短歌もらいましたⅣ✧♡
穂村さんの本から短歌をもらうのも4回目になった。
早速、もらって、自分の栄養にする。
私の感想は細字、穂村さんの解説は太字で。
みみっちい行為を描きながら、なんとも瑞々しい青春歌。
元図書を担当したことある者にとっては、眉をひそめたくなる行為だが、最も利用者があることが考えられ、帯出してそこに無いのが困る本に、このシールが貼られることは、どこか裏腹だ。最も生徒に利用されるかもしれない大事な本。その制限に反抗するかのように剝がされるシール。頭に来るけどどこか小気味よさも感じる歌。
図書館つながりで、光景が眼に浮かび、選んだ。前の勤務先が素敵な図書室で、風が吹き込んでカーテンがふくらむ一角があった。
図書館というのは、喧騒の嫌いな人、1人で孤独にいたい人がふらりと一人で訪れる場所である。沢山の生徒が本を借りに来るといいのにと思ったが、それはそれで、落ち着かない。人の疎らさが図書館の持ち味でもある。
も花さんは30歳。訃報を聞くには早い年齢で、しかも彼女の記憶は学校の入学式まで遡る。レモンって好きな食べ物で言う?名簿が早くて自己紹介で追い詰められて言った?それにしてもレモンは、詩や絵によく出てくるし、どこか爽やかで実感を伴わない青春みたいな食べ物だ。
レモンに並んでオレンジも、爽やかな果物代表で、どこか青春を感じさせる。偶然、君に向かっていくという、辻褄の合わなさに、恋の説明のつかなさを感じる。
あまりに定期的に店に行って同じものを買い、店員さんに覚えられていること有りそうだ。うちの黒帯(ダンナのあだ名)は、ロン毛のパーマヘアのため、人からじろじろ見られたり、覚えられ率が高い。平凡な私も金髪にしたので、あの髪型が特徴的な夫婦、と覚えられているかもしれぬ。
今回、学校ものを選んでいるな私、と思う。前まで、学校が日常で仕事なので、そんな懐かしい場所でも無かったが、仕事を3月に終えて、ようやく懐かしい場所になったのかもしれない。日本国民、皆が一斉に過ごした学校という場所の体験は、詠むと普遍的題材なのだろう。
やっと、はっきりと好きだと思える歌が出てきた75ページ。納豆を毎日食べているけれど、三個パックで68円とか78円とか、高くても118円とか、一個あたり、30円足らずで、ご飯の主役。納豆の美味しさって凄いと思う。
「顔についた納豆の糸はどこにあるかわからないけど確かにある」との作者コメントあり。
「奇しくもそれは14歳最後の日で、あれ以来ずっと年をとれてる気がしません」との作者コメント。「14歳最後の日」がわかるのは天使か悪魔か、それとも単なる変質者だったのか。現実を詩に転化する眼差しの強さ。
さっきのオレンジが転がっていくからという歌と合わせて、理由も意味も不明だけど、そうなんだから受け止めてという女の子の気持ちがカワ(・∀・)イイ!!なあと思うのです。君の犬の真似、観たいよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡
さっきのクロワッサンの人だ!欠席のはずの佐藤が背負っているものはなんだろう?早死にした友人の背後霊?駆け落ち道具?不穏な感じです。
またしても木下さん!しかも一歳年が増えている。
もしやとおもって、前回の自分の記事を見てみたら、前回も選んでた!
私のアンテナが凄いのか?木下さん5首目。
「学生の頃、友達が自分で作って持ってくるピーナッツバターサンドに憧れていました。母の手作り弁当を食べている自分がかっこ悪く思えました」との作者コメントあり。
わかります。極端に栄養が偏っている上に潰れている。そんな「ピーナッツバターサンド」をしかも「だるそうに食う」男の輝き。
絶対その男は木下さんの母の手作り弁当に憧れていたと思うケドね笑。
あの有名な絵が浮かんできて、好き💖
絵を詠むってアリだな。
与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の逆バージョンですね。「正気」の悲しみに胸を打たれます。
好きな女優を知っているってことは2人は仲のいい友達なんだろう。夏目漱石の「こころ」のようなことって、いつの世も起きているんだろうな。
この短歌に激しく共感するのは私が常に美術部員とか、絵を描く子供たちに関わってきたからである。絵を描いたり、展示のために何週間もかかったそれは、文化祭が終わった時に一瞬で終わり、すべてが終わったあとに、後始末をしている光景が蘇ってくる。絵を描いていると、途中はあんなに苦労したのに、完成作品は、パーフェクトに素知らぬ顔で輝いている。
作業した手にはそんな絵具の痕跡が、アクリル絵の具で脱皮できる皮がついているのだ。
この「短歌ください」は「君の抜け殻篇」である。
表題作と言ってもいい。抜け殻の君と、君の抜け殻は、全く違うものなんだ。言葉は似ているけれど、物質はまるで違う。
穂村さん、短歌もらいました✧♡
ありがとうございます。これからももらいます♡