掘り起こした宝物よりも、土を積み上げ続ける人々
誰かをずっと探していた
誰かをずっと待っていた
誰かの言葉を、あたたかさを求めていた
でも本当は、誰でもなく自分を見つけて欲しかったんだ。
わたしはわたしを見て欲しかった。
誰かにかけられたい言葉は、わたしがわたしにかけてあげてほしい言葉だった。
そうなのか、わたしはわたしを愛してほしかったんだ。
埋まらない空白がいつもある。
さみしさに似た、孤独に似た、悲しみに似たなにか。
それはきっと誰かが埋めてくれるものだと思い、
自分といつか生き別れた分身みたいな存在を探し続け、そして誰にも見えない孤独の中に生き続けていた。
”誰かが“いるはず
“誰かが”いつか
そうやって他人に答えを求め、
いつも自分を置いてきぼりにしてきたように思う。
いつも変わらずそばにいるのは自分自身だったのに。
無償で無条件に。
ほんとうは自分が自分に向かって言ってあげたいこと、それを誰かに言ってもらうことで鏡の反射のように自分に言ってあげようとしてたのかもしれない。
素敵だね、特別だね、才能があるね、
そのままでいい、ありのままが好き
きっと誰かから言われているだけではいつまでも空しいままだろう。
自分自身が腹の底から自分をそんなふうに愛せていない限りは、どうしたって。
自分自身がその言葉をかけてあげられないとき、それを自分では心からまだ思えていないから。
いや、そうじゃなくてきっと
まだ少し、無条件に信じることに慣れていないのかもしれない。
自分に欠けた部分を補ってもらっているとき、きっとほんとうの意味で満足できていない。
自分の中の空白は他人には埋められない。
自分を愛していない人が誰かに愛していると言うとき、それは欠けた部分を相手を通して埋めようとする行為なのかもしれない。
誰かを愛することで、自分を愛したい。
誰かといるということの本当の意味は穴を埋めるためなんじゃなく、プラスに足されていくためではないだろうか。
人は探しものが得意だ。
いつも見えないなにかを探し求めているように感じる。
でも探し物を探し当てたら?
これってほんとうに探してたもの?
そもそもなにを探していたんだっけ?
いつのまにか探すことに夢中になって、見つけた宝もののことは忘れてしまう。
はじめから全てはここにあった。
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