大物芸能人から言われた”一言”(30)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「大学生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の大学生のころを振り返りたいと思う。

「初めての恋愛」

大学に入学した私は、新歓で出会った女性に一目惚れをした。
新歓で出会ったとき、電話番号を教えてもらうことができなかったが、その後、友達を経由して、彼女の電話番号を教えてもらうことができた。
私は、ドキドキしながら、彼女の携帯電話番号に電話をした。

携帯の呼び出し音が響くとともに、私の鼓動も高まるのがわかった。
そして、彼女が電話に出た。
「もしもし・・・」
私は、何を話したら良いのか、わからなかった。。
とりあえず、何か話をしなくてはと思い。
「あの・・・ 先日の飯田橋のクラブで話をした・・・
 覚えてますか?」
彼女は、
「覚えてるよ。あの時はごめんね。あの日は、連絡先を誰とも交換しないと、決めていたから、教えられなくて」
と話をした。
私は、胸を撫で下ろす気分であった。嫌われていたから電話番号を教えてもらえなかったわけではなかったんだと思った。

その後、彼女とは何を電話で話したのか?覚えていない。。

ただ、その日から、彼女との電話が日課となった。
そして、3か月くらいの期間、彼女と私は会うことなく、電話を通じて話す日々が続いた。。

彼女との電話の内容は、同じアイドルグループ(SMAP)が好きで、
良くSMAPの話をしていたのを覚えている。

おそらく何気ない話ばかりしていたと思うが、
そんな彼女との電話が、何よりも幸せだった。

次回に続く・・・

<余談>

「母の死」

母の死は、突然、訪れた。私は、20歳の時に母を亡くした。
私が出かける直前に、自宅の2階へ階段を上がっていき、扉を開けると、そこには、横たわっている母の姿があった。私は、悲鳴のような、叫び声をあげたのを覚えている。私は、悲鳴をあげることしかできなかったのだ。
私の声を聞いた父が、何事かと思い、急いで階段を駆け上がってきた。
そして、母を抱き抱え、名前を呼びながら、無我夢中に心臓マッサージをした。そして、父は私の名前を大きな声で呼び、救急車を呼べ!と言った。
私は、電話を取り、良くわからないまま、救急車を呼んだようだ。この時の記憶は飛んでしまい、よく覚えていない。
気付いたら、救急隊員が来てくれていて、救急車で、母を病院に連れて行っていた。
私は、悲鳴のような声で叫んだことしか、覚えていない。
そのあとの記憶は、病院で「母の死」を、医師に宣告された時であった。
兄も、いつの間にか、病院に来ていた。

母が亡くなった日、初夏を迎える前で、なま暖かい日だったことを覚えている。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。

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