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父には、怖くて、渡せない。

毎晩、ひとんちのかぞくを宣伝して、シェアして、届けて、発送して。
感想が届くと、本当に嬉しくて、
みんな優しいからさ。しっかり読んでくれて、しっかり感想を持ってくれて、更にはそれをSNSでシェアしてくれる。
本当に、ありがたい話です。ありがとう。

本が出来上がった日。
段ボール箱を開けて、まずは夫に、そして長女に一冊ずつ渡した。
みんなすぐに読み始めて、長女は小3だからわからない漢字があったけど、その都度調べたり、きいたりして読み進めて
「ママの本だねぇ!面白いねぇ!」
と抱きしめてくれた。ありがとう。

で、すぐに妹にも届けた。
実は本を作ってることは、夫以外の家族には話してなかったから、サプライズだ!
妹は、私がやっている、
全てのことに賛成してくれて、
全てのことに協力的で、
全てのことを応援してくれる、良き理解者だから、
絶対に喜んでくれるし、たくさん褒めてくれるということが、渡す前からわかってた。

本が届いたその日に、車を走らせて、
出来立てほやほやの“ひとんちのかぞく”を妹の家に持って行くと、
感激しながら
“すごいね!よく頑張ったねー!”と褒めてくれる9歳年下の妹は、本当にかけがえのない存在だ。

もし、この世の全ての人が私のことを悪人だと言ったとしても、
妹だけは“そんなことないと思う”って言ってくれる気がしてる。
“だって、私のお姉ちゃんは、本当にすごいんだよ!”って。妹なら言うだろうな。
“みんながわかんなくてもいいよ。大丈夫だよ”って。
そういう子なのだ、妹は。
何度も何度も支えてもらってるけど、私は彼女を支えることができているかな?

母の反応はアッサリしたもので、
いやこれは、本人に言わせると“そんなことない!”と言われそうだけど、
私が期待する反応の25%くらいの反応なのだ。それが母だし、想定内の反応に安心感すら覚える。
それでも、しっかりと読んで、感想をくれた。
それが私の母のやり方だということを、私はよく知っている。

問題は父だ。
実は、父にはまだ渡せていなくて、どうするべきか考えてる。

さっき、友人から、ひとんちのかぞく読んだよーと、感想が届いて、何度かLINEのやり取りをした。
「実は父には怖くてまだ、渡せてないんだよね」
ということを伝えると、彼女は
「なんで怖いのかな?読んだけどどの家族も優しく描かれていて、否定されるようなことはなさそうだよね?」
と返事をくれた。
確かに、と思う。

なんで怖いんだろう?
彼女がいう通り、本の中で、父のことは、妹が生まれた時のエピソードなど、柔らかなエピソードを収録したつもりだ。
それに、この本は、父に対して、
「私はこういう気持ちでいたんだ」という思いを込めて、書き進めていたところもあるのに。

なぜ、今更怖いのか。

わたし、気づいちゃったんだ。

多分ね。心の奥底で、
“興味を持たれなかったら悲しいな”と思っているからだ。

こんなに想いを込めて書いたのに、
父からなんの反応も貰えなかったらどうしよう、って。思っているのだ、多分。


父とは、もう何年も離れて暮らしていて、
彼の私生活を私はほぼ知らない。
幸せに暮らしているのか、そうじゃないのか。
楽しいことはあるのか、趣味はなんなのか。
実は何も知らない。
私のラジオを聴いたことはあるのか、
それをどう思っているのか。
聞いたこともないし、言われたこともない。

いつも、何か質問したところで
「へっへっへ」
とはぐらかし、彼の本音に辿り着かない。

私は38歳の大人になって、夫の妻になって、娘たちのお母さんにまでなったけど、

それより前からお父さんの娘だし、
お父さんのことを思って書いたから
もしかしたら、
この本のことを、
「あやかぁ、よく頑張ったねぇ〜」と、
褒めて欲しいと思ってるのかもしれないなぁ、と。
気づいてしまったんだ。

ゲゲゲだよ。本当。

そして、当然ながら、そんな言葉が、向けられることがないこともわかってて、

「本作ったんだよね」と、つっけんどんに渡してしまう私に対して
父は
「へっへっへ」
としか言われないであろうことを、
心の奥底で、
“悲しい”と感じてるのかもしれないなぁということに気がついてしまったのだ。

情けないけれど。
きっとこれが答えだ。

いつのまにか、
私は大人になったし、父はおじいちゃんになった。
38歳も68歳も世の中的にはまだまだ若いらしいけど、れっきとした中年女性と高齢者だ。
今更、褒めたり褒められたりしなくても、
もういいではないか。

それに、
「あやか、よく頑張ったね」という言葉は
父がくれなくても、
夫や娘や妹がたくさんくれる。
本が届いた友人や、きっと、リスナーさんもくれるだろう。

みんながたくさんくれるのに、
未だに父からその言葉をかけてもらいたい私は、

永遠に、父の娘だということを、思わざるを得ない。

中年になろうが、高齢者になろうが、
シコリはシコリのまま、
彼は私の父であり、
私は父の娘なのだ。

一輪車に初めて乗れた時のことを思い出す!
「あやかぁ!メンチョコちゃんだねぇ!できたねぇー!」
と、クシャクシャの笑顔で私を褒めた。

ある日、プレゼントを買って帰ってきた日のことも思い出す。
「へっへっへ。いいもの買ってきたよ〜」
父の笑い方は、昔から変わらない。

冷たい人でもドライな人でもない。
それどころか、かなり湿度の高い人間だから、
いつでも私のことを可愛がって、褒めてくれた。
私はそれをきっと、ずっと、浴びていたかったのだ。


ひとんちのかぞくは、一冊の本になって、
綺麗な話みたいになったけど、
あれはフィクションじゃないからさ。
だから、いま現在も“ひとんちのかぞくの話”は続いてて、
未だに乗り越えられない壁もある。
これこそ、リアルって感じがする。


いつか父に渡そうと思う。
ちゃんと、元気なうちに。いつか、渡す。

その時までに、私はきっと色々と、
大丈夫になっているはずだ。

だって、そのために、書いたんだから。
こうやって、書いているから。

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