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不登校だった娘がロシアでバレリーナになった話#4(ケガからの復活)

不登校が日常化してきて、親子のストレスがほぼなくなってきたのは中学3年生になってからです。

中学3年生で赴任してきた新たな担任との出会いが、少なくとも不登校というレッテル(?)から解放してくれたと思います。
その話は#5までお待ちください。

不登校児の長女が大きく成長するきっかけとなり、自分自身の心の殻を破ることができたのは、今回お話しするバレエでの経験があったからだと思います。


怪我をして気付いたこと

大きな怪我はしたことがなかった長女ですが、中学1年生の冬のコンクールで足首を痛めてしまい、そこから約半年間まともにレッスンができない時期に突入しました。

1.レッスンは休まないでください

痛めた原因がねん挫とか骨折とかの、わかりやすいものだったらまだよかったのですが、最初のうちは原因がわからないままでした。

ただ痛くて歩けない、足を床につくのさえ痛がっていたので、私はしばらくレッスンを休むことを教室に伝えました。

その時のコンクールで踊った演目がジャンプの多い踊りだったことも一つの原因かもしれないのですが、そもそも偏平足気味の長女は足の裏の筋力がまだ弱かったので、着地の衝撃は相当なものだったようです。

とりあえず一旦は安静にしてレントゲン検査を受けてから、と思って私は「レッスンを休みます」と連絡をしました。

ところが、教室では休むなんてあり得ない!という反応でした。
「〇〇ちゃんはレッスンできなくても見学だけでも来てましたよ」
と、過去に怪我をした生徒さんと比較をされたので驚きました。
怪我の状態や個人の状況も違うのに…

確かに見学して学ぶことは意味のある事だというのはわかりますが、長女は電車通学ですし徒歩の区間も長いので現実的にはかなり無理があると思いました。

ですが、教室からの言葉を聞いて真面目な長女は…痛みを我慢してレッスンに行くことにしました。

2.自分の気持ちに蓋をする

日本の教室の悪しき習慣なのかこの教室独自の体育会系の思想なのかはわかりませんが、体調が悪い時の「休む」ことへの考え方についてどう思いますか?

ロシアでは、女の子は生理痛でもレッスンを休むように先生から言われます。

そして、長女は「アサーション」が苦手です。
自分の気持ちを相手にわかってもらえるように上手に伝える技術は、大人でも難しいものです。

言っても無駄、どうせわかってもらえない、自分さえ我慢すればいい…

中間子の特性なのか長女の特性なのかわかりませんが、人に嫌われたくないし反発して無駄な争いもしたくないという気持ちもわかりますが、いつも人間関係で何か行き詰まると私の方がもやもやしてしまいます。

不登校になってからも、
「担任にもスクールカウンセラーにも本音は言わない」
と宣言してた長女。

言ってもわかってもらえないし無駄なことはしたくない、とのことでした。

3.シンママの肩にのしかかる治療費

足首の痛みの原因を突き止めるために近所の整形外科でレントゲンを撮ってもらうことから始めたのですが、骨に異状はなく湿布を処方していただき安静にという指示しかなかった為、その後いくつかの病院と整骨院を渡り歩くことになりました。

土日のほとんどを病院や整骨院通いに充てる日々が3か月ほど続きました。
大病院の整形外科、バレエ専門の治療院…保険適用外の高額な治療費はシングルマザーの私の肩には重たい出費でした。

バレエ専門の治療院は、自分で探した所と口コミや紹介で行ったところを合わせると4か所になりました。

保険外の治療は、大体が初診料2000円前後+診察料5000円でした。
それに加えて、どこも家の近くではないので交通費もかかりました。
でも、とにかく長女の怪我を何とかしてあげたい一心でした。

生活費は切り詰めればいいや…っていう思考回路でしたので、かなり頭のおかしなバレエママだったと思いますよ。
マネは厳禁です(笑)

4.信頼できる医者との出会い

最終的に信頼できる治療院に出会えた時に、診断の内容から様々なことがわかり疑問が解消しました。

そもそも、私にも長女にもバレエ外傷について知識がなかったですし身体の構造やバレエの身体の使い方などなど、あらゆる知識がなかったことに気づかされました。

これまでなんとなく出来てしまっていたバレエの技術に関しても、身体への負担が相当あったことや食べ物飲み物で身体は変わること等を沢山教わりました。

このことをきっかけに、身体への意識については長女自身はもちろん私の意識も変わっていったと思います。

”バレエダンサーはアスリートと同じ”って、今でこそいろいろな人が発信していますが、まだ中学1年生ではその意識がなかったのが実情でした。

怪我をしてみて、バレエができないもどかしさと教室の先生の対応など負の部分を感じる暗黒の時間を経験しましたが、逆にこの時間があったからこそ大切な事にも気付くことができたと思います。

今となっては…の話ですね(笑)
当時は、永遠に続く暗いトンネルの中にいるようでした…

※実際お世話になった治療院を貼ってきますので、参考にしてみてください。
最終的には、ピラティスもとても効果があったので載せておきますね!

本当の目標がわかった時

その年の1月に足首を痛めて踊れなくなってから、7月の発表会で復帰したので治療には約半年かかりました。

5月にようやくトウシューズに足を入れられるようになって、6月に踊り始めるというハードスケジュールになったのですが月2のペースで通い続けていた治療院の先生のサポートもあり順調に回復しました。

また気持ちの面でも変化があったので、バレリーナを目指すうえで具体的な方法を探るようになっていました。

1.ロシアに行く

この時、中学2年生になっていた長女は本来持っていた夢や目標をはっきりと言葉にするようになりました。

バレリーナになるならロシアで!という自分の気持ちがわかり、そのためにはどうしたらいいか考え始めました。
となると、まずはワガノワメソッドという厳格なロシアバレエのメソッドを学ばなければなりません。

今通っている教室は。特にメソッドなどの縛りを持たないことはわかっていました。
ただ、クラシックの他にもプロのコンテンポラリーダンサーが講師にいたので当時としては他にない魅力的な教室でした。
また、留学するなら費用の安いドイツを勧められていたこともあり、なんとなくドイツに行くことを目標にして通っていました。

ところが、怪我から復帰した長女は
「留学するならロシアに行きたい」
とはっきりと自分の気持ちを言ってきました。
というか、自分の気持ちに気付けたのだと思います。

2.初めてワガノワメソッドに触れる

丁度、夏休みに行われているワガノワメソッドのキャンプがあることを私がネットから見つけ、長女に行ってみるか尋ねると即答で「行く」と返事が返ってきました。

費用は1週間で交通費も合わせると10万円ちょっとでした。
もちろん、我が家にゆとりは1円もありませんが(笑)
頭のねじが1本外れていた私は、快く送り出しました。

すでに不登校児で人と関わることが苦手な長女が、たった1人で知らない環境に1週間も行って大丈夫なんだろうか?と半信半疑ではありましたが、その時の長女はすっかり殻が破れていたような気がします。

そして、そのキャンプで初めて本場のワガノワバレエアカデミーの教師陣からロシアバレエたるものを学ぶことができたのでした。

3.ロパートキナの講習会

ロシアバレエをご存知の方なら、”ロパートキナ”と聞いてどれほど素晴らしいバレリーナかお分かりになると思います。

長女が8月のワガノワバレエのキャンプから帰って畳みかけるように、9月にロパートキナが来日して日本公演があるというタイミングで、日本でバレエの講習会をやるという情報が舞い込んできました。

当時のチラシがいまだにカメラロールに!

3日間で4万円くらいだった気がします。
私は当然のように、迷わず申し込みしていました。

夏のワガノワバレエキャンプでのおさらいというかアウトプットが必要だと感じていたのと、長女自身が大好きなバレリーナに直接学べるなんて本当に貴重な機会だと思ったので、迷う理由はなかったです。

ロシアバレエを習うために

ロパートキナの講習会で、現役の「ロシアの至宝」と言われたバレリーナからの直接指導を受け、ロシアへの熱が一気に高まった長女でした。

講習会では、ロパートキナが直接長女の身体に触れて指導してくださったとか…夢のような講習会だったようで無駄なお金を払っていないことに納得もできました。

家計を削って費用を捻出している手前、こういう納得感って大事でした(無理矢理でも(笑))

1.決定的な出来事

ロシアバレエは上半身の動きや腕の使い方(アームス)などが特徴的なので、長女はそういったところをかなり丁寧に指導を受けてきました。

そして、講習会を終え教室でのレッスンでのことです。
バーレッスンでいつも通りではなく、ふとアームスと頭の付け方をロシアバレエ方式でやってみた長女は、すかさず先生に直されたといいます。

その瞬間、
「この教室にいたらロシアバレエを否定されてしまう!」
と危機感を持った長女。
この時の当面の目標はロシアへのバレエ留学と決めていたので、この教室での無駄な費用、無駄な時間は使えないと思ったそうです。

そこで、
「もうここはやめたい。ワガノワメソッドのバレエ教室に通いたい」
と私に言ってきました。

2.最後の発表会

そこから、私たち2人で”ワガノワメソッド”というワードでバレエ教室を検索していきました。

もちろん自宅から通える範囲であることは必須でしたが、最終的に候補にした教室へは片道1時間というちょっと遠い場所でした。

体験レッスンに行ってみて遠いから通うの大変かな、と不安そうではありましたが、少数精鋭のクラスでみっちり基礎からワガノワメソッドを叩き込んでもらえるのは魅力だと感じました。

そして移籍先をその教室に決めたのですが、規模の小さい教室なので発表会は行っていないとのことでした。
ですので、その2か月後に予定されていた移籍前の教室での発表会が長女のバレエ人生で最後の発表会となりました。

発表会は冬ならではの「くるみ割り人形」で、配役は“足笛”。
”足笛”は”ロシア”という別名で呼ばれる踊りなので、偶然かどうかはさておき心に残る演目になりました。

親にできること

振り返ってみて思うのは、不登校の長女もバレリーナを目指す長女もどちらもまぎれもなく我が子の姿でした。

不登校の状態でありつつもバレリーナを目指す意思を固めた長女に対し、周りから言われてきた言葉は意味のない野次馬の言う雑音のようなものでした。

何度も書いているかもしれませんが
「不登校で嫌なことから逃げているからバレリーナになんてなれない」
と、中学の教師たちから言われてきた言葉。

また、移籍前の教室では常に差別的な目で長女を見ていたので、
「バレリーナになれるとした大穴だな(競馬に例えて)」
という失礼極まりない発言もされていました。

なにしろ、中学にもバレエ教室にも長女のことを応援したり支えたりしてくれるような”味方”はいませんでした。

なので、必然的に私のやることは一つに絞られるようになりました。

「私だけは何があっても味方でいよう」

そして、移籍前の教室にいらっしゃった講師の先生が、長女のバレリーナへの夢を知った時、なんと私を勇気づけてくださいました。

1.「何があっても、子どもの大好きなご飯を作ってあげてください」

いくら長女の夢を応援しようと思っても、長女にイライラをぶつけられたり私自身にも悩みや葛藤はいつもありました。

我が家には長男と次女もいましたし、それぞれに子育ての悩みが常にある状況で、シングルマザーの私はいっぱいいっぱいになってしまうことが度々ありました。

そんな時は、気持ちのやり場に困って泣く時だって何度もありました。

でも、
「何があっても、おいしいご飯を作る」
それしかやることはないんだ、と呪文のように唱え腹をくくりました。

ケンカしてどんなに子ども達に腹が立とうが、仕事で嫌なことがあろうが
毎日ちゃんとご飯を作ろうとだけ、思ってきました。

そして、そのことに集中したおかげで私自身、精神的にタフになれのかもしれません。

その講師の先生は、お子さんのバレエで悩んでいた時期があったそうです。
なので、子どもの夢を応援するには親のメンタルが安定していることが大事だから、とアドバイスしてくださったんですね。

まぁ、予算的にも厳しい我が家の場合、バランスよく果物や野菜たっぷりでヘルシーなんていう食卓とは程遠く、基本的に炭水化物多めの食卓でしたが、添加物や乳製品に気を付けるだけでもかなり健康的なご飯が作れたとは思います。

2.言うは易し行うは難し

そう、本当にこればかりは今でも難しいのです。

今現在は、長女はロシア在住ですから年に1度会うか会わないかの関係になってしまいましたが、同じ苦労をいまだに次女との間で繰り広げているmaruちゃんです💦

子どもと衝突しても、ご飯は作ろう…fight!






















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