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ランボオの顔✧♡後編

 「ランボオとボードレール」粟津則雄氏の著作から、「ランボオの顔」という短編を引用している。その後編。
 


ファンタン・ラトゥール「テーブルの一隅」

やがてランボオがパリに出たのち、職業画家ファンタン・ラトゥールは「テーブルの一隅」に若いランボオを描き込んでいる。ヴェルレーヌその他の詩人や芸術家とともに描かれたあの頬杖をついたランボオの絵は大変有名である。私は最初いいかげんに見すごしていたが、ていねいに見ると、頬杖をついた頬のあたりのおとなびた筋肉や骨の動きも正確にとらえられており、けっして、凡手ではないことはわかる。のちにヴェルレーヌは、当時のランボオについて、「背が高く、がっしりとして、まるで力士のようだった。流竄の天使のような、まったく卵形の顔に、櫛を入れない明るい栗色の乱髪、眼は淡い蒼で、おだやかならぬ光があった。」と書いているが、ファンタン・ラトゥールの描くランボオからは、そういう面かげがうかがわれぬこともない。ほとんど口をきかず、かと思うと突然ナイフで切りかかったりする奇怪な少年の姿が感じられぬこともない。だが、私としては、ドラエーの描いた不器用な絵の方が好きなのである。

※流竄(るざん)遠い地をさすらい歩くことの意。ランボオはかなり奇怪な少年のようだ(あ)
確かにこのランボーは生意気そうだが、すこし平凡で、
ドラエーの描くランボオの方が、何を考えてるかわからないヤバい奴に見える(あ)


絵から抜け出したかのようなヴェルレーヌとランボー。映画「太陽と月に背いて」より
今さらながら、この映画、観たかったと思う私である。(あ)
ヴェルレーヌの描いたランボオ(当時18歳)

ヴェルレーヌといえば、ヴェルレーヌが1872年に描いたランボオ像も私の大変好きなものだ。ランボオがヴェルレーヌにその作品と手紙とを送ったのは、1871年の秋のことである。その作品に驚嘆したヴェルレーヌは直ちにランボオをパリに呼ぶ。かくしてこの2人のあいだに、よろこびと不安と苦痛にあふれた地獄の季節が、やがて肉体関係にまで至る苦い関係が始まるのは周知のことであろう。たちまちランボオと放蕩無頼の生活を始めるのだが、この絵も、その生活のさなかに描かれたものだ。今の若者たちのように肩まで髪をのばし、おわんのような帽子をかぶって、パイプをくわえ、細いズボンをはき、ポケットに手を突っ込んだこのランボオの姿からはヴェルレーヌがランボオに対して感じている魅惑がなまなましく感じられる。いや、魅惑ばかりではない。彼が十歳年下のこの天才詩人との結びつきに感じている不安もまた、ただよっているようだ。

ヴェルレーヌの絵を見て、自分の描いたマンガみたいだと思った笑(あ)


レガメーのデッサン


ヴェルレーヌとランボオの写真があった!


映画の2人

やがて二人は、ロンドンへわたる。ロンドンでの生活は、すざまじい喧嘩と仲直りが相継ぎ、恍惚と後悔とが前後するものであったが、ロンドンの街頭を歩くランボオとヴェルレーヌを描いたレガメーのデッサンは彼らの生活をなまなましく感じさせるものだ。まるでロンドン乞食のような風態のヴェルレーヌが、こうもりがさと小さな包みをかかえてよぼよぼと先に立ち、あとからは、相変わらずの半外套にパイプを手にしたランボオがふてくされた様子で続いている。ロンドンでの彼らの生活はこの情景が象徴するものであったにちがいない。ランボオは「あわれな兄貴」に歯がみし、ヴェルレーヌは、ランボオと妻とのあいだに心弱く引き裂かれる。やがて、この二人の関係は、ブリュッセルでのピストル事件という破局に達するのである。

映画「太陽と月に背いて」より。ランボーとヴェルレーヌ。


 別れてパリに帰ると冷やかに告げるランボオに絶望したヴェルレーヌは、ランボオをピストルで傷つける。これがブリュッセル事件であって、その結果ヴェルレーヌは、二年の禁固刑に処せられるのだが、一方傷ついたランボオを描いた痛ましい絵が残されている。

ジェフ・ロスマンという無名の人物が描いたこの作品は奇妙に暗い雰囲気にあふれたものだ。この人物が何故病床のランボオを描いたか明らかではないが、彼の画家としての眼は、暗い絶望にとらえられていたランボオを正直に描いたのだろう。ランボオは、ヴェルレーヌとの関係のなかに、愛の新しい形を夢見ていたのだが、そういう彼の夢想は、もっともみじめなかたちで終わりを告げた。そのことから彼が受けた深い傷を、彼の無表情な顔は語っている。
「地獄の季節」と「イリュミナシヨン」とによって詩的表現の極点に達したのち、ランボオは文学を離れ去り、1891年、37歳で世を去るまで、アフリカで、商人としての生活を送るのだが、当時の彼を伝える2枚の写真はまるで夢魔のように私にとりついてはなれない。


作者の語る時代のランボオ、この写真を指しているのかはわからない。

 

右から2人目がランボオ。古いハガキから発見されたランボーの写真。

1枚は木の柵に手をかけたものであり、もう1枚は、河のふちに立ったものだ。これらから、かつての詩人のおもかげは感じられないばかりか、商人とも思えない。何と言えばよいか、私はまるで徒刑囚のような印象を受けるのである。言語と想像力とのすばらしい宝を奪い去られ、世の涯に追いやられた徒刑囚のような印象を。そして、この徒刑囚は死の床で、次のような遺言を口にするのだ。
「分け前、歯一本のみ。分け前、歯二本。分け前、歯三本。分け前、歯四本。分け前、歯二本。」

 短編はここで終わっている。
 作者が語っている文章だけで、充分、イマジネーションがかきたてられたのだが、いったいどんな写真や、絵について語っているのか、興味を抑えきれなかった。ランボオの顔だけで、面白過ぎる(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 作者の言うランボオの顔について、写真や絵を追ってみたが、追っているうちに、ますますランボオの詩に興味が湧いてきた。
 万葉集をひも解く様に、いつかランボオもひも解いてみようと思う。
 私の知っているランボオの詩はわずかだ。

 ランボオの墓石の写真まで見て、ランボオの綴りを知る。

 RINBAUD。この文字の並びが、気になってきた。

 林望(リンボー)先生ってもしかしてランボオからとった名前?笑


デカプリオ、いい感じにランボオを演じている気配


追記:コメント返しをしているうちに、子供時代に観た、サントリーのCMの影響も受けていることを思い出した。
 夜のドラマを観ていると、時折、見かけたフェリーニの映画のような不思議な画面。この頃のサントリーのCMは、ガウディやらランボーやら、芸術的で美しく、謎めいたものだった。その頃、子供で、お酒は飲めなかったけど、サントリーという企業のイメージは、なんだか、かっこよかったのだ。
 姉の言う通り、大学生になったら、ランボーを読むというのは、このCMが、ランボーを、日本では大衆化していたのかもしれない。
 昔は、CMで人々を洗脳するのはピッタリだったね。
 今はほぼ、録画ですべて観て、CMはスキップするから( ´艸`)。