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「ごめんなさい」今日、母は虐待を認めてくれた。

今日、家に帰宅すると。

母が虐待の事実を認めた。

「あやがどれだけこの家を出て行きたいか…、今まで考えてなくてごめんなさい。申し訳なかった…。」

今朝、仕事に行くのに身体が重たくて、動かなくて、「私にはやることがある…だから頑張れ!」そう自分に言い聞かせてベッドから身を起こした。以前までは前日に用意を済ませていたが、最近は当日の朝に用意をすることが多くなった。

「あれとこれと…うん、持った。あとは…、うん。」

忘れ物がないかチェックする(まぁ、スマホとお財布と仕事道具さえあれば問題ない)。


私の部屋には児童にまつわる書物が溢れている。最初は見えないところに置いていた。でも、もう隠しきれない量になり、「法的マニュアル」と堂々と書いた本もある。棚に正々堂々と置いている。

そして、「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」という本を今朝。私が家で作業する際に使うデスクの横に置いて出かけてしまった。


そして、一時保護シェルターのパンフレットも…見えるところに置いて出てしまった。


母親は、私が居ない時に部屋に入って色々と捜し物をする。

自分の部屋が出来てから、私の部屋に入っては人とのやり取り、手紙等の内容、相手の住所や名前を自分の手帳等にひかえる。私が外部の人に家のことを話していないか…。以前、それで口論になったこともある。

「人の部屋に勝手に入るのやめてくれる?人の手紙とかあさって、住所ひかえてるでしょ?どこまで監視すんの?やめて!」と言ったこともある。何度も…。

その度に「そんなことはしてない!」と返される。けど、「じゃあ、これは何?なんであなたの手帳に私の友だちの住所や電話番号が書いてあるわけ?どうみても、あなたの字だよね?」

そう言っても無言になるだけ。

「あんたが家出をするから…」そう、私は18歳で家から逃げた。そこからチェックが酷くなった。


もしかすると私のTwitterのフォロワーに母の友人がいるから、その友人から聞いた可能性もある。

母は今まで、虐待の事実を認めなかった。ずっとずっとずっと…否定し続けた。

私が成人になっても精神科に通院することを母は嫌がった。「早く薬飲まないように努力しなさい!」「いつまでも薬に甘えてないで眠れるようになりなさい!」そう何度も言われてきた。

「私だって飲みたくて飲んでるわけじゃない!薬の副作用だってきついんだから!」

…17歳の頃。私がまだ高校生だった頃。あまりに悲しくて…母親の口の中に睡眠薬と安定剤をふくませた。

「そんなに言うなら、飲んでみて!どれだけ薬がしんどいか!こんなの飲みたくて飲んでるわけじゃない!」泣きながら…母に飲ませた。

10分もしないうちに母はその場に倒れて、眠りだした。

息をしているのか不安にもなった。リビングで寝たものだから布団を持ってきて母にきせた。「すー、すー」と眠る母の姿を見ながら、自分がやってしまったことが…悲しくもなった。親に何やってんだろ…って。

でも母親は翌日「あんたのおかげでスッキリ眠れたわ」と言った。その言葉を聞いて、心配して損した…と多分少しは思った…と思う。

薬というのは毒だ。黄色、ピンク、水色…あの色は石油だ。飲み続けている私たちには薬の副作用だけでなく、毒が溜まっていく。もし、薬が必要なくなっても、薬の害を身体から完璧に抜くにはかなりの年月がいる。飲んでいる期間が長ければ長いほど年月は長くなる。


そう…今までずっと定期的に私が母親に「虐待」を訴えていた。


だけど「そんなことはしていない!」ずっとそう言われる。

しかし、今日。

仕事から帰宅して、何故か私はリビングで食事をとろうとした。そして、母に尋ねられた。

「最近、あやは何をしているの?」って。

「何をって?あぁ…毎日毎日朝から晩までいないこととか?夜中もいないこととか?」

「うん…。」

「うーん、仕事。朝から晩まで仕事してるけど。なんで?」

「今日、お兄ちゃんからも言われた。」

「なんて?」

「…おとんとおかんは何年経っても変わらんな!もういい加減にしてくれ!5分ルールもいい加減にしてくれ!そう言われて…」

5分ルール?私は混乱した。私の中では5分ではなく「15分ルール」だとずっと思っていたから。

そもそも「15分ルール」というのは、「どんな喧嘩をしようとどんなことがあろうと我が家では、15分過ぎれば無かったものとする。最後の発言?問題があってから15分経過すると何毎もなかったかのように過ごす。ケロッと過ごすこと。」
親にとっては凄く都合の良い設定。子どもからすると、地獄だ。泣いていても、「なんで泣いてるん?」と頭おかしい子扱い。

ん?5分ルールだった!?そう驚きながらも話しを聞いた。


「もう…あやも限界なんやろ?あやがどれだけこの家を出て行きたいか…、今まで考えなくてごめんなさい。申し訳なかった…。」

急に眉間に皺をよせてうつむいた。

「それは…虐待していたことを認めるってこと?」

「……。今まで…認めたくなかった…。ずっと認めるのが嫌で嫌で。そんなことしてない!ってずっと…。本当にごめんなさい…」

急にどうしたのか分からない。そう思うと同時に何故、母は急にこんなことを言い出したのか…考えた。あぁ…部屋に入ったか…シェルターのパンフレットとか見たか…。置いて出てしまったもんなぁ…。あぁ、あの本もそのまま目立つところに置いて出てしまったし…。

けど、私の中で(どうせあなたは、兄に言われたからでしょ?私が言ってもきかない。実際、第三者から「兄と妹、どっちが好き?可愛い?」そう尋ねられて「兄…」と答え、兄に言われる方が母親にとって精神的なダメージは強い。兄に言われてショックだったんだろ…。)そうも思った。

母は泣きながらこう言った。

「もう縁を切ってこの家から出て行ってもいい…。それだけのことをお母さんはあんたにしてしまったんや。でも、お母さんも、お父さんと離婚して一人で暮らしたい!もう一人になりたい…!」

涙を流す母親。でも、この光景は初めてではない。何度も何度も泣く母親の姿は今までにも見てきた。…お父さんと離婚したい。昔もそう言ってた。離婚したくて、出来なくて…それで私の手を引っ張り「あや!一緒に死のう!」と何度も言ってきた。線路に入って凄い力で私の手や腕を引っ張った。

虐待を認めて謝ってきた。本当なら…、きっと娘である私は…母と一緒に泣くのが正しいのかもしれない。「お母さん…」って。でも、私は冷静だった。もう、母親というものを母親に求めていないから。母親はこの世にはいない。存在しない。そう思うしかやっていけない。

「うーん、私ね。ずっとお母さんと…あの人…、お父さんのことを考えてたよ。2人の過去はどうだったのかって。まずさ?お母さんはネグレストっていう虐待を受けてきたわけ。10代で家を抜け出したでしょ?それだけ嫌だったんじゃないかって。あと、転校を繰り返してまともな教育を受けることが出来なかった。そして栄養不足から貧血にもなって学校にも通うことが出来なくなった。当時はそういう家庭も少なくはなかったかもしれない。時代的にもね?でも…それは虐待なんだよ。

(母親はただただ泣いている。)

あの人…お父さんも長男として学費を自分で稼いで、弟たちの為に働かされ、自分は大学も行かせてもらえなかったのに、三男のために稼いで大学まで行かせた。正直…、ものすごくしんどかったんだろうな…って思うよ。そして自分が稼いだ給料で野球のグローブを弟に買ってあげたりして。弟は大学で野球部に入って、途中で放り投げた。親の愛なんてなにひとつ無かったんだと思う。

そんな2人が、自分たちは虐待児であったことに気付くことなく結婚し、子どもを生んだ。だからね…2人とも虐待を受けていたってこと…。」

私の言葉に母は「どうしたらよかったの?」と。

「私は…別に親を恨んでもいいと思うよ?」静かな口調で言った。

「お母さんは、かあちゃんもとうちゃんも大好きや。今でも大好きや。だから恨むことなんてできん。今すぐに会いたい。死んだら会えるんかなぁ?今すぐ会えるならもう死にたいわ…死にたい…」
母の涙は止まるどころか増した。

「そっかぁ…。お母さんも寂しかったんだね…。ずっと愛が欲しかったんだね…」

そう言いながら…(私は何故、こんなに冷静に親に語っているのだろう。何故、私が親の気持ちをくみ取り、フォローしているのだろう…)そう思った。


「我が家に児相がきたことも覚えてる?ほら…隣におじいさんとおばあさんが住んでいたじゃない?そこの人が通報して、児相がきたじゃん?」

「え?そんなことあった?」

「あったよ…。あの時、お母さんはすっごくパニックになっていた。児相の人が帰ったあと、私がそういう保護される施設があることを知って、お母さんにこう言ったよね?そんなに私のことが嫌いなら、お願いだから施設にいれてください!って土下座して泣きながら頼みこんだよね?」

「…記憶がないわ…。」

「そっかぁ…、隣のおじさんが私が外に出されている時に、「ごめんね、こんなことしか出来なくて」って言ってお菓子とかくれてたんよ。だから、通報したのはそこのご夫婦なのは幼いながらも分かったよ。」

「…そんなことがあったの…覚えてない…。」

「うん…。私を外に出したことは覚えてる?」

「覚えてる。」

「お父さん、お母さん、そしてお兄ちゃん。お兄ちゃんに「あやを出すのを手伝え!」って言ったの覚えてる?」

「…うん…。なんであの時、お兄ちゃんに手伝えって言ったのか…今では分からない。」

「お母さんは…お父さんが怖かったんでしょ?お兄ちゃんも怖くて、従うしかなかった。私はあの時、お兄ちゃんの顔を見てた。無表情…。凄くお兄ちゃん怖かったんだと思う。お兄ちゃんがお父さんにおもいっきり大勢の人の前で叩かれたのって私が生まれる前だよね?」

「うん…」

「6歳までにショックなことがあると、脳に凄い影響が出るってこの前、アメリカ学会に行った○○先生に質問して、そう聴いたんだけど…それから、お兄ちゃんは恐怖で自分の感情とか抑圧するようになったと思う。…お兄ちゃん…やたら家族の絆や友だちとの絆とか大切にするじゃん?孤独が怖いんだよ…異常なくらいだよ…。」

「そうやね…。別にそこまでの友だちじゃなくても、お兄ちゃんは行ったりするもんなぁ…。」

「うん…。かなり異常だよ。そうでもしないとやっていけないんでしょ…被害者だよ…。」


兄に包丁を持たせて妹である私を殺せと言ったこと。

家族全員で私を監禁したり、外に追い出したりしたこと。

「死ぬ」と言って家を飛び出したこと。

私が大切にしている本を取り上げて、破ったりしたこと。

父親の睡眠の為に、15時まで静かに過ごして物音をいっさい立てたらいけなくて、たてたら父親が起きてきて、容赦なく叩いたり、蹴ったり、監禁したり、外に放り出したりした。それの手伝いをしたこと。

兄に加担させたこと。

異常なくらい父親の言うことをきいて、従っていたこと。(面前DVであることを私は説明した。)

教育熱心で習い事をいくつもさせ、1日に2個。土日も習い事があって友だちとなかなか遊ぶことができない環境にさせたこと。(自分がしたかったことをさせた。)

まだまだ他に沢山あるけれど、母は上記のことは認めた。

そして父親の話になった。

「…あの人…お父さんは自分が虐待をしていることに気付いてないよ…。」そういう私に母はこう言う。

「お父さんは、いいことしか言わない。山に一緒に登った、それしか言わない。だっていいことってそれしかしていないんだから、それしか言わないのは当然だわ…。」

「そう…、お父さんは嘘をつく。今でもそう。外面すごく良くて。はぁ…何でもない。」

私はため息をついた。これ以上、母親の精神を狂わしたくなかった。
母はパニックになると何をしでかすか分からない。
包丁を持って死ぬ!と言うこともあるし、首を吊ろうとすることもあるし…。こっちが死にたいわ…って思うことが多々あった。
でも…私はもうそうなっても止めないかもしれない。ただ見ているだけの加害者になりかねない。


そして、兄に対しては言わないこと。

「お兄ちゃんは抑圧された感情もあるし、ショックだった出来事をきっと消していると思う。」

「それはわかる…」

「だからね?我が家で精神科に通うのは私一人でじゅうぶんだから。薬とかも飲んでほしくない。こんな体をダメにする薬なんて飲ませたくない。お兄ちゃんに言うと…、私よりも傷つきやすい性格なんだから、仕事も出来なくなる。入院になるよ。」

「…うん……。それはお母さんにも分かる。お兄ちゃんも、私ら夫婦をみて…そういうので結婚しても子どもを生むこととか抵抗あるんやろな…。生みたくないんやろな…。」

(…ごめん、お母さん。それだけじゃないの…ごめん。父からの虐待内容…私は言えない…。伯父からのこともまだ言えない。もし、あなたが否定したら、今度は私の精神がもたない。もたないどころか、あなたを恨み何をしでかすか分からない。あなたは私を売ったのだから。)


それから私は、今、こういう活動もしていることも伝えた。

「お母さんもお父さんも、虐待を受けて育った。けど、親になって子育てが大変で…私はね…親っていうより支援のない社会に問題があるって思ってる。2人を恨むというか…そういう大人を作ってしまった社会に問題がある。気付きにくい支援じゃ駄目なんだって。だから、私は今…これ以上、虐待という負の連鎖をとめたい!だから、私はそういう活動を始めた。だから、アホみたいに分厚い本が部屋にあったでしょ?」

虐待による後遺症のことも伝えた。

他の虐待サバイバーたちのことも伝えた。

複雑性PTSDとPTSDの違いも伝えた。尋ねられたから答えた。

日本とアメリカの法律の違いも説明した。

日本はまだまだ虐待放置国であることも伝えた。

そして、虐待をしてしまった人、虐待してしまったという経験を持ちながら、後悔をしている人たちもいる…ってことも。

「私は虐待の後遺症で苦しんでいる人を助けたい。私もしんどいよ?私もそうだもん。
けど…、誰かがやらなくちゃいけない。各都道府県でやっていく必要がある。そしていつかは法の改正、法を新しく作ることも考えている。私は18歳の時に家を出て親権剥奪をしようとした。けど、支援が切れてそれが叶わなかった。成人になるまでまだ1年もあるというのがもの凄く苦痛で、自分なりに法律も勉強した。もの凄く勉強した。けど、色んな壁があって、あっという間に成人になってしまった。日本って資格がないと限度がくるのよ。勉強していると弁護士の資格とった方が早くない?とか思って、弁護士事務所のお手伝いの面接受けに行ったことがあったけど。まぁ…やはりかたいよね?ある意味カリスマ性のある人たち。心はありますか?って思ったよ。心があったらある意味出来ないかもしんないね。弁護士っていうのは。(偏見でしかない)
私はね…法の改正とか、法を新たに作るというのは長期戦だと思ってる。いつまで私が生きるか分からないけど、90歳まで生きたとして…次の世代にバトンを渡して、その世代の人たちが法改正とかして…私は拍手を送る…そういう未来もあるかもしれない。長い闘いになるって覚悟してる。虐待サバイバーっていうのは、本当に過酷なんだよ…。一日一日を生きるのに必死!毎日、死にたいと考える。けど、みんな声をあげているんだ。何のため?みんな…もうこんなに苦しい思いをするのは自分たちで終わらせたい!そう…みんな…みんな…苦しい中、これからの子どもたちのために動いてる。凄いんだよ?

私は、何処まで出来るか分からないけど、率先して法をかえる人間になりたい。だからね、今…横の繋がりを大切にしていっている。皆が協力していくことが大切。私は、みんなが望むならば、私はとことん国とも闘う。議員にも話す。捕まえて話す。これから私は今の仕事と同時に動く。今の仕事の人から、やめてくれ!って言われても私は貫き通す。もし、お母さんが全ての虐待を認める!受け入れるって言ってくれるなら…私は、お母さんのような虐待をしてしまった方の自助グループをひらく手伝いも出来るよ?

そう心を決めた時、また私に話してね?」

ここで、兄と父が家に帰ってきて話しは途絶えた。

リビングで兄と母が話している。
「俺、ずっと言ってるやん。俺、3ができひんって(指が曲がらない)。ずっと言ってんのに、あぁそっか!だからお前はピアノをやめたいって言ってたんやな?とかおとん言ってきて。何も聞いとらんわ。あかんわ。」と。お酒を呑んできて、少しはストレスを発散してきたみたい。


今までにない。進展だった。

でも、今までの経験的に…。母もその時はそう思っても、5分ルールなのか知らないけど、あとで手のひらを返すことがこれまでも何回もあった。

信じて、何度も裏切られ。
その度に自殺未遂を繰り返した。


でも、一度…

母親を信じてみようと思う。

けど、もし裏切られた時。私はそれでも前に進んで行きたい。
凄く苦しい…しんどい…つらい。けど、私が命をたてば子どもたちにとって絶望にかわる。そして、私のあとを追ってくる人もいる。

絶対に私たちの時代で、この悲しみの連鎖は終わらせたい。


私は家を出ることはもう決めている。

しかし、敷金は支払わない。籍を抜くこと。保証人にもならない。

そう母に言われた。私も勿論、籍は抜くつもり。
母親は「あと2人の許可をとってくれ」と必ず言う。とるつもりは、ない。許可なんておりない。それは母親も知っている。だから…「出ていけないだろう」って内心思っているのだと思う。
けど、私ももう限界を感じている。

だから…私は年内に家を出たいと思っているが正直…難しい気もしている。


私ももしかすると…いつか親を訴える可能性も考慮している。しかし、父親は認めないだろう。
人が変わったようにその時その時で違うのだから。記憶を失い、都合の良い父親。

そして、証人となってくれる人はもうこの世にはいない。

あぁ、あなたが生きていてくれたら。

長田美穂さん。

あなたが生きていてくれたら…。あの時のやり取りとか…。私の手元にある携帯電話はもう起動しない。データもない。

私は家を抜けることができたら、あなたの実家に行って、手をあわせたい。
そして、そこから新たな人生を。子どもや苦しみ続けているサバイバーの為に。この脳を死ぬまで使い続けて、声をあげて、決して消えることのない過去を整理をしながらも…、泣きながらでも。

どんな困難な壁が目の前に立ちはだかっても、
それは乗り越える為にある。
私はずっと幼少期からそう思って生きてきた。

そして、自分の人生は世の為人の為に尽くしたい。そう思っていた。


私はこれから、色んなことを学び、

周囲のサポートを受けながら、

闘っていきたい。

そして、私は…本を書く決意を今日決めた。被害者が隠れるなんておかしい。


子どもや大人たちの勇気へと繋がりますように。

虐待サバイバーは生き証人。
生きているだけで、人の為になっている。

どんなことがあっても、私は命を絶つことなく。

強く生きていきたい。
もう全て諦めたい…そう思うこともある。けど、そうじゃないんだ…。

これは、今お世話になっているカウンセラーの支えもあって、そう思えた。カウンセラーというか、相談員というか。カウンセラーの立場ならばここまでの支えは無いと思う。
きっと迷惑すごくかけていると…思う。

だから、あなたには感謝しています。言葉では表せない。

あなたを信じてよかった。あなたが私の担当カウンセラーでよかった。(転移とかじゃないです。一人の人間として。自分の中で依存とか転移とか、毎回確認しています。そもそも親の愛を知らず、親を自分で切り捨てた。親ではなく同居人。だから、誰かに愛を!って…正直ない。私からの愛は1人ではなくて、この世界中の人への愛。これはハッタリとかではない。本当にそう思ってる。だから今の仕事も続けたい。)

あなたが感情任せではなく、論理的に考え寄り添ってくれる。これから先のことも、不可能を可能なルートにする為に動いて下さっている。
私は私で常に頭を動かし、色々と調べたりしている。休みたい!いったん、休みたい!ゆっくり安心して眠れる日がほしい!何も考えず、ゆっくり寝たい。甘えるな…そういう自分がいる。

正直、こういうスキルをもったカウンセラーは…少ないと思う。私の経験の中だけの話しだけど。臨床経験豊かな人でさえも、「んー…」ってなる。有名な臨床心理士のカウンセリングも受けたが、彼らはあくまでも「実験」としてクライエントをみている。自分たちの臨床として。
でも、それはカウンセラーというのは、こういう形である、という形式があるから踏み込めないこともあるのだと思う。


「あきらめたくない!」そう言ってくれたあなたの言葉は、私の生きる力となりました。

でも、いつか…あなたの前で涙を流すことが出来ますように。



手帳を開くと、1日に4.5件予定が入っている。
移動する合間に本を読み、ニュースを読み、若い子たちからの相談LINEにのり、1日30時間ほしい。昔からの癖で、休むことを知らない。
タフなら…いいか…。

⭐︎追加
母親はその後、自分は変わるつもりもなく。変われない。変わることが怖い。もうこのままでいくと言った。けど、私は…母親の声を聞いて、何故虐待をしてしまったのか。第三者的立場に立って、客観的に冷静に「親」をみていこうと思う。
期待はしない。何故、虐待がはじまったのか。
虐待児同士が結婚し、そして次は虐待をする側である加害者となった。しかし、虐待を受けて育ったからといって、必ずしも虐待の連鎖が生まれるわけでもない。だから、我が家で生まれた虐待は一体何故なのか。もう少し、深掘りしていく必要もある。そう…第三者的立場で。

長田さんがしたように。私は他人としてこの「家族」をみていく。

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