生きにくくなる原因〜自分の才や芸ではなく、他人へのメリットで生きているから
横長のテレビ画面が、スマートフォンのサイズに合わせて縦長になる。左右の黒い部分には「視聴者投稿」との表示。
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大勢集まった芸人は芸をしない。一般人が撮影した「おもしろ出来事」のYou Tubeに精一杯の突っ込みをする。
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ライブで観客席にマイクを向けて、歌の半分くらいを観客に歌わせる歌手。
ダンスをしながらでも息継ぎの音がないのに歌っているの?まるで宇宙人のような音声がテレビから漏れる。
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ハプニングや美しい景色の撮影はカメラマンの仕事ではないか?そのために技術を磨いてきたはず。
芸能人が芸をして、観客たる一般人が感想を話すならわかる。しかし、一般人に芸をさせて知名度のある芸人が笑っている。鍛錬した毎日の積み重ねを発揮しないであっさり一般人に譲ることを、彼らの情熱が許しているのだろうか?
それとも鍛錬しないで知名度にぶら下がっているのだろうか?
観客やテープに歌わせて、満足なのだろうか?目立つことができれば、歌わない歌手でいてもいいだろうか?せっかくの発表の場面なのに。
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テレビを見ていると、一般人が撮影した動画が延々と流れ、誰が「芸」を披露すべき芸能人か分からなくなる。
上京して、鍛錬に励んだ日々はなんのためだったのだろう。
選ばれるためには、芸を磨くのではなく、好かれることが必須になったのだろうか。
いつの間にか「芸」ではなく「視聴者にメリットがあるよ」を、売りにしてしまったのだろうか。
芸を愛してもらう存在から、身近な存在でチャットや握手するなどのメリットを与える存在に変遷してしまった。
芸を磨く
→達者になってもご機嫌取りをしないとテレビに出れない
→好かれるために媚びる
→芸が出来なくなる→
一般人の方が面白い
→一般人に対してまで煽てる。
こうして考え方の軸が、自分の芸から、観客の欲求に移ったのだから、それは生きにくくもなる。
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このように生き残るために自分軸から他人軸への移転は、芸能人に限ったことではない。
一般企業内にもみられる。
私は、業務をパーフェクトに熟し、成果をあげてこそ仕事だと思っていた。
しかし、人事評価の基準は「評判」に変わってしまった。
出世のためには、
自席から徒歩10秒のカフェテリアで仕事する時に、「誠に恐れ入りますが寒いのでカフェテリアで作業させて下さい。」と言わないからダメ。
一人だけスカートは目立つから、ズボンにしたほうが良い。
こうして評価の有無は仕事ではなく、他人の要求を満たすことに変わってしまった。
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もっとも、人に好かれる態度で稼ぐことを悪いとは全く思わない。
むしろ芸も成果もなくて評価されるのは得をする上手い生き方でもあるだろう。
しかし、もしこれまで何かに鍛錬してきた人ならその能力を開花させなくて良いのかな?と思う。
努力や鍛錬、磨き上げた才能は、誰がなんと言おうと絶対に譲ってはいけないのではないか?
映像は、一般peopleに譲ってはいけない。
芸は、自分が披露しなければならない。
歌は、歌手が自分の声で届けなければならない。
成果は、手放してはいけない。
譲ってしまっては、他人からの一瞬の称賛のために、もっと素敵な自分に出会うために、努力してきた毎日が可哀想だろう。
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私は、
テレビでは、芸能人が、芸で人の心を動かす光景を見たいし、
会社では、才能を発揮できる人と働きたいと思う。
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皆様✨寒いですがいかがお過ごしですか?
今日も皆様のところにお伺いさせて下さいね。
とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)