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「第三者から大人と言われること」

私たち虐待サバイバーにとって、これまで過酷な生き方を強いられてきた。そしてそれは今も続いている。

これは虐待だけには限らない。社会の中で、誰にも相談できずに日頃葛藤していたり。そういう人たちも沢山いるだろう…。

みんなよく頑張っている。頑張って生きているって思う。



ここでは「虐待」をメインに記事を書いているのでフォーカスは「児童期虐待サバイバー」。

児童である18年間。誰からも助けてもらうこともなく、そして生き抜いてサバイバーとなった(なったと言えるようになりたい)。外に出る力も吸い取られてしまった人も少なくないと思う。周囲と自分を比較し、子ども連れの家族の姿を見て、微笑ましい気持ちにもなるが、同時に「羨ましい…いいな…」と思うことは私にもある。

18歳まで「大人から助けられることを知らない」。それどころか、親の愛情さえも知らない。または歪んだ愛情だったりする。
それでも親の愛を理解しようとする。私の場合は「親も親でそうなる道を歩んでしまった。どこにも相談する場所もなく、手をあげてしまって近所の人に通報され、親も親なりにパニックになって…and more」

でも、問題なんだろう…。私のような考え方のサバイバーがいるということが。家族再構築もしてきた…。でも、何度も何度も再構築を繰り返したが、親は変わることを拒否した。そもそも、自分たちの過ちを認めず、否定し続け、1分前も「過去」であり、「過去のことをいつまでも言うな」と責められ、「そう言っても忘れられない…」という私を怒鳴り、時に「死にたい!」そう叫んで今でも家を飛び出す親の姿もある。でも我が家には「15分ルール」というものがあり、15分過ぎたらもう「過去のことは何も無かったことにする」いわゆる帳消し。

「出来事」が起きても15分後には「なんのこと?そんなことあったか?」だ。

世間体の良い、「誰からも疑う余地のない親・家族」を演出している。娘である私の視点からはそう見える。警察や役所もまんまと騙された。

その現実を受け止め、そして受け入れ…。ため息も出た。「そんな家族捨ててもいい!捨てるべきだ!」「どうしてあなたが親の愚痴を聞くの?そんなことしなくてもいいのよ」とも幾度と言われてきた。

警察の前でも「THE・母親」を演じてきた。「THE・父親」を演じてきた。

娘の前でどれだけの嘘をつき、どれだけ娘が絶望したか…。そんなこと「両親」は…理解もしていない。

私が親を理解し、家族を理解し、受け入れていくしかない。これがリアルボイスだ。


そもそも自分自身まだ「生き抜いた」ではなく「サバイバルライフing」と認識している。

虐待サバイバーであっても、家族旅行に行ったことはある。海外旅行のチケットがあたって、フランス旅行の招待状を貰った。最初、母と私二人で行くことになっていたらしいが、ちょうどアメリカ同時多発テロが起き、それを見た母親が「今は危ないから行くのはやめよう…。もし死んだら…」ということで旅行業者に頼み4人での国内家族旅行に変更してもらった。それがはじめての家族旅行となった。4人で並んで撮った写真はおそらくそれがはじめて。そして、横一列に並んで撮る最後の家族写真でもある。これは私が13歳の時だった。今まで家族みんなで旅行なんて行ったことも無かったから凄く嬉しかった。

サバイバーでありながらも、海外に数回足を運んだこともあり、仕事を通して最貧国の子どもたちの笑顔も見たことがある。このコロナ禍で収入が減少したことによって、現地の子どもたち、女の子は「嫁ぐ」という道に追いやられてしまった。嫌々、知らない裕福の人の元に行かされる…。嫁いだ先の家族から暴力を受ける。そして中には、そこから逃げて家に帰り、親からは「帰ってくるな」と追い返されしまう。娘と引き替えに家族はお金を貰い、娘が帰ってくるとお金、もしくはそのお金で開いた路店をしまうことになる…。返済しなくてはならない。

そうした問題は今始まったことではない。昔から今でもずっと…この地球上にあるわけだ。

今、ミャンマーでも現地からは悲惨な声があがっている。日本のメディアはそれを取り上げることもなく、現地の女性たちは…ただただ怯えて泣くことしかできない。恐怖から涙も出ないかもしれない…。戦争兵器だ。

それを家族が見て、自分たちは無力であるということを植え付けられる。これは実際にミャンマーをとある仕事で視察に行った日本人女性から直接聞いた話。

私はこういう人たちが同じ地球上にいる!とリアルな声を聴いたのは20歳の時だった。それまでは学校教育の場で「歴史」の資料として学んできた。20歳になって衝撃的だった。「国を超えても、そういう事実があるということ…」が。

私の場合は、そこで自分の視野が自分という起点から世界へと広がり、「サバイバー」となれたのだと思う。そうでもなければ、もうこの命は存在していない。決してみんなに「視野を広げろ」と言いたいのではない。私の場合はそうだった…。ただ、政治家や福祉や社会に対しては視野を広げ、現実問題を知り、動いて頂きたい。
実際、立ち上がっている民間企業もあるが、支援は行き渡っていない。

世界をみることによって、一気に白黒の世界から色がひとつ、ふたつ、みっつ…と心の中に色が宿ってくる。黄色だったりピンクだったり、白だったり…花のようにいろんな色が心に宿っていった。


それからアルバイトもしたり、「自分と同じ境遇の人がこの地球に居て、こっちは朝だけど、その子たちはまだ寝ている…話すことは出来なくても、一緒に生きてる」って、心の深いところに湧き水が出たような気がした。

働くことによって自分の心を無視する。

無視を続ける。

その職種にあわせて自分を生み出す。でも決して作り出した自分ではない。

全て、私・・・。

心の無視をし続けることは、同時に自分に起きていることを「受け入れる」。そして、それを「無」に変換する。化学式に例えるときっとありえない式になると思う。

これまでの自分と切り離して生きていく。そうでもしないと社会に適応できないし、命も続かない。ずっと左右が崖だったんだと思う。崖なのに崖を怖がらず、笑って歩く。第三者からすれば「あの人大丈夫?落ちない?もう崖じゃん?やばいよ!」そういった道を歩いてきた。今も歩いているのかもしれない。だけど…自分のことはもう諦めている。

未来の子どもための活動は決して諦めていない。そのためなら動ける。


子ども時代に経験した出来事は、大人になってからも「継続」される。「経験」がそのまま脳の中で繰り返される。これをフラッシュバックというのかもしれない。

第三者から「子どもの頃はそうだったかもしれないけど、今はもう大人で対応も違うかもしれない。」という声。

大人?

大人なのは分かっている。他人から言われなくても自分自身がよく分かっている。情けないくらい日々実感している。自分で自分を苦しめるくらい、分かっている。
けど、問題は…「社会に見放された児童期〜大人」でもあり、それ以前に「子どもとして生きることができなかった」。もしかすると、その辺の大人よりもサバイバーは大人な思考を持っているかもしれない。「子どもなのに親の役割をする」だからそういう思考になるのかもしれない。

ある意味、親よりも親。
子どもの頃、親から歪んだ愛を受け、大人になると親の世話をする。親の話しを聴く。親の愚痴を聴く。親もかつては虐待児であったことを受け止めて、親の過去や現在を癒す存在にもなってしまう。

「家族だから?」
「血の繋がりがあるから?」

社会の中でアウトプットしていくなかで、「それはこうだよ?」と反応が返ってくる。

(あー、その感情は◯才の時に捨てたな)
(それが普通なのか…)
(やはり私がおかしいのか…)

「そんな親、捨てていいんだよ?」
そう言われてはじめて自分の問題に気付く。

だけど、こういう会話を…
子ども時代にできる?

いや、できない。

そして、世の中には無責任な大人もいる。それは知らないから。経験もないから。知識もないから。

「あなたは大人ですから」

「もう大人なので」

その言葉を言う前に、考えてほしい。

1年が経てば勿論年もとる。これは平等だ。
けれど、「心の成長速度」もある。これは不平等なのだ。

身長や体重が異なるように、思考も生き方も人それぞれ違う。


どれだけ困難な状況でも、どれだけ足掻こうと、
どれだけ溺れようと、

「大人であること。」

誰にも甘えることなく大人になること。

でも、世間には優しい人は沢山いる。

優しいだけではなく、愛を持った人もいる。

性別や年齢関係なく、そういう人たちがいる。


たったそれだけが「生きる道」。

その道が無ければ、行き先を見失うところか、自分さえも見失う。


例えどんな暗い道でも、一人でいるより二人でいる方がいい。
躓きそうになった時、支えがある方がいい。

「どっちの道がいいのかな?」

「こっちがいいと思うけど、あなたはどう思う?」

「……。」

少しずつ軌道修正しながら、前を向いて歩いていく。

過去はもうどれだけ振り返ろうと取り返せない。

けど、過去に対する考え方で、
物事は前に進むこともある。

それが「大人への道」

17歳と364日23:59...

18歳00:00

1秒で大人になれるなんてない。

4月からは18歳から成人なんだね。(2022年)

大人になる、

大人への道を歩く。

その言葉の意味は全く違う。

行き先を見失うことなく、「大人への道」を歩めばいい。

助けが必要なら、助けを求めていい。

社会にはまだまだ改善点はたくさん取り残されてはいるが、0.01%の確率でもいい。

それが前に進める大きな一歩なら。

大人になるプロセスを歩み続けたい。


でも、私は・・・

「大人」に助けを求めることを「諦めた大人」だ。

諦めなくてはいけないこともある、妥協しなくてはならないこともある。

今日、私は・・・

「諦めた」


だけど、未来を担う子どもたちのためにも、

虐待サバイバーとして、誰にも言えず、通院にもいけず、困窮となり、生活もギリギリライン。

私が諦めた理由は「守ってくれるところがない」からだ。


私は、「ないなら作ろう精神」

違う意味での自立を歩むしかない。そう覚悟を決めた。


無から作り出す。無限。


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