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田中吉政バ冷や汁

百姓から大名に出世した戦国武将と言えば、豊臣秀吉を思い浮かべる人が多いが、同じような道を辿った人物あり。もっと知られてもいいと思うので、紹介すべく冷や汁を作りながら妄想した記録。


材料

鯖の文化干し 1尾
胡瓜     1本
茗荷     2本
大葉     5枚
味噌     大匙2
そばつゆ   100ml
水      自分が納得するまで注げ
摺り胡麻   たっぷり

天文十七年(1548)近江國(滋賀県)に誕生した『竹』が後の田中吉政。
元々は近江源氏、佐々木氏の庶流だったと言われますが、零落して農民になっていたとか?
野良仕事をしている時、供を連れた武士が通るのを見て、自分も武士になりたいと上昇志向。
地元の武士、宮部継潤に仕える。
宮部は浅井家に仕えていたので、吉政も浅井家に属した。


鯖を焼く。

浅井長政が義兄、織田信長に敵対すると、秀吉が乗り込んできて宮部は人たらしの秀吉に調略されて織田方に寝返る。これに伴い吉政も秀吉に属したが、これが出世の端緒。
武士としての天分があったのか、戦で活躍している内に宮部の元から離れて秀吉の直臣に。
本能寺の変後、秀吉の甥で後継者と目された秀次の家老に。
秀次の領地、近江八幡の城下町を発展させた。内政手腕があったということ。
小田原征伐後、徳川家康が関東に移封されると、家康の居城だった岡崎城へ移り、十万石の大名に。
ここでも東海道が城下を通るように道を付け替え、八丁味噌の生産を奨励と城下町を発展させる。
よく領内を見回っていた吉政ですが、腹が減ると道端に腰かけて弁当を使い、領民と気さくに話していた。


胡瓜を小口切り。

大きな危機。
秀次が秀吉の不興を買い、切腹へと追い込まれると、秀次に仕えていた者の多くも連座して処罰。
あわや吉政もと思いそうな所ですが、奇妙にも吉政はお咎めなしどころか加増。
これは吉政は秀吉の命で御目付役を果たし、秀吉の実子、秀頼が成人後は跡目を譲ると確約すべきと秀次に諫言していたから。

茗荷も小口切り。

秀吉亡き後は家康に接近。関ヶ原でも東軍。
小西行長軍を撃破。
更に石田三成の居城、佐和山城を搦手から攻めて落城させる。
潜伏していた石田三成を捕縛と大活躍。
この時、体調を崩していた三成を気遣い、韮雑炊を振舞った。
これについては↓

記念すべき歴史と料理の第一回。↑

捕まったのがそなたでよかった。と三成は感謝して、秀吉から拝領した短刀を御礼に贈った。
こうした戦功から、家康から加増転封を打診される。
「豊前がよいか筑後がよいか」
と問われて、吉政は筑後を望んだ。
筑後には有明海に面した干潟が廣がり、此処を干拓すれば農地を広げて増収が見込めるから。
こうして筑後三十二万石の國持ち大名に。


味噌を焼く。

柳河を居城として五重の天守閣を建立。柳河と久留米を結ぶ街道を整備。この道路は今も県道として使われている。
柳河は沼や川が多い湿地帯で、これが天然の堀となっていましたが、平和になると交通の妨げに成る。
これを整備して、堀というだけではなく物流にも使える生活水路とした。


現在でも川下りは柳川観光の目玉。



3月に訪れた時、お雛様に扮した女児が乗っていた。

多くの寺院に寄進や保護を加えた田中吉政ですが、実はバルトロメヲという洗礼名を持つキリシタン。
幕府により禁教令が出た後も柳河では取り締まりが緩く、博多や小倉から迫害を逃れたキリシタンが柳河に来ていた。
キリスト教を密かに保護していたというだけではなく、人口流入を図り、國を豊かにする政策?
吉政の墓所に置かれた石の上部には十字の切り込み。これはやはりキリシタンだったことを示していると思われる。


焼き上がった鯖の身をほぐす。

石田三成捕縛という殊勲を挙げた自分をそうそう処分は出来ないだろうと、吉政は高をくくっていた?
戦にも内政にも優れた戦国武将。敗者や弱き者への情けも知る人物。というだけではなく、それなりに計算高い面もあったのかもしれない。
筑後を選んだ時の話もそれを感じさせる。
実は三成を捕らえた話には異説がある。


味噌や調味液を混ぜ合わせる。

「無事に逃げられるように算段してやる」と三成に持ちかけて、財宝や武具を奪ってから家康に突き出したという話。
関ヶ原で吉政は、明石全登や山田去暦の逃亡を見逃していた。三成はそれを知っていたので、うまうまと騙された?
しかし、逃亡中の三成が財宝を持っている筈もなし、居城も既に落城しているので何も持っていない状態。
信憑性は薄い。
ただ、この逸話は田中吉政には計算高い一面もあったということを表現を変えて傳えているのかもしれない。


野菜や鯖、摺り胡麻投入。水で好みの味に薄めてから冷蔵庫で2,3時間。

秀次処分の時に連座を免れ、加増までされているのは秀次の都合が悪いことを秀吉に報告したから?と勘繰ることも出来る。
よこしまな妄想が廣がってしまう。


柳川の水路端に建つ田中吉政像。

目立たないようでもやはり戦国武将。一癖ある人物だったのかもしれない。


田中吉政バ冷や汁

胡瓜、大葉、茗荷と冷やした夏野菜たっぷりの汁を玄米飯にかけて頂く。
鯖からいい出汁。しょっぱいが、ご飯と一緒だと丁度いい。
鯖からDHAやタンパク質、茗荷や胡瓜からカリウム。各種ビタミンも。
βカロチン豊富な大葉が爽やかさを演出。
胡麻は優れた抗酸化食品。味も健康にもよい料理。

吉政の跡を継いだ忠政の代で起こったのが大坂の陣。
旧主、豊臣家に味方すべしという家臣も少なくなく、家中の意見がまとまらず大坂に遅参。
改易や減封はなかったものの、七年間の江戸滞在を忠政は命じられる。
元和六年(1620)滞在中の江戸で急死。子がなかったために田中家は改易。
忠政も父同様、キリシタンに寛容だったことが幕府に睨まれる一因でもあり、吉政がいなくなればもう三成生け捕りの功績も忘れていいということで処分?というより暗殺?
また、将軍秀忠お気に入りの立花宗茂を旧領の柳河に復帰させるためでもあった?↓

あまり名前は知られていないけれど、重要な役割を果たし、柳川では土木の神様としても祀られている田中吉政を妄想しながら、田中吉政バ冷や汁をご馳走様でした。





おまけの画像。

柳川で頂いた蒸籠蒸し。

今年、土用の丑の日に鰻が食べられなかったので、これでも眺めることにする。
柳川、また行きたくなってきた。




#夏の旬食材レシピ


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