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私は何者にもなりたくない

東京は人で溢れている。

誰に話しかけても面白い話がきけるだろう。

それくらい個性に溢れたところだ。

だけど、それが苦しい。

「イタリア人の友達は」

「電通では」

「家賃15万が普通だよ」

「子役やってた友達が」

そんな"普通"の会話でも私の心に刺さる。

歯と呼んでいた牛の草の塊の上で遊んでいた私。

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両親はガソリンスタンドと医療事務。

叔父が医者で羨ましかった。

そんな環境で生まれた私にとって東京の人たちは皆異常だ。

何かを持っている。

何者かになっている。

普通じゃない。

東京にいても埋もれない何かを持っているように見える。

そして相応しくそこに存在している。

私もそうなりたかった。

そうなりたいから自分を絞めた。

だけど私は常に異質物。

苦しくて苦しくて目指せば目指すほど何者にもなれないことを知る。

モブサイコの霊幻が

「特別な何かになりたかった」と言うセリフがあるんだ。

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超能力に恵まれたモブのように。


現代では個性が大事だと言われる。

若い人はフォロワーが欲しいという。

皆「特別な何かに」なりたいのだろう。

でも、それで苦しいなら村人Aでいいんじゃないかな。

「特別」になることが偉いとされる現代で

何もないと、平凡であると言えることがどれほど幸せか。

それを受容した時私たちは幸せを手にすることができるのではないか。

比べることをやめありのままの自分の存在を受け入れられるようになった時

ようやく自由になれるのではないだろうか。

だから、私は何者にもなりたくない。

村人Aで生きていく。

それが気持ちいい解放感を与えてくれる。

干渉されず、なくてもいいと許すことで自分を誇りに思うことができる。



追記

あまりにも似た内容で綺麗に言語化されていたため共有させていただきます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/56c0c4a09a352861faa33ad60556d3706c36626b?page=2





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