暑さかゆさも彼岸まで
ダンナの誕生日、9月19日に、犬好きのダンナのために、私の姉から犬電話(犬がひたすら電話口でなく電話)があった。
2人だけで何の盛り上がりにもかける我が家である。
姉からのかわいい電話が、だんなの誕生日の救いになった。
彼岸の入りだし、弘前に墓参りに行くか、と突然の弘前行きを決める。
あいにく姉のダンナは仕事だが、3人で、母のお墓参りに行こうという話になった。
夜はとんかつの美味しいお店か、パエリヤの美味しいスペイン料理店か、ダンナが大好きな天中華の蕎麦屋か、夜は飲みに行こうと約束した。
当日の朝、3時ごろ目が覚める。
起きて、私はフルーツをむき、ダンナはお握りづくりを始める。
歩くのは諦めて、noteの記事を投稿し、朝の5時ごろに八戸を出発した。
気候のいいこの季節は、青森県のど真ん中に位置する八甲田山を越えていく道がいい。木陰で涼しいし、高速料金もかからない。
緑が多く、なんてったって気持ちいいのだ。
さすがに朝の5時に出発したせいか前を走る車も、すれ違う車も少なくすいすいと走って弘前に着いた。
出勤前の義兄に挨拶し、彼がいれた珈琲を飲み、姉が作ったスープを頂き、2人にお握りを食べさせる。(互いに、朝食はちゃんと取らない家庭である。うちはフルーツ、姉宅は野菜ジュース等)
義兄が出勤後、早速、3人で、近くの温泉に出かける。
露天風呂でジャズが聴ける近所の温泉だ。
空が高い秋晴れで、自由人が3人集まって出発。
なんとも幸福である。
姉と、互いの背中を流し合い、ジャズを聴きながら、いい気持で温泉にはいった。
家に帰ってきた後は、母の死にまつわる銀行預金解約の書類に印を押したり、名前を書いたり、用事を足して、午後に墓参りに出かけた。
お墓参りというのは、亡くなった先祖のためにやっているようでいて、お参りしているこちら側の人間のココロが晴れ晴れとしてくる不思議なものだと思う。お寺がお金を集める制度になっている檀家と言うもの、賛否両論あると思うが、幼いころから、50年以上、お墓参りを続けるこの場所が、自分のために在って、よかったと素直に思った。
墓参りの間、今、現在、我が家にあるものの、なんのお参りもされないダンナの実家の3つの柱のことが頭に思い浮かぶ。
これはダンナの両親も、心残りだろうと想像できる。
「私のお墓の前で泣かないでください」という歌が流行ったことがあり、お墓に私はいないのですから・・・という歌詞に、そうかもしれないと思ったが(実際、子供のいないわれわれに、墓はいらないと思っている)母や父の墓参りを、したいときにできるという幸福を感じた墓参りであった。
去った人のためというより、今、現在を生きている人間のために、お寺の墓というものは存在するのかもしれないなと思った。
その後は、ショッピングセンターや、酒屋に行ったりして、15時には家に帰ってきた。スペイン料理の店を17時半に予約した。
気分が良くなって、仕事を終えた義兄と自由人3人で、すでにビールで乾杯したが、本当の宴会まで、あと2時間以上はある。
テレビを観る者、昼寝する者・・・と互いに時間を潰し、17時15分にタクシーで出発した。
今回は予約が取れたスペイン料理の店。
姉夫婦と、我々夫婦と。いつも高校時代の同級生と忘年会で集まる店で、この4人のメンバーで集まるのは初めてだった。
亡くなった母の言った言葉をみんなで思い出し、来年の三回忌までに、母の言葉を集めた小冊子を作ろうか?などの楽しい計画も持ち上がった。
編集者は、喪主の姉さまに決定。
忘れないように私のnoteに書いておくことにする。
自分でも、noteに毎日書く記事は、ダンナとの平穏な毎日であれば、読書と映画鑑賞の記事しか無くなる?と思っていたが、灯台下暗しで、我が母のエピソードという、最強のネタを発見した日だった。
母がいた。
津軽のもつけでちゃかし。(もつけ:熱中する人、お人よし。ちゃかし:お調子者、あわてんぼう。どちらも愛すべき存在。)
スペイン料理店で、4人で、ワインのボトルを2本開けた後、姉の友達のスナックに、挨拶に寄ってみることにした。
姉の友達も喜んでくれ、義兄が言いださなければこの4人でこの店に来ることはなかっただろうという面白い展開だった。
早寝早起きで、規則正しい生活を送る私だが、たまにしか会わない人との会には、思い切り冒険してみようと思う夜だった。
守護霊、(人''▽`)ありがとう☆御座います!
またお墓参りします(⋈◍>◡<◍)。✧♡