見出し画像

自由人の自由詩✧♡2023.11.30

 短歌は沢山浴びればいいものと思っていたが、やはり作らなければ進歩しない。穂村さんの本も、章ごとにお題が出ているので、作ったら、読んでも良しとかすると短歌筋肉(←あるのか?)が鍛えられるのやもしれぬ。
 でも、あんまりハードル上げると続かなくなるから、ぼちぼちw。

カサカサと紅葉踏み分け行く犬の音聴くときぞ秋は愉しき

 死んだ愛犬の記憶スイッチは、音にもあるな、と思う。木々がすべて葉を落とした散歩道を、犬がカサッカサッと勢いよく歩いて行く。葉も落ちてから日が経ち、もうすっかり乾いているのだ。
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」の本歌取り。
現代語訳:人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。
 秋=悲しいという図式に、スコシ反旗を翻してみた。
 そういえば犬が楽しそうに音を立てて歩いていたというかわいい子の想い出が蘇り、悲しいというより、愉しい気がしたのだ。

2倍ある娘の背中流すのは大変なのか?楽しそうかな

 毎朝、温泉に出勤しているが、いろいろな人の裸を見る。北斎なら漫画に描いているところだ。男性の夢を壊すようで悪いが、ほとんどが太った女の人ばかりで、色っぽい女の人(私を初めとしてw)はいない。
 そんな中で、ある親子を見た。娘は母のゆうに2倍はある。背中だけでなく、お尻から太ももから裏側をすべて洗われていたようにみえた。お母さん、大変だなと思ったと同時に、母はその娘をどう思っているのかが気になった。こんなに大きくなって嫁の貰い手が無いよ、と思っているのか、いやいや、案外娘は結婚していて、幸せかもしれないし、こうやってたまに親子2人でお風呂に入っている幸せもある。どっちかな?

たぶん皆すべて君から派生したジェームズボンド本家王道

 ジェームズ・ボンドがすべてのスパイ映画の大元だ。
 私は寅さんの映画を映画館で観た経験は無いが、ダニエル・クレイグの007はある。その時に、なんとなく、映画館に満ちている、期待具合、ワクワク具合が、寅さんの正月映画っぽいのでは?と思った。知らんけど。

はばき脱ぎカツを囲んで集まればかちんとぶつかる五つの盃

 おいっこが2人いるが、大学に行った方が大学院に行き、研修でイギリスに行った。半年の予定で、帰ってきたのが11月の初め。ハマス、イスラエルの問題が始まり、なんだか世界がきな臭くなっていた時。

 彼が、無事、姉の家に着いたと聞いてホッとした。

 それを祝って、弘前に集合。みんなが好きなかつの店に行こうと姉。
 おいっこの無事を祝ったのかかつを食べに行ったのか、その両方だったが、かつやで乾杯した時、五つの盃が桜の花びらのように集まった。
 行きは、私の小学生・中学生時代の通学路、姉の最後の通勤路、帰りはおいっこの通学路を歩いて帰って来て、なかなか思い出深い夜だった。
 うまく記事にできていないが。全ての行動が新聞に載っている首相じゃないから( ´艸`)、もったいなくて、書けない夜もある。

音もなく風も無いのに散る落ち葉君が運命かはらりはらりと

 この歌は悔しいのです。
 秋は寂しさだけがまさってあまりいい気はしなかったけど、風も無いのに、静かに散る落ち葉が、サクラが散るのと違ってまた美しいと思った。
 それをどのように詠めばそんな雰囲気がでるのかわからない。来年に持ち越します。

もみじ葉と共に露天に入りにけり心地よきかな君の最期は

 11月の短歌として2つ送ったら、没になった方。
 もみじ葉とうっとりと露天風呂に入っていて、これがこのもみじ葉の最期なら、悪くないぞと思った。
 

写真には写らぬ秋を詠むのです雪降る様に積もりゆく秋

 今は、スマホのカメラの性能が良すぎて、誰もが、いい写真を撮っている。でも、本当のカメラマンの映像は、全然、違うなと、やはり感心する。

 江口さんの写真に至っては、写真なのに俳句や短歌や絵画のようだ。言葉も詩のようだし。いつも美しいなと思って写真を見せていただいている。
 カメラが撮れないものを詠んでみたいと、野望が立ちあがってきた。

紅葉狩り山へ川へと出かけおり庭の山法師一番の美人

 これはまさに本当の話で、うちの庭の山法師が一番、綺麗でした。
 出かけなくてもよかったんとちゃう?と一人でツッコんだが、出かけたから気が付いたこと。

緑茶飲めば黒いあんこが降ってくる薯蕷まんじゅう大福餅が

 最近、緑茶を買って、今まで、ウーロン茶とか、玄米入りほうじ茶とか飲んでいたケド、緑茶が美味い!と感激した。そしてその瞬間、頭の中にあんこのお菓子が降ってきた。
 凄いなと思った。
 こんなにあんこの存在を際立たせるのは、緑茶の力と気づいた。

不安定な動物的状態と習ひし言葉散りばめる春

 高校生の頃、現国の教科書には小林秀雄の評論が載っていた。
「無常ということ」難しすぎてさっぱりわからないけど、部分的にわかって共感する。死んだ人は姿が定まっていて美しいけど、生きている僕たちは不安定な動物的状態だから不格好でしかたがない。
 
友だち同志、日常にそんな会話が飛び交っていた。
 青春時代の懐かしい思い出。

初雪に紅葉と露天に入りにける白に覆われ落ちてくる赤

 初雪が降った途端、露天の紅葉が、ほとんど落ちてしまった。
 初霜が冬を連れてくると詠んだけど、初雪はもっと、容赦がなかった。
 
赤い紅葉の葉をほとんど落としていった。いつも紅葉と温泉にいる私w。

コンビニでいつも売り切れマシンガンミサイル代わりにお握り落とす

 これは、穂村さんの短歌くださいにあった短歌と、これからコンサートに出かけるamazarashiの歌詞の影響をうけた。寺山修司みたいに、架空のことをそれらしく詠めるのか。チャレンジしただけで微妙な出来。駄作も引き受け次へ。おなかの空いた胃に落としたのはミサイルではなくお握りです。

花金だ早い時間に梅酒舐めすべての曜日に花が付く日々

 先日書いた記事を短歌に詠んでみた( ´艸`)
 自由人である我らは、花が付く日は毎日なのである。

乳母猫と名付けし男に妻が言う半猫人よ、貴方、と猫目で

 高木さんのこの記事は深刻な話なのだろうが、どこかうつくしく、いい話だと私は思う。猫が自分を育ててくれたという、猫の優しさにも驚く。
 とても好きなエッセイの一つだ。実話なのだが、まるで小説みたいな話だとも思う。自分の中では半猫人や、その妻の猫目の女のキャラ化がゆっくりと進んでいる。
 noteの記事で短歌が作れるのであれば、これは写真にはできないことなのかもしれない。

 昨日不思議に思ったのは、メモ帳の殴り書きを見ると、どれも「没」と思うのに、活字になるとそれらしくて、許せるのが不思議。

 これはたぶん錯覚だ。

 勝手に師匠としている穂村さんが、50首作ると決め、50首作って、初めの10首と最後の10首を削って30首残す、と書いていた。

 今、全く削ってない。
 削ったら全部消えちゃいそうで( ´艸`)
 勇気を出して投稿w

 自分の短歌の屍を越えていく。





この記事が参加している募集