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おばあちゃんはレインボー年子。

一番最初に
“いい声だね”と褒めてくれたのは、父方のおばあちゃんでした。
“あやちゃん、いい声だね。アナウンサーさんか、声優さんになるといいね”
“あやちゃんの歌声が聴きたいわぁ”

その度に、少し嬉しく、少し恥ずかしく、でも、
“そうなのかもしれない…!わたしはいい声なのかもしれない!”
と、自惚れたりもしたのでした。


昭和9年生まれの現在89歳。
私が小さい頃におじいちゃんが亡くなって、
おばあちゃんは長い間1人で暮らしていました。
明るくて、手先がとても器用で、小柄でパワフルな女性で、
毛糸でマフラーやポーチを作ってくれたり、
フェルトで、お人形を作ってくれたりしました。
衣料品や小物に関してはプロ顔負けの、本当に素敵なアイテムを作ってくれるのに、
人形とか、人形のお洋服とかになると、
急にオリジナリティを出してきて、
ツノのないドキンちゃんや、
首元が極端に詰まってるお洋服などを作り出して、笑わせました(本人は本気)

ここまで書いて、
あーおばあちゃん亡くなった話かな?と思ってる方。
安心してください!おばあちゃんは健在です。札幌に住んでます。

続けますね。

わたしの小さい頃、NHKの朝ドラで、
“ふたりっこ”が大ブームになりました。
内容は忘れたけど双子の物語。
確か、どっちかが、女流棋士になるんだよね。

ふたりっこを盛り上げてくれるキーパーソンとして忘れてはならないのが
“オーロラ照子”
演歌歌手で、河合美智子さんが演じられてました。
彼女が歌った夫婦みちは、大ヒット!カラオケで、歌番組で、よく耳にしたのを覚えてます。

で。
どんな流れで、なぜそうなったのか。

子供だったからわかってないのだけど、
私のおばあちゃん、鈴木年子さんは、
夫婦みちが大ヒットした、この年、

“レインボー年子”
という名前で活動を始めます。笑。

レインボー年子ってすごいね。
今まで耳ヅラでしか聴いたことなかったけど、文字面にすると結構パンチあるね笑。
レインボー年子🌈
歌も好き、人前に出ることも好き、楽しいこと大好き!そんなレインボー年子は、老人ホームで慰問コンサートなどして盛り上げたそうな。。。

当時私は11歳。大人が話す親戚の話の中で最も輝かしく、笑える存在、それがおばあちゃんでした。

だけど、当時私はミニバスで忙しかったし、勉強もあったし、お友達とも遊びたかったし。
おばあちゃんは砂川に住んでいたので、年に2回くらいしか会わなかったなぁ。

きっともっと細かく話を聞いたらレインボー年子のおもしろ話はあったことでしょう。

さて、余談ですが、私は完全に、レインボー年子の血を引いてると思います。
父は明るい人だけど、人前で何かするというタイプではないし。
母は真面目で人前に立つと足が震え汗が止まらないタイプです。
人前に出て歌を歌いたい!と思ったわたしのおばあちゃん!
なんでもやりたがる精神、なんでも楽しもう精神は、おばあちゃんに教わったし、
おばあちゃんの血をたっぷりと受け継ぎ、今の私があります。


ですが、いつからか、会わなくなっちゃった。
前もチラッと書いた両親の離婚。
これは、キッカケとして大きかった。
父はとにかく自由な人なので、離婚した後は、距離はどんどん開き、
おばあちゃんとも会うことがなくなってしまいました。

色々、本当に、色々なことがあり、
年に二回会ってたのが一回になり、
2年に一回になりました。
そのうちに、コロナ禍になり、全く会えなくなり、
いつのまにかおばあちゃんは、札幌に引っ越してきていたのに、
おばあちゃんが入居してる施設のルールで会うことができずたまに電話をするくらいに。

でも、たまに電話をするときには、
あの明るいおばあちゃんで、もう、爆裂トークが止まらない!
やれ、麻雀仲間と遊んでるだの、
お友達の裾上げの依頼がたくさんきてるだの、
同窓会に行っただの。

札幌に引っ越してきて、知らない人ばかりいる中でも、すぐにお友達を作り、すぐにミシンで困ってる人の何かを作ったり縫ったりして暮らしてる!そんな知らせを聞いて、
素敵!さすがおばあちゃんだね!

と思ったのはもう去年の話だったようです。

忙しいのってよくないよね。
自分のことや子供のことで手一杯の生活を送っていて、おばあちゃんに連絡する余裕なんてなかったんだね。

こないだ久々におばあちゃんから電話が来て喜んで電話に出ました。
もしもし?おばあちゃん?
と聞くも、返事がありません。
「あ、あ…」
と言いながら、ゆっくり、ゆっくり、話し始めました。
話を聞くも、おばあちゃんは、今日が何日で、今誰と電話してるかも、時折忘れてしまっているようでした。
爆裂トークというには程遠く、
言葉に詰まり、詰まりながらも、言葉を紡ごうとして、別の話になってしまう、電話先のおばあちゃんは、
もう、当然だけど、レインボー年子じゃなくて、89歳の年子さんなのでした。

“会いたいねぇ、会いたいねぇ”
というから、
もう、施設のルールは、人と会っても良いのか聞いたら
それもあやふやで、
オッケーオッケー。お父さんに聞いておくから、絶対会おうね!
と、約束して電話を切りました。

泣けちゃったな。
私にとっての、あっという間の一年は、
おばあちゃんにとって、長い長い一年で、
ゆっくりと時間をかけて、
私のことや、私の娘のことも忘れているようでした。

たまぁにテレビで見る、
どう見ても60代にしか見えない、元気すぎる90歳のおばあちゃん。みたいな方いますよね。
私にとってのおばあちゃんは、そういうおばあちゃんで、
そんな風に勝手に頭の中で、元気に自由に生きていると、思い込んでる馬鹿な孫でした。

これを書いてる今も涙が止まらないんだ。

だって、おばあちゃんが、
「あやちゃんの声がいいね」
って言ってくれたから、
今、声の仕事をしてる私がいるのに。
そんなことすっかり忘れて、まるで自分の実力とか運とか努力とか、そういうもので、今があると勘違いするところだった。馬鹿だなぁ、わたしは。

ラジオを始めた頃に、
カセットテープに録音して、おんなじ番組何回も聴いていたな〜。
「あやちゃんは、ぜーったい、アナウンサーさんになると思ってた!!」
と言って、喜んでた。
おばあちゃん、アナウンサーじゃなくてラジオパーソナリティなんだけど、
まぁ、いいよね。おばあちゃんにとっては、嬉しかったかな?

さて、近日中におばあちゃんに会ってきます。
本当に久しぶり!コロナ禍に、窓越しに手を振った以来だから、
それでも2年ぶりとか?3年ぶりかも!

私が誰で、今が何日かはどうでもよくて、
一緒にいることを楽しんでこようと思っています。

どんなに探しても、あるはずのおばあちゃんの写真が見つからなかった。会った時に一緒に撮ろう。

北海道で子育てしながらラジオパーソナリティをしている鈴木彩可です。子育ての話や、最近始めたカメラの話など綴ってます。
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