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私が悪者です~理解されない孤独と苦しみ~①

皆様、ご無沙汰しております。
限界ADHD・チック症の
あや様こと小形 文(オガタ アヤ)
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突然ですが、
みなさんは『カサンドラ症候群』をご存知でしょうか?

度々、精神病が話題として上がるようになった今の時代、名前を聞いた事がある方は少なくないと思います。
しかし、実際どんなものなのかを知っている人はあまり多くないでしょう。
実は私も、近頃ある事をきっかけにその存在を知った人間の1人で、今までは「まぁ精神疾患の1つだろう。私には関係ないな。」くらいにしか考えておりませんでした。

今日はその「ある事」と、
私自身が「カサンドラ症候群なのではないか」と気づいた経緯について語ろうと思います。


◎カサンドラ症候群とは

そもそもこれは一体どのようなものなのか。
その存在を知らなくては始まりません。

【カサンドラ症候群】

「カサンドラ症候群」とは、発達障害*の一つである「自閉スペクトラム症(ASD)」のパートナーを持つ方が、パートナーとうまくコミュニケーションが取れず、苦しんでいる状態。

引用:カサンドラ症候群 https://g.co/kgs/xjJ9bp3

とネットにはあります。
パートナー(や身近な存在)との関わり方が原因で、鬱のような状態になってしまったり、
心身ともに良好な状態とは言えなくなってしまう事を指すと言います。

また、相手がASD(またはADHD)などの精神疾患を持ち合わせている事も特徴の1つだと言えるでしょう。

ちなみにASDという言葉もよく聞くと思いますが、
これは、別名「自閉スペクトラム症」とも言い、
人とのコミュニケーションに困難が生じたり、
強いこだわりや、感覚の過敏さや鈍感さがあったりする発達障害の1つです。

かと言って、
ASDの特性を持ち合わせている全ての人が、
相手のカサンドラ症候群を誘発しているわけではないので、そこは押さえておいて頂きたいです。
あくまでも、“その傾向にある人もいる”という話であり、実はカサンドラ症候群を引き起こす人は本人もなにかしらの発達障害を持ち合わせている傾向“も”あると言われています。

実際、今、自身の身体に違和感をおぼえている私もADHDを持ち合わせておりますし、
ADHD・ASD同士はなぜか惹かれ合いやすい傾向にあるそうで、そのようなカップルも多いようです。


◎3年の時を経て

パートナーとの同居生活は早くも3年。
様々な困難がありましたが、世のカップル達と同じように、ぶつかっては修正してぶつかっては修正して…を繰り返し、ようやく落ちついて来た(かもしれない…)という形になってきました。

しかし、
どんなカップルにも衝突はつきものだとは思いますが、私たちの形はかなり特殊(というより悲惨…笑)だったと思います。

まず、カップルの間には大前提として、
“愛情”があります。愛情があれば自然と“思いやり”の言動が見えたり、“尊敬”が生まれたりするものですが、パートナーから私への対応には酷く苦しみました。
前述した通り、愛情があれば、相手が“嬉しいこと”や“喜ぶこと”をしようとするのは自然だと思いますが、同棲初期の頃の彼は、
口を開けば“揚げ足取り”。相手が喜ぶ事どころか、寧ろ悲しい気持ちになるような発言ばかりでした。

今思えば、私はよく乗り越えたなと思います。
Twitterやメモ機能などに、当時言われた事、された事、そしてその時の心境が残されているのですが、読めばよむほどまぁまぁ酷いことをされていて、笑ってしまいました。笑
3年前の私の方が、今の私よりよほどタフだったと思います。笑

※ 3年前に彼へ宛てた手紙の1部 ↑

当時は、一緒に居れるよう伝え方や言葉選びなどに
様々な工夫をしていました。


おそらくパートナーは、
ASD・ADHDの傾向も持っていると思いますが、
自己愛性パーソナリティ障害のケがあるとも思っています(私が勝手に)。
自分が上に立っていないと気が済まない、
即座に謝れない、逆ギレする、
思い通りにならないと不機嫌になる、
都合が悪くなるとすぐ逃げる、相手のせいにする、
自分の事ばかりで、相手に共感できない、など、
まるで、イヤイヤ期の3歳児のようだと感じる時が多々あります。
恐らく、
悪さをする事でしか興味を向かせる方法が分からず、“愛される”という感覚が分からない、または怖いがために、相手を試すような行動をしてしまうのだと考えます。
ある意味、彼もナニかの被害者なのかもしれません…。

しかし、ここまで並べてしまうと、
「なぜそんな人と一緒になったのか」と、
大半の人が疑問を抱くと思います。
しかし、(彼は)ASDの気質なのか、
夢中になったらとことん追求し、
マニュアル化してしまえばサラッとこなす、
他人の懐に入るのが上手く、周囲の人からは可愛がられる世渡り上手でとても器用な人です。
所謂、“天才”のような器用さと不器用さを持ち合わせていて、私には真似出来ない事をすんなりとこなしてしまうので、私は尊敬しています。

この3年間、
あまりにも刺激的な出来事の連続でしたが、
確かに彼も1歩ずつ、改善に努めてくれているのがよく分かります。
自分の問題点を受け入れ、ある程度形成された人格を変えるのはとても難しい事です。
その努力には心から感謝しています。

ただ、
美談として片付けてお終いには出来ません。
この3年間で積み重なった小さな傷が、
ついに、消えない形で私に残ってしまっているからです。


◎振り返れば…

私は、とても恵まれた環境で育ちました。
市内では1等地(?)と言っても過言ではない駅近の一軒家で、いわゆる英才教育を受けさせてもらい、幼い頃から何不自由なく生きてきました。

しかし、高校を中退した後は、
気づけば夜の街で飲み歩くようになり、
本来なら経験しなくても良いような“大人の闇”に直面するようになりました。

ただ、どんな環境に行っても私が救われていたのは、あたたかい家族のお陰でした。
家に帰れば美味しい食事と安らぎの寝室があり、
例え私がどん底に居ようとも、家族は私を受け入れ、良い所をたくさん褒めてくれました。

このような生活が当たり前だったからこそ、
パートナーとの生活には衝撃を受けました。

家族との暮らしとは真逆で、
私の事を、小馬鹿にしたり罵ったり、
都合が悪い事がある(または私に得意な部分がある)と、無視をしたり、不機嫌になったり、
些細な事で怒ったり、物に当たったり、
一貫して私を落とそうとする言動を毎日受けていました。
そしていつしか、
彼の目の前で、緊張や恐怖により震えている自分が居ることに気づいたのです。

本来ならここで離れるのが普通の感覚だと思いますが、もうこの時には既に自分を見失っています。
幸せを得ることにより自分の存在価値を見出すのではなく、苦しみや悲しみにより生を見出すようになっていたのです。

そこから私は毎日お酒に溺れるようになりました。
今まで、あまり酔いすぎないようにセーブしていたお酒も、酔うために飲むようになり、
寂しさやら悲しさを紛らわすようになりました。
これは1種の自傷行為だと考えています。
お酒の量はエスカレートし、強迫観念チックも強く出るようになりました。

そして今、
いよいよ今までの苦痛が限界に達し、
鬱のような症状が出たり、自身の体を物理的に傷つけたりするようになりました。

確かに、私の精神の疲弊は、
パートナーとの接し方が原因の1つだとは思いますが、それでも尚一緒にい続けているのは紛れもなくこの私なので、自業自得だと思います。
一緒にいる時間が長くなってきたので、
もしかしたら半依存状態なのかもしれません。
※意外に思われるかもしれませんが、
男性と年単位で、且つ一緒に住むのはパートナーが初めてなので、それも大きいかもしれません。


この記事では、
今までの経緯や境遇などを話しました。
次回は、私が直面した更なる苦しみについて語ろうと思います。

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