amazarashi「永遠市」への旅✧♡③
コンサートは終わりに近づいていた。
秋田ひろむが、あと2曲ですと言った時に、ああ、そうなんだと思う。
ラスト2曲は、偶然、私が雪道を黙々と歩きながら浮かんでいた歌。
「さよならオデッセイ」
「アンチノミー」
すべてが終わって、拍手は少し長く続いているが、アンコールが無いと知っているファンは席を立ち始める。
今、秋田ひろむの歌が流れ始めたけど、CDの振りして、本人が幕の奥で歌っていたりして、なんて、席が遠いだけに、確認できない、そんなことを考えてなかなか席を去る気になれない。
でも、歩き始める。
階段を降りるとやさぐれが我らを見つけて近づいてきた。
「私ちっこいから、なかなか見つけてもらえないんです」
今回、やさぐれと待ち合わせするに至って、金髪はかなり役立ったようだ。いつも簡単に見つけてもらえた。始め、オレンジのトレーナーを着ているせいかと思っていたが、よく考えると自分は金髪だった。
コンサートに来ている人は、若者が多いようだが、私のような中高年もちらほらと見かける。大人しめの人も、オタクっぽい人も、お洒落な人も、都会から来たようなカップルも、いろんなタイプの人がいる。気のせいか服装は黒ずくめの人が多いのも若者が多いしるしかもしれない。
きっと、共通しているのは、言葉が好きな人なんだろう。
姉と、スペインオムレツが美味しかった店でワインでも飲みたいよね、とグラナダを目指したが、木曜夜9時、案の定、閉まっていた。
雪の降り積もる道を大人しくホテルに帰ることにする。
母が待つやさぐれとはホテルで別れ、姉と2人で、今日のコンサートについて語り合った。
寝ちゃうかも、と言っていた姉は、歌詞が出てきてその映像を観ているうちに全く退屈せずに2時間が過ぎていたと話した。
そして、コンサートは面白かったと。
確かに歌詞や映像をこんな風に見せてくるかと視覚的にも面白い舞台だった。(個人的には秋田ひろむの声とギターだけの曲も聴きたかったけど。バンドもカッコいいけど、「理論武装解除」というアルバムのコンサートが好きだ。)
知っている曲が嬉しいのはもちろんだが、今の新譜に入っている曲も、ただうっすらと音楽を聴いていたけど、夥しい文字の羅列を観て、そんなことを言っていたんだと、新しいものを見るように観ていた。
とても、本を読むことに似ていたコンサートだったなと思った。
音楽のコンサートに行って、歌を聴いたのだが、
音楽を聴いたというより、
詩人の咆哮を聴いた、と思った。
amazarashiの歌詞に
「くそくらえ!」という言葉が出てきたときは、
ランボオの言った
「くそくらえ!」と言う言葉と重なった。どうみても言葉好きの秋田ひろむがランボオを知らないわけがない。
「ランボオも現代に生きていたら、amazarashiみたいな方法で、言葉を伝えたかもしれないね」と、姉が言う。
前から、秋田ひろむは言葉を紡いで、音楽という手段で曲を作り、類まれないい声を持っている「吟遊詩人」なのではと思っていたが、
今日のコンサートも詩の朗読会と思えないことも無い。
秋田ひろむは音符も操れるから曲として観客に言葉を届けることができるし、漫画家の物語がアニメになると絵と映像と音楽が一緒になって原作以上に物語世界を届けるように、彼も彼の中にあるポエトリーを彼の作曲の才能や、amazarashiのあり方である映像や、ライトや、音楽の在り方で、我々に、これでもか、と届けているのである。
私のスキなマイケル・ジャクソンが自分の創った音楽世界が正確に人々に届くように、ショート・フィルムと彼が呼ぶ、スリラーを始めとする完成度の高いフィルムに力を入れたように、秋田ひろむは、コンサートの在り方に、特に魂を込めているんじゃないのかなと思った。
いつも不思議に思う。
この人前で顔を出さないというスタンスの秋田ひろむが、青森県の片田舎から出て行って、音楽の才能を認められて、amazarashiというバンドになった時に、彼本人のプロデュースは、amazarashiの何パーセントを占めているのだろうと。
漫画家に優秀な編集者がついているように、きっとamazarashiもそうで、秋田の才能を100%引き出しながら、スタッフ皆で話し合って、創り上げたamazarashiがそこに居るのではないかとも、思うのである。
でも、それにしても、秋田ひろむができることできないことを決めて、それしか選べなかったと、揺るがない自分を提出しているのは確かなことだ。
彼の魅力的な声と、選ぶ言葉と、何千何万小節を費やした音楽と。
そこが中心なのは間違いない。
不器用で、音楽しか選べなかった一人の少年が、大人になって成功しても、それでもまだ世界と戦い続けている。
そんな姿が浮き彫りになるコンサートだった。
あのプロジェクションマッピングのような歌詞が、絵のようにステージに降ってくるやり方や照明の動きは、昨今のコンサートでは誰もがやっているのか、それとも、amazarashiに特有な、コンサートの形なのか、色々なことが知りたくなった。
姉妹二人で、コンサートについて話し合い、ホテルの温泉に行って、ビールとおでんしか食べてなかったから、夜泣きソバを食べたり、珈琲やジュースを飲んだり、ベッドに入っても、語り合った夜だった。
興奮してナカナカ眠れない。
雪は晴れ間も見せながら一日中降りしきり、ホテルの部屋の四角い窓から見える雪の舞う風景は、暖炉の炎を見るように見飽きなかった。
時計は午前0時を過ぎていた。