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検索できない・うっとりさ

先日のエンタメブートキャンプ(私が参加しているオンラインサロンです。楽しいのでエンタメ系の方是非)で、現在ネット上に転がっているYoutubeやラジオなど、とにかく諸諸の音源たちは、それを自動テキスト化するAIによって(もう出てきているそう)、その音の中の言葉についてもいずれ検索できるようになる、という話を聞いた。
これは何というかすごいですね。文字起こしというあの大変な作業はきっと近いうちになくなるのは勿論だけど(大学の時テレビ局のADさんのアシスタント的なバイトで収録内容を彼らの上司に報告するためだけに一言一句「あー」とか「えー」とかも含めて文字起こしするというのを何度かやった。そのテキストを見た上でここカットしようとか決めるんだと思う。それだけのために大学生の私にバイト代を払っていると思うと凄いそんなに必要なものだったのかしらん。オフィス椅子を連結させて寝たり手洗い場にシャンプー常備していたあのADさんたちは無事ディレクターになれたのだろうか。)、それよりも「あの音源で誰が何と言っていた」みたいなものを一生懸命写経みたいに書き起こしていた時代があったよね。

例えば、バンド・NUMBER GIRLの解散音源は今のところ自分の葬式で爆音で流して欲しいランキング第一位(と思ったけど宇多田ヒカルも流したいから自分の葬式プレイリストを作る必要あり嗚呼これは余談)ですが、バンドが散るラスト2曲の前にギダボの向井秀徳さんによる(彼にしてはほぼ有り得ない長さの)素晴らしいMCがあるのです。MCからのOMOIDE IN MY HEADまで絶対聴いて…この演奏何度聴いても不思議なのですが1番が終わって2番の頭「朝日は未だ白く眩しくて」と入るところで「エッまだ半分!?!?!?」て毎回毎回なる、全部で5分もないのに耐えきれないほど内容が濃い演奏なのだと思う↓

私は解散後にこれを聴き込むことになったので、このMCも何度も何度も聴いた訳です。身体にTATOOで刺れてもいいかなって位。前提として学生時代の私は所謂歌詞厨で、歌詞が理解できない(それはアーティストに対して失礼にあたる)という理由で全く洋楽を聴けなかった人間だったので(最近無知識でフジロックに行ったら思っていたより楽しめたのでそのこだわりは最近やっと薄れている)、好きな歌詞をカットアップしたノートとかを作って、デザインの可愛い歌詞カードとかはカラーコピーしてそのノートに貼ったり(向井さんの手書きの世界観は最高)、歌詞や曲名を抜粋してブログの件名にしたり(自分の代弁のつもりだったんだよね)、そういう感じだった。つまり当時から歌詞情報は歌詞カードやネットに転がっていて、それをガン見し続けること・文字を通してガン読むことは出来たけど、MCをそれこそ一言一句記載しているオフィシャル媒体はなかった(というかそんなものは今現在もない・でも動画にテロップ入る率は上がったかもね)。
でも上の動画のように兎に角MCがかなりスンばらしいので、向井さんがここで何て言っているんだ?と、ファンたちは聴いては止めて聴いては止めてを繰り返して解析的に写経していたのです。皆2chとか個人のブログとかにそれを書いてた。自分がグッと来るところを太字とか斜体にしたり、向井さんの独特な間の取り方全てに読点をあてがったり。それがめちゃくちゃ愛に溢れてエモかったなあと。向井さんがMC中に名を挙げているバンドを必死でチェックしたり。(というか私はナンバガに限らず多分ライブ音源が好きなのだなあ・歓声とかも入っていて。最近はよく三浦大知の去年のライブ音源を聴いている煽ってくれるし最高最高・ライブによって身体が汗だくになったり疲弊したりした時に一番自分の生をゴリゴリ感じるis間違いないと確信している年頃があって、その体験が強烈すぎて今もイベントに関わる仕事をしている・現場的な空気が好きなのだと思う。)

すぐ話が逸れるけど、そのうち自動でテキスト化してくれるAIが登場したら、ああいう愛のある写経をする必要もなくなるんだろうなと想像しつつ、そういえば今でも歌詞はググれてもコピペできないあの仕様のことを思い出し、なんだかうっとりした気持ちになった(著作権的な理由なのは分かりつつ&めっちゃコピペしたいマジ怒という瞬間はあるものの、何というかあのちゃんと世界を守っている感・あの仕様、しようとしても出来る余地のない感じにうっとり)。
そしてそこから画像上の文字を解析しちゃうぜ的AIもそのうち出来るのかな?と思った(もしかしてもうある、、?)
というのも私は紙をハサミで切って糊で貼ってコラージュを作ったり、黒い紙に修正液で文字を書いたりするのが好きです(これからそれをもうちょっと増やしていけたらと思っている・何か依頼いただけたらめちゃ作りまくります🙇)。

この位の謎フォントなら、AIもなかなか追いつけないかな?
例えば最後の画像には「ByebyeMymyとはなのstarコラさっさと」と書いてあるのですが、このテキストを検索してこの画像に辿り着くみたいな未来って近い将来にあるのだろうか・暫くはないのだろうか。

普段やっているイベント的な仕事(これについてもまた書きます)について、以前父親に「お前がやっているのはロボットができない仕事だな」と言われたことがあるんだけど、この画像たちもなんなくできるだけ、検索できないうっとりさをAI技術との追っかけっこ上でkeepしてほしいなと思う。それは便利だとか速攻だとかそういう風に加速していくであろう世界とは逆行する発想なのだけれど(というかこのコラージュや文字を書く工程がすでにアナログすぎる・イラレフォトショが使えないのです単純に…)、そういう今とは違う、超便利の前の世界を生きていた記憶が(よりによって強烈鮮明に)あるからなのか、ちょっとその不便さに対して、可愛いやん・仕方ねえなあと思える・思いたいような自分がいる気がする。

等々のことを↓これを聴きながら考えた次第です。


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