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怒りをコントロールする方法

怒り。それは悪なのか。

いつだって冷静な方がかっこいいし、
愚痴だって言わない人のほうが素敵な人っぽい。

ただ、だからといって無理に封じこめるのは危険。怒りのコントロールって、そういうことじゃないのだと思う。

というのも、その昔。特に仕事においては、感情的になったら負けだと思っていた。

怒っても冷静に冷静に。私の心よ、落ち着いて。そうそう、その調子。きっと向こうにだって事情があるんだから……、それに感情的になっても自分がみっともないだけ。

「わかりました」と全てを飲み込んでいたところ、ある日、私の怒りは大爆発を起こした。

切れる、泣く、騒ぐ。周囲の人をドン引きさせた。大事故だったと思う。自分の中に誕生する「怒り」。私はその扱い方を間違えていたのだった。

そもそも前提が間違っていた。
怒りは悪じゃない。

もし知らない人にいきなり頭をたたかれたら…?
怒るのは当たり前のこと。我が身が危険にさらされたのだから。

怒りの存在意義は自分を守るためであって、それは生身の身体だけじゃない。価値観だったり、信念だったり、大切にしているもの全部が対象になる。

例えば、最近、理不尽なことばかり言ってくる仕事相手に対してブチ切れて自分から契約の解除を申し出たことがあった。

私は自分に関わる人を大事にしたいと思っている。その価値観が踏みにじられたような一件だった。

「フリーランスは自分のためにこき使っていい存在…、雑に扱って良し」

相手のその信念がはっきりした瞬間、信頼できない人と仕事をするのはやめようと決めた。たとえ、それが無自覚であっても。自分が人に敬意を持って接したい以上、真逆の考えを持つ人といるのは身体に毒だと思った。

かなり勇気のいることだったし、結果、どれだけの打撃があったかはさておき、その上で、この決断をしたことでちょっとした自信を得ることができた。自分の価値観を守ることができたからだと思う。

つまるところ、怒りは何を守っているのか解き明かして、うまいこと昇華させられればベストだなと感じた。

このくせがついていけば怒りのコントロール権を奪われることはない気がしている。

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