという幸福な連中ばかり
なんだろう。何しろ、あの人達は腐ってゆかないのだからなぁ。(中略)あの人達はちっとも腐らないのだ」

民雄は希望と絶望を繰り返し、日記も悟達めいてくる。
「心から頼り、それにしがみつき、しっかりだきついて
微動だにしないものがあれば、どんなによいか。
今日になってはっきりと“神”を求める人達の気持ちが
わかった」
そして、小説を書く。
「これが書きあがったら死のうと決心して筆をとりました、
けれども、書き進むうちに、死んではならない
ということだけが判りました」

民雄の「いのちの初夜」は売れまくった。同じく癩の友人、
光岡に本を贈る。表紙の裏の一文に目が止まった。
「人生は暗い。だが、たたかう火花が、一瞬
暗闇を照らすこともあるのだ」

民雄の死期は近づいていた。そこでのもがきようは
本書をあたってもらうとして、最後にある人の一言
「あんたらしょせん、井の中の蛙だ」に対する
民雄の反撃を意志を記しておく。

民雄23歳「この病院でむかえる3度目の正月である。
かつては大海の魚であった私も、今はなんと井の中を
ごそごそと這い回るあわれ一匹の蛙と成り果てた。
とはいえ、井の中に住むが故に、深夜の中天にかかる
星座の美しさを見た。大海に住むが故に、大海を知ったと
自信する魚に、この星座の美しさがわかるか、
深海の魚類は、自己をとりまく海水すら意識せぬであろう」

あっぱれ民雄。
昭和12年、12月5日、息をひきとる。
合掌。

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