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私の仕事(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その21)

私は、今まで様々な仕事を経験してきたが、2020年に障害者枠の採用試験で採用され、正職員の地方公務員(行政職)として勤務して、現在、三年目の秋を迎えている。

この場を借りて、障害者枠で入所してから現在に至るまでの経緯と、私が精神障害者においての障害者雇用について考えていること、「私の仕事」について感じていることを、ありのままに、等身大に、書いていこうと思う。

最初の年。私は「正職員」として勤務することが30代半ばにして初めてであったため、高鳴る期待と多大なる不安を胸に、職場の門戸をくぐった。私が配属された課は、小さな課で、人数は20人ほど。しかも50〜60代の、自分より歳の離れている年配の方が大半で、私と歳の近い人は一人だけだった。最初、それをつまらないと感じもしたが、今となっては年配の方が多い方が安心感があり、それはそれで自分にはプラスなことと捉えている。しかし、新規採用者にマンツーマンで教えるよう配置される先輩職員も、経験や歳の近い人ではなく、管理職の女性で、大大大大ベテラン。しかも、パリッとした厳しい方であった。最初はその人も私という人間を知らないので、気軽に話したり、お昼を一緒に食べに行ったりもしていたが、私が右も左もわからないこんこんちき野郎で、不器用なのがわかってくると、とても仕事のできる人なので、イライラされたり、怒られることが増えてきた。私は当初、些細なことでつますぎ、質問することも多く、突飛な失敗をすることもあったため、大ベテランの上司がイライラし出すのも、今考えると無理はない。しかし、マンツーマンの先輩に不機嫌にされることは、とても心細かったし、不安感が増すことだった。入所した当初は、身体的な疲れ、精神的な疲れ、不安感は多大なるものだった。しかも子育てや家事をしながらのフルタイム勤務。私は小出しでちょこちょこ休みも入れた。そうしなければ、身も心も追いつかなかった。休むことで、またマンツーマン上司からは言われる。それを気にして、またダメージを喰らう。悪循環だったが、それでも私は、どうしても辛い日は、休みもした。最初の年は、本当にキツかった。覚えることもたくさんあった。それでも続けてきたのは、子どもがいるからと、まだまだ自分の力を諦めるには早いと思ったからである。そして、楽しみもあったからである。職場の近くでのランチや、組合が主催する会でのランチ。同期や他の先輩との交流。同じ課で働いてるわけでなくても、挨拶してくれる人がいるだけで、私の気持ちは柔んだ。挨拶は大事だとよく言われるが、人が和む挨拶ができる人は、神様みたい、救世主みたい、と感じた。それに、私の職場の組織は、総計数千人の人が働いているため、自分がちょっとこんこんちき野郎でも、悪目立ちし過ぎなかった。いろんな人がいるのが当たり前の職場であったことが、精神障害者で採用された私を、変な悪目立ちさせず、ちょっと馴染んでるかのように見せた。☜本当に馴染んでるわけではなかったと思うが。しかし、いろんな人がいるので、こんな私にも親切にしてくれたり、話しかけてくれる人も、少数ではあるが、いてくれた。そういう楽しみ、ありがたい存在を胸に、私は何とか仕事を続けた。

二年目になり、私は、YouTubeで見たバシャールやエイブラハムの言葉を参考にして、悩みにフォーカスし過ぎないことを心がけた。私の悩みは、相変わらずマンツーマン上司のことだった。マンツーマン指導は最初の年で終わったが、その上司は、配属先に長年いらっしゃる方で、職場の重鎮的存在だった。その人にイライラされたり、良く思われないことは、私の立場を危うくするような、不安を煽ることだった。しかし、私は、その不安、悩みにフォーカスせずに、他の楽しみや子育てにフォーカスすることにした。今考えると、仕事以外に楽しみや子育て、家事など、やるべきこと、フォーカスすべきことが複数あることが、私を救ってきたと思う。仕事オンリー組織オンリーだったら、上司の言動や昇進昇格などの評価に一喜一憂してしまう。だけど、他のことにも目を向けられたからこそ、悩みが悩みでなくなってきていた。子育てや趣味、家事も、私の大切な「仕事」だという見方もできる。やるべき「仕事」が複数あることが、私を生かしてきたのだな、と振り返る。公務員の仕事ばかりに囚われることなく、他のことにも目を向けているうちに、だんだん上司の私に対する当たりも、和らいできた。注意されることは今でもあるが、現在は程良い距離感で付き合えている。しかもマンツーマン上司のことで悩んでいたことで、私は、今までみんながみんな自分に対して優しく好意的であることを、期待し過ぎていた自分に気づいた。厳しい人もいるし、自分を良く思わない人もいる。働くということ、社会に出るということは、「嫌われ慣れ」をしていくことでもある、と、私には理解できた。人に嫌われることもある中で、それでも自分を打ち出していく、自分の仕事をしていくことが、お金をいただくことである、と。私は全ての人に自分が気に入られることを、すっかり諦めた。マンツーマン上司に気に入られることも、諦めた。すると、以前ほど人間関係で悩まなくなり、マンツーマン上司とも程良い関係を構築できるようになった。パラドックスの不思議である。

三年目になり、私は一、ニ年目とはすっかり違う穏やかで平和な気分で仕事をしている。今まで、長年同じ仕事を続けてきたことは滅多になかったけれど、一年、二年、三年と続けていくうちに違う世界が広がることを、とても喜ばしく感じた。ずっと同じ課なので、経験値もアップし、新しく配属された人に教えるまでになれている自分を、ちょっとだけ、てへっ😋と誇らしく思う。あと数年は、今の課で経験値と仕事の質をアップさせていきたい。今では仕事の基礎を教えてくださった上司たちに感謝している。当たりが強かったことも、自分が気づくべきところ、改めるべきところを教えてくれたと思っている。今ではちょこちょこと休むことも減ったが、疲れを溜めてダウンしないように、休むべきところはきちんと休み、持病の後遺症である疲れやすさと付き合いながら、続けていきたいと思っている。

精神障害者における障害者雇用のことしか、書けないかもしれないが、まだまだ私の職場の障害者雇用は、始まったばかりと言っていいほど、発展途上だ。これ程までに、今まで精神障害者が、普通の職場で働く機会がなかったのだ、と、悪しき歴史を憎く感じる。違和感を感じられることもあるし、その中でまだまだ闘いながら働く現状がはびこっている。私は、もっと精神障害者が、世の中にパーン‼️と飛び出していく社会になって欲しいと考えている。様々な仕事現場に、たくさんのたくさんの精神障害者が、試行錯誤しながらも、一生懸命働いている社会。そうでなければ、精神障害者における障害者雇用も、浸透しないし、問題提起されることもないと思うのだ。今はまだ「あぶり出し」の真っ最中。精神障害者が様々な職場で働く、多くのケースがなければ、それによるメリットもデメリットもあぶり出されない。まだまだ社会全体で提起されるほどのケースが足りない気がする。復活して、働く精神障害者が増えて欲しい。そのために私はnoteを使って、自分にシェアできることはシェアすることにした。私も障害と付き合い、紆余曲折をしてきた一人だからだ。現在だって以前よりはマシに働いているかもしれないが、部署異動でもして環境が変われば、働けない事態になるかもしれない。いつだって私には「仕事」の課題がある。向き合っていく過程も含めて、私がシェアできることはしていきたい。それも私の大切な「仕事」だ。その仕事の方が、私にとって天職と言っていいのかもしれない。人には天職と適職があり、その両輪のバランスを取ることが大事だと、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏の本に書いてある。私にとって、「書く」というツールを使い、人を奮い立たせ、立ち上がらせる言葉を書くことは、魂をかけて挑みたい、天職だと思う。そして公務員として働くことは適職。自分にできて、生活費をいただく、生活の基本の仕事である。その他に母親としての役割が、私にとって天職にも適職にもモチベーションとなる、大切な「仕事」だ。そのトライアングルが、私のバランスを保っている。

『スピリチュアルセルフ・カウンセリング』
江原啓之・著
 王様文庫

スピ界では定番の江原啓之氏だが、
地に足のついたスピを提言している


組織で働くことだけが、仕事じゃない、ということも、切に感じる。適職とは言うけれど、今の私にとって公務をすることは、一定の枠組みの中で型通りのことを行っている感覚に陥ることだ。破天荒な自由さや型破りなことは、あまり許されない。決められた枠や型の中で、自治体にとっての利益を追求する仕事だと、まだ三年目の私には感じる。もっと自由な表現を、もっと型破りな自己実現を求める自分もいる。それに、全ての精神障害者が、障害者雇用を利用して組織や会社で働くことだけが、仕事のスタイルではないはずだ。私は公務員なので、副業は禁止だが、SNSを活用した仕事は、とても興味深い。今年の芥川賞は、重度障害者の市川沙央氏が受賞した。そのことも、興味深い。本を拝読させていただいた。表現活動で、障害者が活躍する未来を感じている。今までも絵を描く障害者なども取り上げられてきたが、それ以上に、障害を持ち得ない人(健常者という言葉があまり好きではないので、こう書きます)が予測もつかないような自由な表現力、みんなの度肝を抜かすような優れた表現力を操る表現者がたくさん世に出てきて欲しい。そう、障害を持ち得ない人が逆立ちしても真似できないような、度肝を抜かす表現。それが我々の持ち味であり、大切な障害者の「仕事」のひとつだと、私は考える。

『ハンチバック』
市川沙央・著
文藝春秋

重度障害者の視点に立ち、
性と生を考えるきっかけをもらった


「はあ、今日も仕事か〜」毎朝5時30分に起き、だる〜と身体を起こす。休みの前日の金曜日はふぅ〜と一息ついてご褒美のレモンサワーを呑む。仕事はけして、楽じゃない。持病と付き合いながら働き続けることも、簡単に言葉にできるほど、実はそんなに楽じゃない。だるだるおもおも、仕事をしている。格好のいい、仕事人ではけしてない。だけど、過去の私が思い描いていた姿は描けている。自分の机があり、自分の役割があり、自分の同僚がいて、自分の上司がいて、時に怒られたり、失敗したりしながらも、また気を取り直し、私は働いている。人々の輪の中で、それでも私は生きたい。うまくいかなかったとしても、私は人々の輪の中で、働いていきたい。それが、かつて普通の生活もままならなかった自分が切望していたことだ。今日も挨拶を交わす人がいる。愚痴を言い合う人がいる。笑い合う人がいる。そんな人が少しでもいるだけで、私は働くということを、し続けていくのではないだろうか。何のために?かつて部屋に引きこもって、布団に潜っていた自分に、こう声をかけたいからだ。

「働くということは、社会に出るということは、あんたが思うよりもそんなに悪いことじゃないよ。必ず、必ず、何らかの助けは、何らかの救いは、あるよ。まずはやってごらん。少しでも顔を上げてごらん。一歩ずつ、少しずつで、かまわないんだから。いつか本当に、実現したい仕事を、実現できるといいね。本当は、あんたにも、あるよね?」

布団に潜っていたかつての私は、びくっと反応したはずである。さて、あなたの場合は、どうだろう?この記事が、あなたにとっての「仕事」を考える何らかの参考になれば、幸いだ。私もちょっとだけ一仕事、したことになりますからね😋




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