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【毎日noteが苦しい方へ】連続投稿150日|noteを1年間続けた私があなたに伝えたいこと

綺麗道です。

しばらくnoteの話題を書いていなかったのですが、150日間連続投稿の節目を迎えたということで思うところを書いてみたいと思います。

この綺麗道noteは只今

noteをはじめて1年
連続投稿152日目
総数約360記事
フォロワー数459人
(10/23現在)

になります。


ここまで続けてきて、楽しいだけじゃなくて苦しんだこともありました。

今日は、正直に今のnoteに対する想いを書いてみようと思います。


今回はいつもと毛色が違います。

かなり長くなりますし、一部重い話ですので、興味のない方は読まないほうがいいかもしれません。
あなたの大切なお時間を無駄にはしたくありませんから。

興味のある方だけどうぞお進みください。


noteを続けていて苦しくなったことはありませんか

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noteに関する記事を書くとアクセスがいつもより増えます。

それだけ皆さんnoteとの付き合い方に興味があるということですよね。

周りの人のnote進捗状況に興味があるという人も多い。


そして、中にはnoteを続けることに対して何かしら不安や心配があって、この記事に目を止めてくださったという方もいらっしゃるでしょう。

今これを読んでくださっているということは、もしかしたら何かお悩みを抱えているかもしれませんね。

noteに対し、お悩みを抱えている人は多いと聞きますから。


ところで、私は何者でもありません。

ですが、何者でもない私だからこそ、私の歩みが何かしらあなたにとって参考になるかもしれない。

そう思って今日は書きたいと思います。

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最近どんどん利用者も増えているnote。

ご自身でnoteを書かれていらっしゃる方は、何かしらの目的があって書いていることと思います。

◇とりあえずやってみた
◇自分の伝えたいことを書くために
◇マネタイズしたいと思って
◇人とつながりたいから
◇自分を知りたいから
◇ご自分のビジネスとつなげたいと思ったから
◇自分に挑戦したかった

他にもいろいろ、人それぞれ始めたきっかけや目的は違うと思います。


自分のペースでいい
自分の書きたいことを何でも書いていい


【自由な場】がこのnoteの世界。


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のはずなのに、

「連続投稿〇日目です」
「月間PV数〇突破しました」
「フォロワー〇人増えました」

という文字を読むと
なんだか妙に

心が苦しくなったりしませんか?


そこを目指していたわけじゃなかったはずなのに、そういう記事が目に付くたび・・・

なんだか無意識に自分と比べてしまう。


「私は気にしてないよ」

と表面では思っていても
心の中では気にしている。


かくいう私がそうでした。

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noteの進捗を書いた記事。
これが直近のnote記事になります。

9月に10万PV達成した記録。

この記事で伝えたかったのは

「数字を見るんじゃなくて、自分の目的を見よう」
ということでした。


けれど、
今読んでみて苦笑いしたのが、

「一番数字を気にしているのが、書いている私自身だった」こと。


言葉では

「数字を見ないで何を伝えたいかが大事だ」

なんて言っているんですが、実際には数字にへこみ、怯えていた。


だから
自分に喝を入れたくてこの言葉を書いた。


それがこの記事を読んでわかります。今だからこそ。

どこかで無意識に囚われている。


本来は自由が広がっている世界なのに。

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これまでの記事投稿数を公開します

ファスティングの素晴らしさに気付き、ファスティングの素晴らしさを伝えようというのがnoteを始めたきっかけ。

伝えたいことがあるから、誰にも読んでもらえないけどただ書きたいことを書いていました。
始めなんて月に4記事。少なっ。

そしてある日からスイッチが入り、記事数が増えていきます。


薬膳から始まり、食、畑、地元愛、体のこと・・・
自分の興味がどんどん記事として形になっていった。


その様子がわかるのがこちら。
これまでの記事投稿数一覧です。

(上が2020年)

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2019年9月~12月までかなり少ない記事数です。
月に4~13記事って。ねえ?

気が向いたときに書く。
そんなペースでした。


もちろんそれでは人の目に触れることもほぼなく、始めはほぼ自分だけの「おひとりアカウント」でした。

ダッシュボードの存在も知らず、のんきに過ごしていたのは懐かしい思い出です。

その後、投稿数が増えていき、1月からは30記事越えを連発。

2月から読んでくださる方が少しずつ増え、文章も今の形に近づいてきます。


200記事を越えると壊れる

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まことしやかにささやかれている噂。

「noteで200記事を書くと人は壊れる」という。


それって本当なんでしょうか。

と振り返ってみると、明らかにその事実を裏付けるような記事がありました。

それは・・・
大腸内視鏡物語」

この作品は私の殻を打ち破るきっかけとなった伝説の記事。(少し盛っていますが)

2020年6月。
おおよそ200記事目くらいに書いたものです。


これまで単なる(ずぼらでちょっと変わった)アラフォーママを気取っていた私が、恥ずかしい、本当は隠しておきたかった、そんな話を暴露したものでした。

「いきなりのハードボイルド調に驚きました」という声が各地で続出したものです。

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えぇ、そうです。
ここから私は変わりました。


それまで隠していたものを皆様にご披露した結果、何を出しても恥ずかしくない境地へと足を踏み入れたのです。

気持ち的には「ヌードを披露」したようなもの。
いつも読んでくださっているあなたには裸を見せても恥ずかしくないくらいの気持ちです。

隠すものは何もないのだ。

(裸が見るに堪えるものかどうかは置いといて)

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「こんな記事書いておかしいと思われるかな?」

一応、投稿する前には少し迷いがありました。

けれど出してみたら、皆さん温かく受け取ってくださったではありませんか。

「こんな私でもいいんだ」

自分自身でも自分を受け入れることができた。



「noteで書く」
ことで
「自分という人間をさらけ出す」


もちろんはじめは怖かった。

ですが、少しずつ出していって、
これは?と思うものも出してみて、

それでも
皆さんに受け入れてもらえた
という事実。
(もちろん全員じゃないでしょうけど)


これが私に光をくれた。


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そこからです。
「noteが心から楽しい」と思えるようになったのは。


「今日は何を書こうかな?」

これが私の毎日にワクワクをくれた。


私から何が出てくるのかにワクワクしていた。


何を書いてもいいんだから、楽しくて仕方ない。

そんな時期でした。



noteはSNSであるということ


ちょうど、記事数が増えたころ。
今も良くしてくださるフォロワーさんからコメントがついたりするようになりました。


私が書いた記事を読んで、誰かが反応してくれる。


これは本当に嬉しいものです。

コメントを通じて人とのつながりがあったから、よりnoteを楽しめるようになりました。

コメント欄で爆笑したり、あっちの部屋でも交流したり。


顔は知らない。
会ったこともない。
声も知らない。


でもその「人」は確かに存在している。

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noteの中には確実に
”もうひとつの世界”が存在していた。


「noteはSNSである」
本当にそうだなと思った。

画面のその先には人がいたから。

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ただ文章を書き綴るだけでなくて、

それがきっかけで誰かとつながり、
誰かと共有して、
誰かと喜んだり、笑ったり、
悲しんだり、励ましあったり。


人は皆つながりを求めている時代だから。
ぬくもりを求めているから。


noteはそんな私たちを受け入れて、温めてくれる。


そんな広い懐がnoteにはあった。


noteという大きな海に抱かれて、
私は新たな世界の住人として
居場所をもらった。


私はnoteの世界の中に存在している。

それが私の支えになっていた。


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書いていて楽しい。
だから自然に毎日投稿するようになっていた。

毎日投稿が始まったのは5月中旬から。

それから5ヶ月間毎日投稿は続いている。


書くことが苦しくなる

そんな楽しい時期はいつまでも続かなかった。

いつからだろう。
自分のダッシュボードとフォロワーさんの数を眺めるようになったのは。


ふと周りを見ると、私なんかより格段にフォロワーの数が多い人ばかり。
いつの間にか私の数倍のフォロワーさんがいたり。

毎日投稿なんてしていなくても、だ。


私は毎日記事をあげ、ただただ愚直に書き続けた。

でも書く「だけ」だった。


「いくらいい記事を書いても、読んでもらえるわけでなはい」


ここで「noteはSNSである」ことが私の首を絞めることになった。

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私は来てくださった方にはもちろんスキをしたり、コメントを返したりはしていた。フォローした方の記事には遊びにいった。


しかし、
自分からは外に出ていかなかった。

自分の家の中だけで
ぬくぬく過ごしていたんだ。

それでは
新しい人なんか来てくれるわけはない。


それなら
他の人のところに飛び出していけばいい。

それはそうなんだ。

けれど、この頃には人の記事を読みに行く余裕とか、気になる記事を探すなんてことをする時間的余裕がなかった。

フォローしている人の記事をどうにか読みにいくのが精いっぱいだった。



「編集部のおすすめ記事」にあがるラッキーパンチなんて一度もない。
バズったことなんて一度もない。

ただ記事数だけが積み上がる。

それと全く比例しない
フォロワーの数。

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数字じゃない。


それはわかってる。

だけど、どこかで欲が出てきて、

「こんなに頑張っているんだから誰か見てくれるはず」

今思うと傲慢だった。



私は向いていないのではないか
私は本当はここに文章を書いていい人ではないのではないか
私は魅力がないのではないか
私はできない人間なのではないか


勝手に自分のマイナスに目を向ける。



単なる素人のくせに、自分という存在をnoteの中に求めようとしていた。
執筆家にでもなったつもりか。


はじめは自分が伝えたいことを書くため。
そして楽しいから書く。

だったのに、目的を見失い始めていた。



そこからさらに自分を追い込む出来事が起こる。


人からの期待

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参加しているコミュニティーの中で「綺麗道さんのnoteが面白い」なんて紹介された。

ビジネス歴も長く、これまでに多くの人を見てきた人が言う言葉だから嬉しい。


はずなんだけど、それが逆に負担になった。


「綺麗道さんがすごい」

「今、連続〇日だって」

時々そんな話が出た。



ただ自分の好きなことを好きな風に書いてきたnoteだった。
ただ書くのが楽しくて自然と連続投稿するようになっただけだった。

すごいなんて思ったこともない。


けれど、
人の目が気になるようになった。


ちゃんとした記事を書かないといけない
所詮こんなもんかと思われたくない
おかしな記事を書くわけにはいかない


すごくない人がすごい人を演じなくてはならない。

どうやってすごくなればいいのかわからない。

背伸びして、
背伸びしようとして、
でもどこに向かえばいいかわからない。


結果、
自由ではいられなくなった。


どんどん小さな箱の中に閉じこもり、
その狭い箱の中で必死にもがいて
記事を書くようになった。

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小さなフィールドからはみ出ないように、
縮こまって、
冒険もせず、

”そこそこ”の
決まりきったような記事を書き続けた。


「書きたいもの」はあった。

けれど
ちょうど毎日が
多忙の渦に巻き込まれるようになっていた。


「1日の縛られた時間内で書けないから」
と、書きたいものを諦めるようになった。



自分の文章がすごいとは全く思わない。
なのに、すごいと言われる。

でも自分の思う通りには書けない。


書く「時間」も「エネルギー」も
次第に失われていった。


プレッシャーは肩に重くのしかかる。

なのに
書きたいものを書けないストレスが私を蝕んでいく。

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そして

書くことが楽しくなくなった。


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でも
連続投稿の手は止められない。


なぜなら、
「毎日書く」ことだけが唯一の私の価値
だと思っていたから。


「すごい文章を書けない私」
に残った私の価値は
「毎日書く」ことしかなかったから。

連続投稿が義務みたいなものに変わっていた。



「時間をかけてゆっくり書けば、きっとそれなりのものが書けるんじゃない?」

「毎日投稿をやめて数日間かけて丁寧に書けばいいんじゃない?」

「つぶやきとか写真にすればいいんじゃない?」



日常が忙しく日中は執筆に当てられない。
朝の限られた時間内で記事を書く。

恥ずかしくない程度の
そこそこの記事をなんとかやりくりする。

逃げと思われるのも嫌だったから、
「つぶやき」はしない。


今思うと何をそんなにこだわっていたのか。


だけど視野が極端に狭まっていたんだ。

あのときは必死だったんだ。


ーーーーーーー


「毎日そこそこの記事を書く」
というアイデンティティが手放せない私。

自信のなさがそうさせた。


毎日書くことで自分の価値を保とうとした。

できないやつと思われたくなかった。



そして、
自分の中で満足のいかない投稿が続く。

「こんな記事ではせっかく読んでくださるフォロワーさんに失礼だ」

「本当は他に伝えたいことがあったはずなのに」


自分を責めた。


責め続けた。


苦しかった。

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こんな状態だからPV数は伸び悩み、以前より少なくなっていった。

当たり前だ。
記事に想いが「ノッテいない」んだから。

いつも似たような記事ばかりなんだから。



私を支えてくれたもの

苦しい日々。
だけど、私を支えてくれたものがあった。

それはフォロワーさんの存在。


幸い私には毎日のようにコメントを下さる方々がいてくれた。

それが本当に支えになった。

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自信を失い、落ち込みそうになっても、

温かいコメントがあるおかげで、
私の駄作も浮かばれる気がした。


どんな記事でも読んでくれる人がいる。

ダメな自分が書くnoteでも読んでくれる人がいる。


コメントの力を感じた。


思い起こせば、はじめたばかりの頃。
ひとりぼっちで書いてきたnoteに初めてコメントがついたとき。

どれだけ嬉しかったか。

たった一言のコメント。


でも、そのおかげで
急に世界がぱっと明るくなったじゃないか。

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スキももちろん嬉しいんだ。

けれど、コメントはもっと嬉しかった。

画面の向こうで息をしている人が、私に話しかけてきてくれた。



noteの中でつながった気がした。


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苦しくなったある日のこと。

自分のnoteにいるのが苦しくなって
どこかに救いを求めた。

なんとなく
フォローしている人の記事を眺めた。

素敵な記事だったので
ふとコメントをしてみた。


その方からのコメントの返信。

「私はいつも
綺麗道さんの記事を読んで
元気をもらい暖めてもらっています。
これからも記事楽しみしています。」


どこまでも温かかった。


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私の小さな世界に閉じこもって、
勝手に自分で自分を苦しめて、
悲劇のヒロインを気取っていた。

完全なひとり芝居。

自作自演。

阿呆の極み。

ちょっと外に顔を出してみたら、
そこには温かい世界が広がっていたんだ。


手放すこと

本当はもっとやりたいことがあった。

このnoteという世界でもっとやってみたいこと、表現してみたいことがあったはずなんだ。

忙しさのせいにして、
本当にやりたいことができなかった。

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私なりに頑張って歩んできた歴史が刻まれているnote。
私と共に歩んできたnote。
私の中の知らなかった私を見つけてくれたnote。

1年間の私の分身。

たった1年かもしれない。
でも濃厚な1年。


でもこのままいったら、
全て失われてしまうんじゃないか。

全てが無駄になってしまうんじゃないか。


私は
ここまで積み上げてきた

”私のnote”をここで諦めたくない。




そして決めた。

”手放す”ことを。


私の日常を圧迫していたもの。

ずっと肩にのしかかっていた黒い影を。

無理にでもしがみついていないと置いていかれるから、必死に食らいついていたことがあったんだ。


でも

それを手放すことに決めた。



自分ではない何者かになろうとして、
すごい自分になろうとする日々。


でも

そんな日々を手放すことにした。



等身大の自分が書くnote。

それでいいじゃない。



そうしたら

軽くなった。


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「noteで今度は何しよう?」

あれ?
前のワクワクが戻ってきたかも。



またnoteが書けるかもしれない。

あのときの気持ちで。


noteには”自由な世界”がもともと広がっていたのに、勝手に狭めていたのは自分だった。


ようやく”自由”を取り戻した気がした。

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私が伝えたいこと
①書くことを義務にしない。なぜ書くのか目的を見失わない。

ここまでnoteを書いてきて伝えたいことは、書くことが義務になってはつらいだけだということ。

それぞれnoteを書く目的は違う。

だけど、せっかくなら楽しんで書いて欲しいんだ。

変なプレッシャーとか、しがらみとか、義務感とか、そんなものに縛られないで、自分の書きたいものを、自分の心から湧き出てくるものをただ言葉にして紡ぐんだ。

出して出して、出して出して。

そしたら
きっと素敵な何かが見つかる。

自分だけの何かが。

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私はnoteと共に歩んできたおかげで、

楽しさとか
自分らしさとか

「自分にない」と思っていたもの
を見つけることができた。


もし、
「書いている意味が分からない」
とか
「自分が何を書いていいかわからない」

なんて人がいたら

「とにかく何でも書いてみたらいい」
と私は言いたい。


始めから答えが見えていることなんて稀だ。

答えは歩んでいく中で見つかるから。

焦らなくていいから。

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そして、
自分に義務を課さないほうがいい。

書くことを苦しむことになるから。


自分じゃない誰かになろうとして
苦しむことはしなくたっていい。

苦しんでいると
頭にモヤがかかったようになって、
本当の自分の言葉が出てこない。


まずは
体と心が自由な状態で書き始めよう。

あなたは何者にも縛られなくていいから。

あなたのままで書いていいんだから。

表現は自由なのだから。



連続投稿だってそうだ。

それを目的にしてはいけない。

「なぜあなたはnoteを書いているのか。」

そこに必要なのが連続投稿であるなら、無理せず、つぶやきでもしながら続ければいいと思う。


でも、むやみやたらと連続投稿を目的にすることはおすすめしない。

私が苦しんだ当事者だから。

同じ苦しみを味わって欲しくないんだ。


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②誰かと比べないこと。書くだけでも素晴らしいということ。

みんな誰だって時間がない。
忙しい。

仕事があって、
家庭があって、
家族がいて、
生活があって。


そんな中、
記事を一つ書くのだって骨が折れるはず。

どんな記事だって
あなたが貴重な時間を割いて生み出した【作品】


だから、
あなたが苦労して
生み出したものには価値がある。


あなたの【命の時間】が使われたものなんだから。


恥ずかしいと思ったり、
誰かと比べて落ち込んだり、

そんなことしなくていい。


noteは自由な世界なのだから。

いろんな作品があっていいんだ。

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色とりどりなほうがきれいでしょ。


③自分の領域を守ること。できないことはできなくていい。

誰かの記事を見に行ったり、
スキを押したり、
コメントしたりは

義務ではない。


フォローしてくれた人は
できれば全員フォローもしたい。


フォローした人の記事も全部読みたい。


スキも全部返したいし、
コメントもしに行きたい。


でも全部を全部やるなんて
到底 無理だ。


私だって時間があれば・・・


短時間で500記事とか読めたらどんなにいいか。

たくさんの素晴らしい記事を書く全員に
全部コメントができたらどんなにいいか。

たくさんあるスキな記事を
丸ごと全部片っ端からスキできたらどんなにいいか。


でも
できないんだ。

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時間は等しく
誰にとっても【有限】


そこで
「読まなくちゃ」とか
義務感に苛まれたり、

「スキが全部返せなくて申し訳ない」
とか

全部をできない自分を
責めることはしないで欲しい。



全てはご縁。

記事に出会えたらご縁だし、
読めなくてもご縁。


そのとき出会えるものに感謝するだけでいい。

必ずご縁があればまた出会えるから。

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自分のできる領域を超えることをしようとする必要はない。

できることをすればいい。

大丈夫。

noteの世界は温かいから。


最後に

長くなってしまいましたが、これが私の今感じていることです。

本当はもっと伝えたいことがあったような気もするけど、さすがに長すぎるのでここまででやめようと思います。


noteとの付き合い方は人それぞれ。

でも、
できたら楽しく続けていきたいし、
楽しい人たちがたくさんいる世界であってほしい。


私、綺麗道は自分を苦しめていたものを
手放すことで、

また新たにスタートを切ることにしました。


note歴1年、連続投稿は150日くらい。

今日から新たに始めようと思います。


すごくはないし、
何者でもない私が書く

私だけのnoteの世界。


等身大の私。

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フォローしてくださっているあなた
コメントをくださったことのあるあなた

あなたのおかげで大切なことに気付きました。



noteは人とのつながりを教えてくれた。

noteは私を見つけてくれた。

noteは楽しさを教えてくれた。

noteは私に生をくれた。


あなたに、noteに感謝しています。

ここまで本当にありがとう。


これからも
どうかよろしくお願いします。


綺麗道



あなたに感謝いたします


こうやってここまでお読みくださったあなた
ありがとうございます。


私をこれまで支え続けてくれた
フォロワーの皆さま
ありがとうございます。

一度でも
お越しくださったことのある方
ありがとうございます。

一度でもスキやコメントをくださった方
ありがとうございます。

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🎉SPECIAL THANKS🎉

苦しい時に助けてくださった皆さま。

じゅにーさん
cocoro薫風さん
Yukieさん
梅熊大介さん
ヘイヨーさん
megumi@死ぬまで食いしん坊さん
ケンケンさん
botchiさん

他にもたくさんの皆さま

あなたのその一言に支えてもらいました。
本当にありがとうございました。



これからも拙いなりに、
自分の道を進みたいと思います。

これからもどうか
生暖かく見守っていただけると嬉しいです。


おしまい


よろしければ
「スキ」&「フォロー」を宜しくお願いいたします。

コメント・DMもいつでもお待ちしております。

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【追伸】

もし、本当に苦しんでいる人がいたら専門家に頼ってもいいと思う。

以前から仲良くしてもらっている
音楽療法士のけるぼんさん。

素敵な取り組みを始めたそうです。

キーワードは
#noteがつらい

です。

必要な方に届きますように。







この記事が参加している募集

noteでよかったこと

noteのつづけ方

サポートしてくれなんて滅相もありません。 もしそんな奇特な殿方・ご婦人がいらっしゃった場合は、感謝しすぎて鼻血が出ることでしょう。(出なかったらすみません) そして大切なお気持ちは ”恩送り” に使わせていただきます。愉しくて温かい ”和” が広がりますように。