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墜ちた男 第1話

【あらすじ】
 刑事の春名皓平は、友人の藍沢十哉を招いた夕食の席でとある殺人事件の話をする。それは、周囲に高い建物のない場所で男が墜落死するというものだった。
 容疑者として浮かんだのは二人。被害者の元妻と、被害者から金を借りていた男だ。どちらも動機があり、アリバイも不完全だった。
春名に挑発された藍沢は、この事件の謎を解こうと推理を始める。しかし、思いつきは春名によって次々と否定されていき……。


「待たせたな」
 春名はるな皓平こうへいがキッチンから戻ると、藍沢あいざわ十哉とおやは弾かれたように顔を上げた。長い前髪がやわらかく揺れ、その下から灰茶の両目が覗く。彼の視線は春名の持つトレイに注がれていた。
「すごい。これ全部、ハルが作ったのか?」
 ローテーブルに並べられていく料理の数々に、藍沢は興奮した声を出す。きらきらとしたその目の輝きは、背後のカーテンの隙間から見える星空にも負けていなかった。
「まあな。全体的に茶色っぽくて悪いが」
 配膳を終え、春名はエプロンを外した。Tシャツとジーンズ姿になると、藍沢の向かいに腰を下ろす。
 テーブルに載っているのは、いわば和の家庭料理フルコースだった。豚肉の生姜焼きに、キャベツと玉ねぎの炒め物。鮎の塩焼きに、ちくわと人参入りの切り干し大根。さらに炊き込みご飯と吸い物も添えてある。
 材料費はともかく、手間はそれなりにかけたつもりだ。少なくとも、手料理に飢えた友人を満足させられるくらいには。
「好きなだけ食べていいぞ。どうせ毎日、インスタントなんだろう?」
 春名は藍沢を手振りでうながし、彼のグラスに缶ビールを注いでやった。自分はビールの代わりに徳利とっくりを持ち上げ、猪口ちょこに注ぐ。
「あれ? 珍しいね、日本酒なんて」生姜焼きに伸ばした箸を止め、藍沢が首を傾げる。「いつもビール一杯で真っ赤になるのに」
「少しくらいなら大丈夫だ」
 春名は答え、猪口に口をつけた。冷えた液体が心地よく喉を通りすぎていく。エアコンの冷気も加わり、キッチンで拾った熱がようやく引きはじめた。夏場の調理は熱中症との戦いだ。
「美味しい、この肉。たれが絶妙」
 生姜焼きを頬張り、藍沢が目をみはった。
「そうか? 適当に混ぜただけだけどな」
 返した言葉は謙遜ではなかったが、褒められて悪い気はしない。こっくりと濃いたれの絡んだ生姜焼きは、一枚、また一枚と皿から消えていった。
 ――まるで貧乏学生だな。
 友人の食べっぷりに、春名は小さく息を洩らした。もっとも、大学時代の藍沢は実家暮らしで、食に不自由することなどなかったのだが。インスタント中心の食生活になったのは、実家を出て安アパートに移ったつい昨年からだ。
「こっちの切り干し大根は優しい感じだね。お袋の味っていうのかな」小鉢を片手に、藍沢は感想を述べる。「ハルは男だから、親父の味かもしれないけど」
「俺はまだ親父じゃない」
 春名は渋面を作った。子供がいないどころか、それ以前に結婚さえしていないのだ。それで親父だというなら、藍沢だって親父だろう。春名と同じ三十一歳で、同じく独身ときているのだから。
 とはいえ、藍沢が料理に満足していることは、箸の進み具合からも充分にわかった。上質そうなシャツにたれが飛んでも気にする様子もなく、手と口を動かし続けている。これでもかと焼いたはずの生姜焼きは春名が箸をつける間もなく消えてしまったが、ここまで綺麗に平らげてくれると作った甲斐があるというものだ。
「なあ藍沢。褒められついでに、一つ話をしてやろうか」
 猪口からもう一口飲み、春名はそう切り出した。半ば無意識に背筋を伸ばし、友人に向き直る。
「話? って、もしかしてハルが担当した事件の?」
 藍沢は射抜くようにこちらを見返した。ミステリ専門の翻訳家である彼は、謎めいた事件に目がないのだ。ときおりふらりとやってきたかと思うと、なにか面白い事件はなかったかと訊いてくる。藍沢が求めているのは、孤絶した空間での連続殺人や、ダイイングメッセージ、密室殺人といった類いのものだった。
 いくら春名が刑事だからといって、そうそうそんな事件に出くわすはずもない。いつもなら、訊ねられても「ない」の一言で通すのだが――。
「ああ、そうだ」
 春名は静かに猪口を置いた。藍沢の好みは現実離れしているものの、今夜に限っては彼の期待に応える用意がある。不可解な謎を秘めた事件が、この田舎町で実際に起きたのだから。
「これはすでに解決した事件だが――」
 そう前置いて、話を始める。語ろうとしているのは、とある殺人事件だった。
 その被害者は、周囲に高い建物のない場所で墜落死を遂げたのだ。
【第2話に続く】

第2話:https://note.com/ayumura_saki/n/n3338f5e62408
第3話:https://note.com/ayumura_saki/n/nddee54111af4
第4話:https://note.com/ayumura_saki/n/nab4a247ac8b6
第5話:https://note.com/ayumura_saki/n/nb505aa916938
第6話:https://note.com/ayumura_saki/n/nfdf06940445c


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