note写仏部活動中⑩鑑賞編(上)✧♡
美術と言う教科の中にはいろいろな分野がある。絵画、デザイン、彫塑、工芸、鑑賞。そう考えると写仏部に、鑑賞という分野があってもいい。
しびれる本を見つけた。
自分の部屋の積読コーナーに( ´艸`)
「日本国史の源流」縄文精神とやまとごころ 田中英道
このタイトル、ヤバい。縄文精神もやまとごころも、そして作者名の田中英道も、自分のココロに、すでに3回、ヒットする。
私はこの本をまだ働いている時にamazonで買って、読まないうちに紅茶をこぼして、しみがついている。(←ショーガネーナ)
田中英道先生とは、北斎=写楽説を唱えた形象学(フォルモロジー)の権威のりっぱな方である。
本当に彼の本を買うなら、「日本国史(上)・(下)」を私はおススメするが、この本の前書きを、すべてここに記したくなるような文章に触れた。
全部、載せるとめっちゃ長いので要約すると、ドイツの哲学者ヤスパースが「歴史の起源と目標」という本の中で、世界思想がプラトン、アリストレス、「旧約聖書」、ブッダ、孔子などによって展開され、それ以後の思想は、ほとんどその応用編にすぎないと言っている。東西の思想家を数多く上げて論じているが、日本からは誰も登場していない。
夏目漱石は日本人の文化では美術の分野が一番すぐれている、と述べた。日本人は美術によって形象美を誇り、そこに思想も込められていた。ヤスパースはそうした日本人の思想表現を知らないし、田中氏が最大の思想家と考える聖徳太子にしても取り上げていない。
しかし、ヤスパースは実は日本の仏像から日本の思想を読み取っていた。聖徳太子が関係する日本の七世紀初頭の広隆寺の「弥勒菩薩」像を前にして次のように言う。
ヤスパースは、この飛鳥時代の広隆寺の弥勒菩薩に、人間存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の表徴をみている。ギリシャ彫刻やキリスト教彫刻など、彼が見たあらゆる像にない、真に完成された人間実像の最高の理念があますところなく表現されていると言う。
歴史家である前に美術史学を専門としていた田中氏も、これに同意。
そして、田中氏は、この像だけでなく、その他、数多くの日本の仏像や埴輪、銅鐸、そして縄文土器、土偶にもそれを見出している。ヤスパースのいう西洋の像をすべて見ているが、日本の仏像ほどの超越性は表現されていないという意見に賛成する。
ここまで読んで私は、なぜ、人は、仏像を描きたくなるのか、まさに、写仏の動機を、ひとつゲットした気持ちになった。
仏像を一日に一つ描くぞ!という部長の言葉に惹かれて、この弥勒菩薩を好きだから描いたが、その魅力について、ここまで明確に書かれた文章に、出会って衝撃を受けているのであった。(2000字を越えたw)
この前書きはまだ続くので、続きを追ってみよう💖