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非行少年だった息子が社長になった話#2(父親と息子の関係)

話は少しさかのぼります。

私たち夫婦は、いわゆる”授かり婚”でした。

職場の同僚として2年間は、飲みに行ったりする仲のいい友人関係でした。
その後、お付き合いを始めてからすぐに妊娠が発覚して結婚、半年後に長男が生まれました。

そもそも、この結婚が失敗だったのかというと、後に離婚していますから失敗だったといえるのかも知れません。

少なくとも、離婚の原因の一つには長男も関係していました。


父親になるとはどういうこと

出産後、元夫は甲斐甲斐しく赤ん坊の世話をしてくれました。

ウンチのおむつも積極的に替えてくれましたし、あやしたり遊びに連れて行ったり、傍から見たらいい父親をしていたと思います。

そもそも、世間の一般論では父親は子どもが生まれてからすぐに父親にはなれないと言いますよね。

母親は、十月十日お腹の中で命を育んでいるので徐々に母親としての覚悟ができてくるものですが、父親は子どもが生まれても実感が湧かない人が多いようです。

そして、日々お世話をしながらだんだんと父親になっていくようです。
元夫も、そんなふうに父親としての日常を受け入れ長男との生活を楽しんでいるように見えました。

・イヤイヤ期に起こった事件

長男はすくすくと大きくなり、特に発達にも問題なく成長していました。

そんな幸せな生活を送っていた2歳の時、事件が起こりました。

私は、これまで知らなかった元夫の顔を見てしまったんです。

というのも、赤ちゃんは成長しいつまでも「かわいい」だけの生き物ではなくなっていきますよね。
自我が芽生えいわゆる”イヤイヤ期”が訪れます。

子どもの発達段階を理解していれば、この成長過程がどんなに大事な時期かわかるのですが、特に知識のない一般的な親であればこの”イヤイヤ期”には相当手を焼くんですよね。

ある時、長男が”イヤイヤ”を発動した瞬間、宙を舞いました。

元夫が投げ飛ばしたんです…そして、2歳の長男は部屋の扉に顔を打ち付けて出血し、目の上がみるみる腫れていきました。

・「男の子はいらなかった」

そして、衝撃的な言葉を元夫から聞くことになるのでした。

そんなことより、長男の怪我を何とかしないといけなかったのですが、出血は幸いすぐに止まりました。
ただ、目の上がものすごい腫れてしまい、とにかく氷で冷やしました。

異様だったのは、その時長男が泣いていなかったことです…

・保育園では完璧な父親

次の日に、保育園に行ったら先生になんて聞かれるかとビクビクしながら登園しました。
「父親に暴力を受けてこうなった」
と言う勇気が出ませんでした。

とっさに、
「転んじゃって…」
とすぐばれるような嘘をついた私。

保育園の先生たちから見て、元夫はほぼ完璧なイクメンだったはずです。
ほんの一時の暴力行為で、信用を落とすべきじゃないかもしれない…そんなふうに考えていました。

でも、あの時正直に伝えていたら、何か変わったのか?と言われるとそうとは思えないのも事実です。
ただ単に、
「あの家庭は父が暴力をふるうから、何かあったら通告」
というレッテルを貼られただけのような気がしています。

それは、保育士や園長の意識次第でしょうか。

でも当時の保育園は、”子育て支援”という機能や職員の意識はとても低かったと思います。
実際、私自身も働いていてそう感じていました。

「家庭支援」は児相に丸投げだったんじゃないでしょうか。

露骨な態度

あの一瞬の出来事依頼は落ち着いていて、次第と以前と変わらない元夫に戻っていきました。

・長女の誕生

2人目の子は、元夫の望み通り女の子が生まれました。

私は、密かに”産み分け”の方法を調べ実践していたのですが、100%の確率ではないことなので生まれてみるまでは落ち着かなかったです。

私はもちろん性別にこだわりはありませんでしたが、元夫は娘が欲しいとさんざん言っていたので、結果的には良い方向に行けたと思いました。

・娘はカワイイ、でも…

長女がすくすく大きくなってくると、元夫の長女びいきはあからさまになっていきました。

元夫がカメラを構える時、長男も入ろうとすると
「お前は入らないで」
「邪魔」
という言葉をかけるようになっていました。

それでも、長男はけなげに父親に甘えにいったり子どもながらに機嫌を取ったりしていたのが見ていてわかりました。
私はそんな長男をフォローし父親との関係と取り持つように立ちまわっていました。

情けないですが、この当時はどちらかというと元夫の顔色をうかがうオロオロした母親だったのではないかと思います。

・そして起こった2回目の事件

次女が生まれてから2年ほど経った頃、元夫の会社で大規模なリストラがありました。

元夫自身は、リストラの対象者ではなかったものの、やはり職場では相当ストレスがあったようでした。

お世話になっていた上司や先輩がリストラ対象だと聞き、私も同じ職場でしたので胸が痛みました。

今思うと、元夫は上手にストレスを発散させることが苦手だったのかもしれません。
でも、自分より弱い立場の子どもにその感情をぶつけるなんて最もやってはいけない行為だったと思います。

その頃、長男は小学校4年生になっていました。
食が細かったせいもあってヒョロヒョロな子どもでした。
父親の一方的な怒りに任せた鉄拳に吹き飛ばされるのは2回目でした。

長男を守るためでもあり

実は、元夫は長女が生まれる前に職場の女の子と浮気していたことがわかっています。

私は長女を妊娠中でしたし、その時すぐに離婚に踏み切ることもできなかったのと、浮気がバレた元夫の方が「やり直したい」と言ってきたこともあり、夫婦関係を継続してきました。

・もういいよね

2回目の事件から数日後、私は4年生の長男に父親と別れようと思っていることを伝えると、あっさり
「うん」
と言って抱きついてきました。
ママだけがいればいい

下の妹たちにとっては、父親がなぜ突然いなくなったのかわからなかったでしょう。

私は、長男を守りたかった。
それが当時離婚を決めた最大の理由だった気がします。

もちろん、そんなふうに長男に理由を伝えることはしていませんが。自分の心がもうだめだと思いました。

元夫には、直接伝えました。
「もういいよね?長男はあなたの暴力を受けるためにいるわけじゃないから」

その時に、浮気が継続していたかどうかはわかりません。
でも、すんなりと離婚を承諾した元夫でした。









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