ブック/オブジェクト/アート
ブックセンターで観た展覧会が気に入ったので作家のトークショーに出かけた。飯田竜太さん、太田泰友さん(以下、敬称略)の2人展である。
展示を観ていて、作家が2人いることはわかったのだが、互いに素材を送り付け合って作った作品もあったりして、どっちの名前の作家が、どっちの作品を作った人なのか、はっきり、区別がついていない状態だ。
遅刻、ギリギリで会場に滑り込む。神がかり的にセーフ。
(以下、聞き書きのメモなので間違いがあるのをお許しください。)
作家の自己紹介から始まり、飯田竜太は2010年から6年間、八戸学院大学で、幼児教育に関わっていたことを知った。八戸ブックセンターのディレクションをしていた内沼がキーマンとなり、2人のつながりができたのだという。飯田が太田に、ドイツに行ってブックアートのマイスターを取ることになったきっかけを話してくださいと促した。
初めはプロダクトデザインを目指していた太田は、グラフィックデザインをしていた工藤教授のもとで、本のデザインをしていた教授の仕事に、本を作る側からの興味があるということを認識する。自分なりの本と関わる方法は何だろうと考えるうちに、編集から本の構造への興味へと移っていった。
製本の技術、そして、ブック・アートという分野を見つけた。
20歳の時のパリ旅行がきっかけで、セーヌ川でしみじみと旅愁に浸っていた時に、川の脇を走り抜けるオジサンを見て、旅行者ではなく、ここで戦うために来よう!という決意を持つ。
本で、外国に行きたい。
その時に教授が、ドイツの大学にブック・アートの学部があると教えてくれた。修士1年目の時にライプツィヒに2ヶ月語学研修をし、準備を始めた。
語学研修も終わる頃、ブック・アートのドイツの教授にやっと会って話を聞いたら、君が求める大学は、隣町にあると紹介されたそうだ。
ライプツィヒの街がとても気に入った彼は、隣町のハレ(だったかな?)に行って、街の雰囲気には失望したのだが、紹介された工房を訪れた時に、その厳かな佇まいに、ここで勉強しようと決意していた。
お城の中にある建物で、昔から使われていた機械の数々、工房の棚でさえ、博物館行きになっても可笑しくないような佇まいのものだったそうだ。
ライプツィヒの大学は、反対にパソコンさえあればOKというような勉強であり、太田は、古い歴史のある道具で作る製本という手仕事を選んだのだと言う。修士を終えた後、その工房で勉強し、マイスターの資格を得た。
その時まさに、工房に置いてある棚や道具が博物館に収蔵しようというムーブメントが起こり、教授は、会議に出かけては戻ってきて泣いていたという。博物館がものを運び出す日に学生が居座って邪魔したり、いろいろな日々があった。
飯田:仕事の労働性っていうことを太田さんに聞いてみたいんだけど。
時短する人ってどう?デザイナーと仕事してみて、デザイナーって
仕事が早くて、僕は彫刻家だけど、彫刻家と、デザイナーとの労働性
の違いを、僕は感じたけど。
太田:僕も飯田さんと同じ感じですね。
飯田:僕は、彫刻家で同じ作業をず~っとしていくんだけれども、制作の初
めと終わりで、考え方がちょっと変わっている。
言葉にすると労働性は同じ動作でも、1回目と100回目では違うんだよ
ね。
太田:作品っていつが完成なのか、発表されるまで固まっていないこと
ってありますよね。
飯田:作っているうちに、もっと違ういいことがあるってわかってくる。
ファイン・アートとデザインの違いなんだろうけど。
今回、2人で素材を交換し合って作品を作った。素材を送り合って、
互いにどう処理するか。
僕は2週間かけて作った素材を、送るのをやめたのです。
こうやって作品を考えること~どれぐらい考えるか~ですけど、
空想では考えきれない。僕は手を動かしていないと。
僕は集中するためにノートに考えを書くことがある。
思考を深めると言う意味で。
太田:飯田さんの素材が送られてきたときに、飯田さんの文字がとても
気になりました。そこにひっかかってます。
もっと本じゃないものを送ってくるのかと思っていたら、けっこう本
だった笑。飯田さんの文字はかわいくて、ちょっと几帳面で、前に
「文字を大事にしている」という話も読んだことがある。
この作業をしながら、変な話だけれども、僕は
「飯田さんに恋をしているんじゃないか?」と思ったことがある。
こう考えたけど、その答えを聞いてしまってはダメだという
遠慮があったり、四六時中、飯田さんとの作品のことを考えている。
これはもはや恋なのではないかと。(笑)
飯田さんを想い続けた結果ですね笑。
飯田:太田さんから素材が送られてきた時なんですけど、まず、外箱が綺麗
なんです。箱を開けて、作品を包んである紙が、画用紙みたいな固い
紙なんですけど、まず90度にきちっと折られて立っている。
箱を開けたときから、読書が始まっている感じです。
飯田さんの本をめくるときは、普通の本をパラパラとめくるのと違う
感じです。労働性を感じる物質の強さ。
好意(行為?)、楽しみ…結局、太田さんの本には、僕は何もできな
かった。台座を作っただけです。その台座も何個も作ったけど。
だって、あれだけで、すでにカッコいいでしょ。
太田:それが光栄でした。その姿が僕は嬉しかった。
飯田:この展覧会で展示してある作品では互いの作品を選んで持ってきて
います。
太田:ブック・アートについて、定義ははっきり決まっていないですよね。
本の姿というものに対して、それを当たり前に思っているけれども
本当はもっと違うのでは?というところで作品を作っています。
僕は、本の姿の一部分を追求しています。
自分の活動の総体をブック・アートと呼んでいます。
今回の展覧会のタイトルは「ブック/オブジェクト/アート」という
タイトルだけれども、この3つの言葉がつながるって、無いよね。
飯田:僕の作品は本を山のように削っている作品です。
読書の体験っていうと、最近、オーディブルで、本を聴いているんで
すけれど、ほんと、頭にはいってこないですね。
僕が食器を洗う係で、それを聴きながら、洗っているんですけど。
前まで聴いたところがどんな話だったっけ?って思い出そうとする
と、洗い物のことを思い出したりするんです。(笑)
僕の作品は、実際そこにある本に間借りしているというか、それに彫
刻して作品化していますが、太田さんの作品は、もう、0(ゼロ)か
ら、立ちあがってきてるのが、凄いよね。
太田:飯田さんに気になっていることを聞いちゃいますね!
本にカットをいれていくじゃないですか。
ページごとにカットしている?
ページをカタマリとしてガッと切ってないですよね。
活版印刷そのものが、紙が凹むというのは彫刻的なことですよね。
飯田:本について、文字と余白について考えているんです。
文字を伝達するものが、本。
彫刻も、彫刻の無い余白の部分によって展示が替わるんです。
彫刻は大きく言って
モデリング(塑造)0から造る
カービング(彫刻)塊を削りながら造る
の2つがあるのですが、ぼくはカービングなんです。
1ページずつちがうラインでカットしています。紙はどのページも同
じ紙ですが、そこに文字が入ると、1ページ目と2ページ目はあきらか
に違うものになる。今回の作品で素材とした本では、その本にあった
花の絵を見たのも、文章を読んだのも、最後に読了したのは僕。
僕に与えられた本という素材を、本でないものにして昇華させる。
彫刻って、素材に打撃を与えることなんですよね。
素材に与えた打撃を信じたくて、切ることを繰り返して労働性を上げ
ています。
それは慎重にやっています。
木は、一回切ったら、終わりですからね。
太田さんに送った自分の素材は、閉じた状態だと外側は変わらないけ
れど、中身は切り取られています。
本は共有しないで、読めなくして、自分の最後の本とする。
それが自分としては大事ですね。
太田:素材を交換したことの答え合わせができました。
先日、卒業生と見た展示の謎が次々と作家によって解明されていった。
彼らの話を聞いて感じたことは、作家と言うのは本当に自分の好きなことを追求しているのだということ。
マニアックだし、相当考えてるし、手を動かしていろいろな体験を貯めているし、自分が何が好きで、何をどうしたいのか、目に見えない世界から何を取り出したいのか、何を表現したいのか、とても真剣で。
その真剣さが、面白かった。
ほんとメンドクサイこと考えてるなあ笑。
スピリチュアルな本を読んでいると、グラウンディングの方法とか、自分の本当の願いを知るための瞑想とか、色んな方法が出てくるけど、作家と言う人たちは、作品を作り、手を動かして、自分の魂に辿り着くことを自動的にやってしまう人なのではないかなと想像した。