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器に入れるという、一手間を

どれだけお値段が安い食べ物でも、良い器に盛り付けられていたら、なんだかすごくおいしそうに見えるなって思う。

器って、すごく大事な要素のひとつだと、わたしは思っている。

まぁ、見た目ももちろんなんだけど、どの器に入れるかだけで、お料理の味も違ってくる気がしている。たぶん、気のせいではないと思う。

わたしは恥ずかしながらそんなにお料理は得意な方ではないのだけど、いっちょ前にあらゆるものの味の違いはわかる。


紙コップで飲むコーヒーと、ガラスコップで飲むコーヒーと、陶器の器で飲むコーヒーは、同じコーヒーでもぜんぜん違う味がする。

口当たりがちがうというか、なんて言ったらいいのかわからないけれど。

わたしは昔から波佐見焼の器を日常的に使っていたから、他の器で食べたり飲んだりしたときの違和感が全然ぬぐえなくて。メラミンのコップで飲むお茶が、どうしてこんなにおいしくないって感じてしまうんだろうとか、紙コップのお水ってなんでこんなにも味気ないんだろうとか、ずっと思っていたんだけど、それが器の問題だったことに気付いたのは、大人になってからだった。


それに気付いてから、何かを食べるときは極力そのまま食べるのではなく、何かしらの器に移すことにした。

先日、台風に備えて買ったカップ麺(お湯入れて3分待つタイプのやつ)を消費しようと思って作ってみたのを、どんぶりに移し替えて食べてみた。発砲スチロールの器で食べるよりも、なんだかちょっとだけおいしい気がした。気のせいかもしれないけど、「カップ麺食べてます!」感が薄れて、満足度が高かった。

ちなみに今日は、ローソンのロールケーキを器に乗せて食べた。

おいしかった。夜遅い時間に甘い物食べたことに関しては、そっと目をつぶっててほしい。


出生地と、祖母の家が長崎県波佐見町ということもあって、そして祖母が波佐見焼の絵付け師だったこともあって、知らないうちに陶器の器はわたしの生活の一部になっていた。

今住んでいるシェアハウスには、共有の備品として食器がたくさんあるのだけど、驚くことに置かれているのはほぼ全てが波佐見焼の物だった。いや、波佐見焼は大衆食器だから結構どこでも使われているし簡単に手に入るからそんなに驚くことではないのかもしれないけれど。


ちなみに波佐見焼については過去のnoteでたくさん書いているのでお暇な方は以下をどうぞ。

そういえば最近、旦那さんも陶器の良さに気付いてくれて、わたしはとっても嬉しい。近い将来一緒に住む日が来たら、お気に入りの波佐見焼の器をそろえて、一緒にご飯を食べたいなぁ。



今日もおつかれさまでした。





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