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顔と身体がオンナに生まれたら。

先日、「哀れなるものたち」という映画を観て思ったこと。

この映画は、世間知らずの女性が世界を知る為に
冒険の旅へ出るお話しです。

未知なる世界に放たれた主人公は純粋さゆえ、娼婦の館の扉を開きます。若い主人公は誰かの目に映った途端に価値が決められ、物として扱われます。女性の性が搾取されていく様子をシニカルに描くフェミニズム映画だと思います。

フェミニズムとは女性に対する不平等の解消を主張する考え。
この作品で特に気になった風刺として「マンスプレイニング」があります。
女性を無知だと決めつけ、説明をしたがる態度のことです。

男性が自分の方が知識があるとして披露したがり、聞いてもいないのに話を遮って自分の主張を話します。映画のエピソードになるほど多くの女性が現実に経験しています。女性はこのおかしな態度を取る一部の男性を不快に思っています。


そういえば、わたしの実の父親。普段まったく料理をしないのに調理器具を買った途端、器具の使い方を教えるついで得意げに料理の仕方まで母に説明していました。母は毎日、私たち家族の食事を一人で作っていました。母に料理を教える必要はないのです。父の事を悪く言うのは辛いですが、、、釈迦に説法。そしてその行為は、調理器具を買うたびに行われます。まさに愚の骨頂だと思います。(ごめん父それ以外は尊敬していますよ)

母の方は半ば呆れ顔。気が済むまで説明すれば?と言いたげ。だが何も言わず、ただ時間が過ぎるのを待っている。そんな姿を見た幼き頃の私は、包み込むようなおおらかさに母というよりも女性の優しさを感じました。

女を楽しんでいると、教えたがる男性に出会いがち


マンスプレイニングとは違いますが、昨年公開された「バービー」
こちらも女性の権利の向上をテーマにした作品です。ここでも聞いてあげなければいけない女性が映し出されています。しかも歌。バービーの曖昧な彼氏、ケンは何時間も何時間も自作した音楽を得意げに聴かせます。日が暮れるまで聴いたバービーは内心うんざり。ですが聴かなければ不機嫌になりそうなので仕方なく聴いています。私の母と同様、時間が経つのを待っていました。

こういったイタい行動を揶揄した映画が世界に向けて公開されヒットし、更に評価されているのは「もう、ええ加減にせえよ」と心の底からどつきたいからです。

もちろん全ての男性に訴えているのではありません。映画ではちゃんと女性を思いやる素敵な男性も描かれています。例え本当に無知な女性がいても、上から目線にならない人もたくさんいます。ただ女性に生まれると、知っているかい?とか一言も聞かずに謎の説明がおっ始まるなんていう事は日常茶飯事なのです。

なぜ無知であると決めつけて話し出すんだろう?
ねえ、それって私が女だから?

相手に質問された?相手は説明を必要としている?もしかしたら相手の方が詳しいのかも?こういう思慮が欠けているんです。

マンスプレイニングはジェンダーの問題だと言われています。

男性優位の社会システムが女性は生まれながらに無知であるといった思い込みを刷り込ませ、人より上に見られたいという感情と結びつき女性に嫌な思いをさせている。

映画「哀れなるものたち」では古めかしい思想を持った男性が若く美しい女性から本を取り上げます。女は男より賢くなくて良いという雰囲気を露骨に出しています。安易に男性避難をしている訳ではありません。決して。多様性は積極的に推し進められているけど、女性の権利が向上していないと指摘しているのです。

MeToo運動が遅れてやってきたこの頃の空気に、フェミニズムの香りをキツく振り撒く作品。どちらの映画にも女性が雑に扱われてきた歴史に、劇的な変化をもたらしたい。そんな強い気持ちが込められていると思います。少々辛口ではあるけど社会風刺を楽しみつつフェミニズム映画を味わってみれば、身近にいる異性と更に良い関係が築けるかもしれません。


親孝行でもしよーかな

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