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『小村雪岱スタイル―江戸の粋から東京モダンへ』

『小村雪岱スタイル―江戸の粋から東京モダンへ』
三井記念美術館



なんと2021年になって展覧会の感想を描くのが本展が始めてという気の緩みよう。うそ、お仕事がんばってたから仕方ないのです。とはいえ気づけば3月も終わろうとしていて、2021年の3分の1がもう終わってしまったことを思うと、したいことはしたい時にやっていこうと。春の花々が誇らしく咲いている様子に生命の尊さを感じてあぁ綺麗!!!!と胸いっぱいになりながら、こうやって感じたことを反芻しながら感想を書いている贅沢な日々がずっと続けばいいのにと思っています。うそ、ちゃんと仕事もする。さっきからうそうそばっかり言って、遠藤はうそつき大魔神だな。なにを言っているのかわかりませんが、とにかく久々にゆっくりと美しい作品を見て、感想を書けているのがとても楽しいのであります。



というわけで本日伺ったのは三井記念美術館。みなさん小村雪岱ってご存知ですか?昨年BSの「ぶら美」で山下裕二先生がご紹介されてたのを見て、わたしも初めて知ったのですが、あの「資生堂」や「花椿」の一度見たら忘れない美しいフォントをデザインされたのが雪岱です。それだけでもう秒で告白するレベルで「すきっ」って感じなのですが、今回の展示で彼の研ぎ澄まされた美しい作品をたくさん見てしまったわたしは沼落ち待った無しなわけであります。ちょっともうほんっとにびっくりするくらい素敵だった。



さて、小村雪岱なにやつ?って感じですが、日本画家や版画家でありながら本の装丁や挿絵、舞台美術も手掛ける“デザイナー”と言ったほうがいいかもしれません。なかなかこういう商業的な枠の作家はアカデミックな芸術家に比べて研究が進んでいないそうで、山下先生が目下、彼について研究を進められている最中なのでまだまだこれからわかることがたくさん出てくるんだと思います。楽しみ。


本展では肉筆画、デザインした本、版画作品、挿絵、舞台美術の道具帳などが見れるのですが、その中で遠藤がもうめちゃくちゃ見たかったお目当ての作品が「青柳」「落葉」「雪の朝」の3作品です。肉筆画は今回は出展されなかったので戦中に摺られた版画作品を拝見しましたが、それでも充分!!!!ときめきが爆発しました。

雪岱が手掛けた泉鏡花の「日本橋」の見返し絵(本の表紙の裏側の面に描かれた絵)をもとに描かれた連作で、四季が描かれているのでほんとは「夏」があるはずなのですが、それはまだ見つかっていないそうです。

この連作のなにがいいかって「吹抜屋台」の構図なんです!!平安時代の巻物の絵って上空から見たような斜俯瞰気味で描かれてるじゃないですか?源氏物語とか。ゆらめく金雲越しにあえて隠されてる部分があったり。はぁ、おしゃれ。すき。大好きなんですわたし、この構図が。
正面から描いた風景画って画家と対象物との関係が明確で、リアルさしかないのですが、この「吹抜屋台」だと、どこから覗いてんねんって感じなんですが、そのちょっとした違和感から来る距離感の曖昧さ不確実さみたいなのによって幻想性が帯びてくるんです。たまらん…。

雪岱は一時、美術史の学術雑誌を刊行する國華社にお勤めされてたときに、古画の複製制作の事業や絵巻の模写事業に携わり、当時の技術や構図を習得され、それに影響を受けたそうです。

いまめっちゃ大事なこと書いてるのわかります?!???!!(急)過去の美しい作品を模倣し、その魅力を理解するということの大切さよ…!
何百年を経て現代にまで残っているものには普遍的な魅力が間違いなくあって、それを再解釈すること、違った要素と組み合わせることで現代において新しいものを生み出していくことができると私は思っています。
たかだか数年前に同業者の誰かが作った見知った作品をサンプリングするという表層的でしかない模倣をすることに何の価値も創造性もないということをプロップスタイリストとして日々感じているので、雪岱に対して一気に心の距離が縮まりました。

ちなみに彼は『昭和の鈴木春信』と呼ばれているほど、女性の描き方が春信の要素を受け継いでるのがわかるのですが、春信をそのまま真似しているわけでは決してないなということもわかります。笠森おせんちゃん(江戸時代のアイドル)を描いた挿絵なんかを春信のものと見比べると雪岱の描く女性のおしりとふともものラインは服にぴったり沿って描かれてて、そこに着物の厚みはありません。絵としてというよりはイラストの感覚に近い気もしますが、単純に美しい曲線を選んだんやろなぁと。描き方を真似するということではなくマインドを受け継いでるって気がしました。

と、話がそれてしまいましたがこの『吹抜屋台』の構図に対して彼がプラスで表現したのが「留守模様」と呼ばれる、人物が不在なのですが着物や調度品だけを残して、その空間に人の温もりやを感じるという古典的趣向です。それがもうぐっとくる…!!!描かれているのは「不在」なのに「在」が表現されてるんですよ…。あかん、もう、おしゃれすぎる…。おしゃれオブザイヤー確定や…(吐血)

この3つの作品をじっくり見ていくと、ほんの少しだけ挿し色を絶妙な場所につかっている色の使い方、たくさんの落ち葉のなかに花びらを数枚散らせて近くに花がなる大木があることを彷彿させる量の絶妙さ、直線と曲線の組み合わせによる印象の豊さ、圧倒的構図の大胆さなど全部の要素が完璧に研ぎ澄まされてて、見ればみるほど虜になる作品です。

こんなに美に対しての感覚が鋭い人、ほんとうに久しぶり。ただ「センスがいい」では片付けられない魅力があります。



さて、なんだか猛烈に書いてしまっていますが、次に遠藤のハートを鷲掴みにされたのが(まだ書くんか)、雪岱&泉鏡花&鏑木清方の胸熱ストーリーが背景にある本の装丁コーナーです。

まず最初に言っておきますが、本の装丁が全部ほんまに最高でほんまにおしゃれでほんまにかわいいんです!!!!!!!!!!!!!こんな本が売ってたら大事に大事に抱きしめながら読みたい。洋書みたいで、今でいうpenguinbooksから出てるコラリービックフォードスミスさんがデザインしてる本みたいなのもこの系譜を辿ってると思いますし、今出たとしても全然古くないデザイン。

それに箱、表紙はともかく、表見返しと裏見返しにまで絵が描かれた本がいくつかあったのですが、そこに描かれている絵の力が凄まじかったんです。本を開いた途端あっと引き込まれてしまいそうな、一気にお話のなかに没入してしまうような、そんな感覚になるような絵が描かれてて、デザインの持つ力の凄さを感じました。

さて雪岱は大学生の頃から泉鏡花にとても憧れていたそうで(卒業論文も鏡花について書いたそう)、そんな鏡花が雪岱を大抜擢して「日本橋」という作品の装丁をすることになるのですが、これが大人気を博したのを皮切りに以後鏡花の本のデザインを雪岱が担当されていたそうです。しかし実はそれまで鏡花の装丁を担当していたのは鏑木清方(雪岱より9歳年上の日本画家の巨匠)で、歳下のキャリアのないアマチュアのデザイナーである雪岱が自分の仕事を取っていったことに怒ってもいいはずなのに、清方も雪岱の才能にすごいですねぇとなって、3人仲良くお仕事をしていたそうです。なんか、めっちゃ、いいですね…(感涙)

一昨年「鏑木清方展」に行った時、忘れゆく東京の下町を描いた作品群を見た時に、この方が人に向ける目にはやさしさと慈しみがあるなぁと感じるほど温かみに溢れていたのですが、人となりが誠実だからこそ、つくられるものにも嘘がなくて美しいのだなぁと改めて思いました。

雪岱と鏡花の関係性も、どちらが有名とかどちらが年上とかそういうことは関係なく、お互いをリスペクトし合う姿にも心を打たれました。



他にもじっと立ち止まらないと見えない自然の美しさに涙しそうな作品があったり、余白から感じる豊さに心が浄化される作品があったり、これ以上ないと思えるくらい洗練された構図で描かれた挿絵にヒリヒリしたりなど、ここでは語り尽くせないほどいい作品がたくさんありました。また、彼の商業デザイナーとしての仕事への真摯な姿勢も同時に感じられて、とても刺激を受けました。

ほんとうにいい展覧会でした。推そ〜っと。

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