見出し画像

また歩く

今日は7時に起きました。
いつもは5時半か6時には起きているのですが、昨日の疲れで眠りこけました。
あー1時間のタイムロス・・・と一瞬思いましたが、別にそれでいいのです。無理しない。そんな日だってあって当然だし、タイムロスなんてどうでもいいのです。

昨日はいろんなことが偶然重なった1日で、体力的にはなく心持ちが少し折れそうでした。

こころの相談ができる施設へ行ってみたのですが、結果、不安を煽られて終わりでした。
どんなもんなのかちょっと知りたくて行ってみたのですが、就労支援に重きを置いている施設で、わたしにはまだ少し早かったのかもしれません。

面談室で、1時間弱ほど話をしたのですが、わたしが今までどんな生活を送ってきたのか、家族構成、学歴、病名、これからどうしたいのかなど、病院のS先生以上にたくさんのことを聞かれました。
別にそれは嫌じゃないし、何があったとしても時には考えながら、自分が歩んできた一つの人生の形なので、話すことにはあまり抵抗がありませんでした。

ただ面談の最中、

「ここではカウンセリングは受けられないんですよね」
「障害者手帳を持っていないのはなぜですか」
「あくまでも就労支援という形なので、仕事の斡旋はできないんです」
「これからどうしていきたいですか?」

そういう言葉にいちいち引っかかってしまい、わたしは何も言えなくなってしまいました。

カウンセリングを受けようと思ってここにきた訳ではない(むしろ聞いてきたことに素直に答えていただけだった)、障害者手帳を持っていないと、ただのだらけている人間と思われてしまうのか、仕事が欲しくてきたのではない、どうしていけばいいのか自分でも分からないから相談という形を取りたかった。

要するにまだ行く時期が早かった。そういうことです。

ですが、面談という時間を取ってくれて、話をきちんと聞いてくれただけでもありがたいんだと思います。だからわたしの受け取り方の問題。気持ちの整理が付いていないまま行ってしまったわたしの判断。
そして言われたことも悪意があるわけではなく、ただの施設の在り方の説明だった。投げやりにわたしの話を聞いていたわけではありませんでした。

それを歪んだ気持ちで捉えてしまった自分に落ち込みました。
そして施設を出る時に玄関まで見送ってくれたのですが、わたしが帰ったあとに「変な人だったね」って言っているんじゃないかという、過度な被害妄想。

全てのことが不安で、自分のことも信じられないので、こうした被害妄想が生まれてしまうのです。ま、いっかと流すことができません。流すには時間がかかります。

昨日は雨が降っていて、その施設も遠かったので、往復するだけでも少し大変でした。

雨が降ってる時に人とすれ違うと、わたしもそうなのですが、皆さん傘が当たらないように傾けてくれますよね。
そんなほんの少しの優しさに、泣きたくなってしまうほどまいってました。
まぁそんな気分になれたことも、外に出たからこそ味わえた結果。

こうやって人の優しさに触れて、自分も優しさを返していけば、歪みきった捉え方も変わってくれるのでしょうか。

仕事を辞めてから2ヶ月。最初の1ヶ月は次の仕事を探すことに毎日を費やし、それに限界を感じ、働くことをしばらくお休みしようと決めてから1ヶ月。
「たかが1ヶ月休んだところで、何も変わらない」とS先生に言われた言葉を思い出します。

分かりましたよ、焦らずに、休みますよ。
双極性障害は安定するまでとても時間がかかる「らしい」。

困ったちゃんです。本当に困ったちゃんだよあんたは・・・。もう少し仲良くしてくれないもんかね、躁鬱さんよ。