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ともだち、がんばる✧♡

 あるアトリエに通おうと決めたのは、高校生の展覧会の審査員の講評がとても優しかったからだ。この先生のアトリエに通って、大学生時代、挫折した油絵をもう一度、チャレンジしてみたいと思った。

 大学生時代、デザインも彫塑も得意だった自分が、絵画を卒業制作に選んだのは、実は一番苦手だったから。

 教育学部の中学校教員養成課程を選んだ私は、彫塑、絵画、窯芸、デザイン、すべてにおいて作品を作った。
 どの分野もまあまあなのだが、絵画だけが苦手だった。
 卒業ついでに、克服してやれ!と安易に思ったのである。
 後から思うと、苦手なものを無理してやるんじゃなくて、得意な方をやればよかったのに、とちょっと思う笑。

 絵画を選んだ自分にまず立ちはだかったのは油絵の具だった。
 なぜか、手が荒れて、水泡ができて剥けて行く。
 自分のカラダを侵食してくるわけのわからない絵具を好きになれる気がしない。当時、アクリル絵の具はそれほど主流ではなく、私は、油絵の具の堅牢な画面が好きだったので、いっそう、混乱した。
 
 つまり、私は大学4年生の時に油絵の具を克服できないまま、挫折して、パッとしない卒業制作を作り、苦手意識を持ったまま、美術教師になってしまったのである。

 このアトリエの先生に出会った時に、もう一回、この優しそうな先生のもとで絵画を勉強し直してみようかな?と思った50代。

 先生のもとで絵を描くのは楽しかった。

 自分は油絵が苦手だと思い込んでいたけれど、先生のアトリエに週に一回通って、3時間絵を描くうちに、あれ?苦手でも無いみたいだと気が付き始めた。先生のアドバイスがなくてもどんどん描き続けられる。
 そして、筆をおこうかどうか迷った時に、
「先生?どうですか?」と聞くと、先生から、的確な答えが返ってくる。

 この、作業の大半は、先生の言葉は必要ないのだけれど、いざ!となったら聞くことができるという安心感。

 自分自身も教師をしていたから、生徒にとってそういう存在であればいいのだなと勉強になる。

 しかし、その後、通勤場所が、遠くなり、一日2時間が通勤時間に取られるようになると、私はすべての習い事を止めた。
 職場に通うだけで一杯いっぱいなのだ。

 自然に、アトリエに通うことも無くなり、絵を描くことも無くなった。
 そして、自分がアトリエに通い始めたことがきっかけで、誘ったりした友達がいたのだが、その人たちは、アトリエで描き続けているのであった。

 アトリエに通わないと絵を描かない自分が恥ずかしいが、お金を払ってそこに行くと、すぐやる気になって3時間絵を描く。1年に絵が2~3枚完成できる。場が、すでに整っているのだろう。
 アトリエは、そういう創作の場であった。
 

 今年の夏、その、アトリエの絵画展に、出かけた。

 いいね、みんな、頑張ってる。

 そこで先生に会うと「あやのんさんも来ませんか?」と言われる。

 しかし、自分は、今は稼ぎが無いし、どこか絵を習いに行くことをメンドクさく感じている。
 もう、誰に習わなくてもいいのだ。
 私が、自分の部屋で描き始めれば大笑!

 先日、二人の友人の絵が市民美術展で、賞をとっていた。

 そのアトリエの作品発表会でも頑張ってるなと感じたけど、最近の市民美術展で実際に一番いい賞を取っている2人を見て、凄いなと思った。

 1人はこの間素敵な女史会を開いてくれたシズピーである。
 この間のシズピーへの花束は、食事会のためというよりも、彼女の画業にみんなで花を贈ろうと、相談して、贈られたものであった。

 彼女の絵は100号だった。

娘を描いた「二十歳」という作品

 シズピーのお嬢さんは今は30代だそうだけれども、この、親が娘を描いた作品を観て、自分はこれぐらいの気持ちで何かを描けるだろうか?と考えた。前に、ダンナを描こうと思ったが、「俺が死んでからにしてくれ」と言われ、頓挫しているのである。
 シズピーが100号という物凄い大きさの絵に挑戦していることが驚きだった。美術館の会場にある時はその大きさに気が付かなかったのだが、シズピーの家に招かれて、部屋で観た時にその大きさに驚いた。
 しかも、この大きさだと、先生のアトリエに持って行って描ける大きさじゃない。どうしたの?と聞いたら、ここで描いたというシズピーの言葉。

 うわあ、独りで、自分の家で描いたんだ!

 いよいよ先生のアトリエでしか描けないというのは、言い訳にもできないなと思った。

 もう一人の、美術教師仲間の友達。 

なんか!メグケウピーみたいな可愛さではないか!
彼女の母と、姪っ子を描いた絵

 シズピーは、大賞。
 マッツは、60周年記念賞を取っていた。

 友達の活躍に、心震える。

 そこに、私が辞めた後も、二人とも、ずっと、絵を描き続けているという晴れがましさがあった。絵を追求してる、素敵なともだち。

 そろそろ、なんかやる?と誰かが私に言った。