記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【読書感想文】『毎日世界が生きづらい』宮西真冬~表現の自由とは~

まず、この小説は非常に読みやすかった。
小説家志望の主婦と、ブラック企業で働く夫の話で、同じく作家志望の主婦である私は、妻の美景みかげにすっと感情移入できた。
しかも、序盤から明らかに発達障害(ADHD/ASD)の特性があるように描かれ、終盤で実際に発達障害と診断される。
体調を崩し、うつっぽくなった時期まで私と一緒(31歳)。
なんだ私の話か。

と思いきや、夫の雄大ゆうだいがなんかちょっと、モラハラ男っぽい。
なんせ勤務先がブラック企業なので、しんどいのは身に染みてわかるのだが、そのストレスを妻にぶつけるのは違うだろう。
八つ当たりする場面が数ヶ所出てきた。
これは私の夫とは違う。



とはいえ、雄大にもいいところがあるのだ。
美景が洗濯物を溜めに溜めて、雄大のパンツがなくなってしまったとき、雄大は怒るのだが(それなら少しでも家事を手伝ったらいい)、あとから機嫌を直して、パンツをまとめ買いしてくる。
たしかにこれなら洗濯物を溜めてもさして問題とならない。
美景の特性を見極めて、自分なりに解決策を実行してくれる面もあるのだ。

それでもちょっと美景に当たりが強く感じてしまうのは、私がどうしても自分に似ている美景に肩入れしてしまうことと、私の夫があまりにも寛容すぎるからだと思う……(いつも本当にありがとう……)。



最初の方で「美景が発達障害と診断される」と書いたが、このシーンに疑問を感じる。
WAIS-Ⅲという、実在のテストを美景は受けるのだが、なんとこのテストの内容を書いてしまっている。

テストの内容を知らしめることは、実はタブーなのだ(当事者でも知らない人が多い)。
なぜかというと、事前に内容を知っていると、対策ができてしまい、正しい結果が出ないから。
あくまで何も知らない、フラットな状態でテストを受ける必要があるのだ。
この場面を読んだとき、「おいおい、書いちゃってるよ!これからテストを受ける人が読んだらまずいぞ」と、かなりヒヤヒヤしてしまった。




しかし、小説はどこまでも自由だ。
この場面も、人物描写に必要な最低限の書き込みに抑えられているようにも感じた。
もしかしたら、作者は知ったうえで、どうしても削れない……と苦肉の策でこのシーンを書いたかもしれない。

そこで思い出したのが、「石に泳ぐ魚」訴訟だ。

この事件は、「石に泳ぐ魚」という柳美里の小説について、プライバシーの侵害と表現の自由をめぐって争われた裁判だ。

おそらく、「ある実在の人物をモデルとし、経歴、身体的特徴、家族関係等によって、その方と同定可能なキャラクターが全編にわたって登場する」ことが重く受け止められて、プライバシーの侵害と判断され、出版差し止めの判決が下ったものと解釈している。

「石に泳ぐ魚」の改稿版を昔読んだが、この作者特有の毒気というか、エグみが薄い気がしたのは、このせいかな、と感じた。

「石に泳ぐ魚」は、知っている人が読めば「あの人のことだな」と明らかにわかる形で書いてしまったのが原因で、「表現の自由」が認められなかったのであろう。
たしかに、それで本人が書かれたくないことまで書いていれば、「プライバシーの侵害」とされるのは合点がいく。

余談だが、私は中学のころ柳美里に傾倒しており、数々の著書を読み漁った。
好きな作家のひとりだ。




話が逸れたが、『毎日世界が生きづらい』の当該の描写は、あくまで「表現の自由」の範疇に収まるものではないか、と感じている。
先述のように、おそらく意図的に、必要最低限の描写にとどめられている。

だからこれを読んだ人で、テストを受ける予定のある人は、ぜひ内容を忘れてほしい。笑
事前情報なしで受けるのが前提のテストだから。




もうひとつ、モヤモヤしたのは、美景がちょっと空気の読めない人物に書かれていて、おそらくASD特性もあるのだが、「ASD」という単語がこの小説に一切登場しないところだ。
ASDとは、正式名称を「自閉スペクトラム症」といい、簡単に言うとアスペルガーだ。
ADHDの特性がある人の多くはASDも併発している(たくさんの当事者に会った体感だが、統計的にも間違っていないようだ)。

私も併発タイプなのだが(ASDの方が強め)、「ASDってやっぱり知名度ないのかな?作者も知らないのかな?」と、少し残念な気持ちになってしまった。
でも、私と違って美景は、人の表情がある程度読めるようなので、もしかしたらADHD単体なのかもしれない。
付き合いの長い夫相手だから読めただけだろうか。
それは作者のみぞ知る。




希望を感じさせるようなラストだが、少し描写が物足りなく感じた。淡白というか。
だが、あれ以上詳しく書き込んでも野暮なのかも?
三島由紀夫の『金閣寺』だって、ラストはあっけなかった気がするし。
往々にして、名作はさらっと終わる、のかもしれない。



最後になるが、地の文が三人称で、章ごとに視点を妻⇔夫と交互に切り替える手法が面白いと思った。
私もいつか、真似してみたい。







この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?