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10代と20代ではエヴァの見方が変わっていた話

僕は他の方と違い、古残ではありません。
新劇場版「破」からエヴァを見始めた、比較的新規の人間です。
今回は古残でなく、新規の僕から見た、シン・エヴァの感想を
あえて書きたいと思います。
お付き合いください。

エヴァとの出会い

エヴァを初めて見たのは、小学6年生のときです。
友達の家で新劇の「破」を見ました。
カードゲームをしながら、ちらちら見ていたのを覚えています。

エヴァに対して、初めは良いイメージを持っていませんでした。
・パチンコに出てくる女の人(レイ)
・オタクが見る深夜アニメ
・ちょっとエッチなアニメ
という感じ。

にもかかわらず、僕はエヴァに興味を持ちました。
「破」のアスカのお風呂シーンがきっかけです。

当時の僕はアスカがタイプだったので、
ちょっとエッチなシーンに釘付けになりました。
思春期だったし。
きっかけとしては十分すぎました。

年齢が経つにつれて、レイが好きになっていくのは
なんでなんでしょうか。
よく分かりません。

金曜ロードショーで「序」「破」「Q」
を見たときにはレイ・アスカだけでなく
エヴァのストーリー自体にハマっていました。

今思えば、
シンジにある種の共感を抱いていたからだと思います。
僕も小さい時は、弱虫で泣き虫でした。
年齢も近いシンジに
シンパシーでも感じていたんでしょう。

いろいろな考察動画を見始め、
どっぷりとエヴァにハマると、
エヴァをきっかけに「友達」が出来るようにもなりました。

考察はエヴァの醍醐味の1つと感じています。
それは全エヴァファンに共通しているようで、
一度話し出すと止まりません。

当時は
話しては映画を見て考察し、
話しては映画を見て考察し、
の繰り返しでした。
エヴァ中心の世界です。

エヴァで仲良くなった「友達」とは
今でも繋がっています。

そんなこんなで、
シン・エヴァの公開を十年ほど待った少年は
20歳の青年になりました。

その青年が「友達」とシン・エヴァを見た
感想を書いていきます。

僕にとっての「エヴァンゲリオン」

一言で感想を表すと、スッキリしました。

シンジ、ゲンドウ、アスカ、カヲル、
ミサト、レイ、マリ、ユイ
みんなが救われた終わり方で、
とてもホッコリしました。

しかし、一つ不思議に感じたことがありました。

それは、
「考察があまり気にならない」
ということです。

話しては映画を見て考察し、
話しては映画を見て考察し、
の繰り返しだった小中学生の時と違い、

当時と同じ「友達」とエヴァを見ても、
考察の話にならないんです。

謎は多く残っています。
渚司令、アダムスの器、首なしのエヴァ等々。

映画が終わった後、それらの話はします。
でも長引かないし、あまり調べません。
動画も少ししか見ませんでした。

僕はなんでだろうと考えました。
エヴァ熱が冷めている訳ではありません。
公開初日の朝から見に行きました。
弟とも見に行きました。

ではなぜか?

理由は2つ思いつきました。
① ストーリーにスッキリしてしまった
② 僕が変わってしまった
以上二点を深堀ります。

① ストーリーにスッキリしてしまった

Qでは頭がハチャメチャになりました。
何もわからず、先が気になりました。

14年後?アダムス?ヴィレ?何があった?

スッキリする要素など何もなく、
シンジの行く末が気になりました。

でも今回は違います。
掘り下げるのが野暮に感じてしまったのです。

新しい槍が出てこようが、
新しい謎が生まれようが、
わからないことが残っていようが、

シンジが、みんなが幸せになれたからいいじゃないか
シンジが自分の意思で行動し、
みんなと分かり合えたのだからいいじゃないか
これ以上掘り下げるのは野暮ではないか
と思ってしまいました。

シン・エヴァの納得性の賜物です。

② 僕が変わってしまった

メインはこっちです。

小学生、中学生のときは
フィクションに逃げることが出来ました。

ただ素直に遊び、話し、喧嘩し、
友達が嫌になってもフィクションがありました。
フィクションに夢中になることで、
友だちも増えました。

でも10年が経ち、
大学生になり、社会に出ると、
そうも言ってはいれなくなりました。

友達ができ、彼女ができ、夢ができ、
成長が求められ、結果が求められます。
遊んでいるばかりではいられません。

どうやら小学生の僕に比べて、
大学生の僕は現実に夢中のようだ
と、このnoteを書いている途中で気づきました。

気づいた時は少し寂しかったですが、
悪くないとも感じました。

現実に夢中になり、夢を追え、
充実した生活を送ることが出来ている。

悪くないです。

歳を重ねて、
様々な環境と人に出会い、
現実に夢中になっている。
そこにエヴァが入り込む余地は無かった。

言うなれば、
「エヴァの呪縛からの解放」です。

そして、この感覚を味わった人は
僕以外にも多いのではないかと思います。
「友達」もそうでした。

僕は「エヴァの呪縛からの解放」を
ポジティブなことと捉えています。

なぜなら、シンジたちと同様、
前に進めている証だと思うからです。

エヴァ中心の世界で、
僕が生きることはこの先もう無いでしょう。

しかし、一種の娯楽として
アスカたちは僕の中に生き続けます。

エヴァが僕の少年時代を彩ってくれた事実に変わりはなく、
エヴァで出来た「繋がり」も現実です。

でも、一旦、エヴァとは「さよなら」かなと思います。
現実に辛くなったらまた戻ってくるかもしれません。
でもできるだけ、自分の意志で、前に進み続けたい
そう思っています。

深夜に書いているため、大分クサイですね。
すみませんでした。

さようなら、はまた会うためのおまじない。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

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