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東京探索記 20 日暮里崖線を歩く

ゴールデンウィークのある日、上野から田端まで歩きました。
何目的で4駅分を、と思われるでしょうが歩くのが好きなので、というほかないでしょうか。

まず上野の東京藝術大学美術館で「大吉原展」を。
その後、田端駅前の田端文士村記念館で企画展「芸術村のお住居拝見」へ。
ということで展示会のはしごでの移動となりました。

藝大美術館は上野台にあります。田端の文士村記念館は駅そばの江戸坂の途中にあります。江戸坂の上は田端台の台地。広い視野でいうとどちらも上野台になります。上野台の先端上野と奥の田端。この2つをつなぐのが日暮里崖線の尾根道。地図を見るとわかりますが、ほんとに細い。もちろん実際には道路も住宅や公園もあるので幅はあるのですが。この尾根道を歩きました。

今回紹介するのは、西日暮里から田端のあいだ。上野から日暮里までは台地にたっぷりの幅があり、谷中墓地もあるので、崖まで近づけないのです。

まずは、西日暮里駅からすぐの地蔵坂からの風景。ここは地蔵坂という階段と西日暮里駅を出入りするJR在来線の絶景ポイントです。この日はさらに新幹線まで合流してくれてもうサイコーでした(^^♪

地蔵坂を上るとそこは諏方神社です。台地の上のこんもりした森。お諏訪様だと思うのですが、「諏訪」ではなく、「諏方」。なぜだろう??
いつも訪れても境内にはほとんど人はいないのですが、この日は東洋系の旅行客と思われる若者たちが拝殿の前で遊んでいました。
この神社のすぐそばにあるのが、富士見坂。

坂の頂上から左手がお寺でその寺の煉瓦塀が上から下まで続いている美しい坂です。

坂の上に立つと、年配の女性3人組が坂の上に立ち、富士山が見えるか見えないかと話しているのが聞こえてきました。この富士見坂は東京に数ある富士見坂の中でも最も最近まで富士山が見えていたほんとうの富士見坂です。でもちょうどの視線のライン上にビルが建ってしまい、山は見えなくなってしました…

さて続いて外国人女性2人組が坂の上にやってきました。ガイドペーパーみたいなものを手にして。坂の上にある富士見坂の説明板を読んで(英語表記あり)、坂の上から手をかざして何かを探しています。西日でまぶしそう、でも富士山は見つからなかったみたい。

富士見坂、諏方神社に別れを告げて、西日暮里駅の道灌山切り通しを越えるといよいよ馬の背のような日暮里崖線へ。
この尾根道は標高23メートルくらい。台地の道から横を見るとほぼ同じ高さに新幹線の高架が走っています。これとスカイツリーのコラボ風景。

そうしているうちにもう田端。田端駅南口駅舎へ。
ここはアニメの世界で見られた方も多いかと思います。映画「天気の子」にも出てきた田端駅からの新幹線高架風景。映画の中では雨が続いている風景でした。この日は初夏の快晴。

聖地巡礼なのか、若い人たちがひっきりなしに行き来しています。

映画には出てきませんでしたが、不動坂という階段があります。これも味のある階段です。映画で使ってくれると思って待っていたのに…と階段の声が聞こえてきそう(笑)

不動坂の階段をのぼり、尾根道を渡るとまた谷になります。この谷へ向かう坂道は与楽寺坂。坂の中腹から下にかけて与楽寺という寺院があります。これが命名理由なので、古い坂道なんですね。

車のない時代、自分の足だけで移動、上り下りするしかなかった時代には、できるだけ傾斜を緩やかにして楽してもらおうという優しい思いやりがあったのでしょうね、坂道も蛇行させて距離は長くなるけど傾斜を緩やかに。このような昔からの坂道は大好きです。

ここまできたついでです。与楽寺をはさんで与楽寺坂と反対側の坂道を登ります。ここも急坂です。上っていく途中、くねくねと蛇行していて先が見えないのがまた心をくすぐりますね。

さて、田端文士村記念館へ到着。

ここで一番見たかったのは、伊藤晴雨作「明治期の田端風景」。ここまで歩いてきた日暮里崖線上の田端台、そこから谷田川へ向かって与楽寺をはじめ、いくつもの坂道が描かれています。いまは家々やビルが建っていて見通せなくなっていますが、かつてはこういう風景だったんだな、と。


身体の悪い部位、よくなってほしい部位に赤札を貼るとご利益があるとか、で貼られまくっている仁王様。顔中真っ赤でもはや誰なのかわかりませんが、これが赤札仁王様。初めてお会いできました(^^♪


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