【ショートエッセイ】魔の時間
ども!
7月も後半に入りましたね。
月日の流れがあまりに早い。
ま、それだけ毎日あっという間に過ぎてしまうと思うほど慌ただしい毎日を送っています。はい。
先日、某タレントさんが亡くなられましたね。
細かな経緯は公表されていませんが、亡くなられたのは事実。
色んな説がネットで流れていますが、元奥さまが本当にしっかりしたコメントを公表されていました。
こういったことが起きた時、いつも思うこと。
『人の人生を他人がとやかく言うな』
そっとしておいてあげて欲しいんです。
まだ幼いお子さんの為にも。
そしてそのお子さんの為にも必死に前を向こうとしている彼女の為にも。
人間生きていたら色んなことがあり、そしてそれは人の数だけあります。
自分の物差しでぶつけたその言葉一つが、当人にとっては耐えがたいことってあるんですよ。
自分の物差しで相手の悩みや苦痛を測ることなんて決してできないし、してはいけないこと、絶対に。
私がnoteを書く原点
私、仕事を複数持っていて、個人事業主でもあり、主婦でもあり母でもあるんですね。
まぁ細かい事情を全て知ってるのはごく限られた人なんですけど。
なので何も知らない人からすると私の生活って実態が見えないと思うんですね。いつ寝ていつ起きてるの?みたいな笑
あゆ?何者?みたいな笑
ま、わざわざ細かい事情まで知らせることもないんですけどね😅
そんな私ごときがって話なんですが、言葉を発信する身の端くれとして、やはり綴る言葉のひとつひとつには、こう見えて私なりに選んでいますし、琴線に触れるようなセンシティブなことはなるべく棘を持たないように言葉にして発信しているつもりです。
まぁ、それでも、なんでそこまで?
おまけに自分の負と思われることまで書くの?と思われる方もいるかもですが、先日のタレントさんの死も然り、自身の過去の話もまた然り。
少なくても人があまり経験や体験をしないようなことをしてきたことでわかったことって実はたくさんあるんですね。
そしてそれは、ずいぶん大人になってからその経験や体験を自分の糧に出来るようになったんですが、じゃぁ自分だけが糧に出来りゃそれでいいのか?
もしかしたら誰かの、何かの力になるのではないか。
役に立つのではないか。
私がnoteを書く原点はそこにあると思っています。
『私こんな思いしたの~可哀想でしょ?』
そんな風に思って欲しいなんて0.1ミクロンも思っていませんし、書いてませんよ!笑
むしろ自分の恥とも思えることばかり書いているかもしれません。
てか、恥とか見栄とか以前は意識してました。
でもそういったことが年齢重ねるごとに無くなっていくんです。不思議と。
ある意味 私、丸腰?笑
なんか、恥とか見栄とかを身に纏っていた自分が今は逆に恥ずかしいとさえ思えたりします。
だから書けるし、話せるんです。
そしてそれを言葉にして発信することが、どこかの誰かの、たった一人の心にぶっ刺さることが出来ればそれでいいかなって。
こうして今書いていても私のかく文章に下書きはありません。
それは今この瞬間、自分から溢れ出る言葉が今伝えたいことだと思うから。
構成も、文脈もない。
おまけに表現や語彙力乏しいのは100も承知で書いてるんですけどね。
たまにありません?
『結局何が言いたかったんだ?』ってこと。
話していてもありますよね?特に熱くなり過ぎた時って笑
でもよくよくその時の話を紐解いてみると案外そこに言いたかったことの本質が隠れてることってあるんです。
私、自分で書いたものを時々読み返すんですね。
それがなんと言うかすごく自分を俯瞰で見ることも出来て、それはどこか勉強の復習にも似ていて。
間違い直ししたり、何度も反復したり。
とにかくそんな私の言葉にちゃんと目を向けてくださる方ががいることで私は今、自分を見失わずに済んでいるのかもしれません。
『魔の時間』
タイトルにした『魔の時間』って一般的には夕暮れ時の交通事故が起きやすい時間を指すんですが、ま、要は『気を付けなければいけない時間』てことです。
私にとっての『魔の時間』それはいつもnoteを書く時間なんです。
本当はその時間ブログ書いとけよって話なんですけどね😅
結構普段は信じられない集中力発動してブログ書いてるんですけどね、私。(笑)
ま、その集中がプツリと切れることがあるんです。毎日じゃないですけど。それが眠る時まで続くこともあります。
だいたい4時頃から?(ちなみに今4:11分)
SNSも動かなくなるし、誰かにLINE出来る時間でもない。
世界中でたった一人取り残されたような感覚。
心身共に疲れて追い込まれている時、心のコントロールが効かなくことがあるんです。
胸が苦しくなって、涙が止まらなくなることもある。
そもそもそういう特性を持っている私は元々気持ちのコントロールは苦手。
でもそんな自分をまた百も承知しているので必死にセルフコントロールしているんです。
それは以前の経験からコントロールできるというかしなければいけないことを知っているから。
そしてそれが私の日常なので今はそれを苦痛に思うことはほとんどありません…
『魔の時間』
意外は。
なんでこのことを書いたかというと、亡くなったタレントさんも似たような精神状態が何度も何度もあったんじゃないかなって。
以前の私がその精神状態の果てに未遂も何度も繰り返したように。
少なからず、『自死』の話を耳にするとき、自分の過去が蘇ってくるんです。
今、私は失いかけた命を、
助けられ
生かされて
今を生きている。
そう言えばあの時も
もう終わらせよう
そう思ったのが
魔の時間だった、、、、、な。
そんなことをふと
思い出しながら。
彼女のご冥福を心からお祈りいたします。
ふと目にした乙武さんの記事を載せておきます。残された人の思いもちゃんと知って欲しいから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?